2006年 11月 28日
28 November 2006 / Syndicated Grasshoppers - 10
[原文] 2006年11月28日の公式サイトの日記。
Syndicated Grasshoppers - 10
インタビュー連続掲載の10回目はあまりにも長くまとめようがありませんが、インタビューの最後を見ると、2006年9月の時点ではロシアや中国にまで世界ツアーを拡大したいという構想があったことがわかります。


(このインタビューは9月の北米ツアーがスタートする前にwww.newhousenews.comのKevin O'Hareにより行われた)

[このUSツアーでどんな曲を演奏したいと考えていますか?新しい曲と昔の曲とをどのように組み合わせるつもりですか?]

我々の最初の課題はファンが「マイナー曲」と呼んでいる曲、つまりこれまでめったにライブで演奏してこなかった曲を数多くリハーサルすることだった。Rogerは新作のヴォーカルをレコーディングしている間に喉の感染症にかかってしまったので、小さなリハーサル・スタジオでのセッションをすることができず、すぐにUSでのツアーで導入される照明やプロジェクター機器の計画を進める為の大部屋でのリハーサルに入らなければならなくなった。それでも我々は何とか良い新曲をいくつかリハーサルした。「Cry If You Want」はヨーロッパ公演で何度か演奏した曲で、前回のThe Whoのアルバム「IT'S HARD」の中でしっかり生き残った曲だ。また、新作のミニオペラ「WIRE AND GLASS」のショートバージョンもリハーサルした。USツアーでは全10曲を完奏するバージョンも時々セットに入れるつもりだ。

(※Peteによる脚注:我々のライブに足繁く通っているファンなら、完奏バージョンは未だに演奏されていないということをよくご存知だろう。残念だ)

[ライブでの新曲の評判はいかがですか?]

かなり良い。だがこれまでは若い観客が集まるフェスティバルに出演することが多かったので、大事を取って彼等の両親がベッドで愛し合っている時に聞いていたような曲を中心に演るようにしていた。

[The Whoの初期の頃から現在まで、貴方のライブ活動におけるステージ上での最も大きな変化とは何でしたか?]

The Whoはその長い歴史の中で様々な段階を踏んできた。今の状態はこれまでの我々の姿が根底から覆るような思い切った変化を経て辿りついたものだ。我々は今も昔の曲を演奏しているし、そのうちのいくつか、例えば「Won't Get Fooled Again」や「Baba O'Riley」のような曲は力強い音楽的バックボーンがある為に現在でも35年前と全く同じように響く。だが今のThe Whoのサウンドは以前ほどヘビーメタル的ではなくなり、パワーコードも雷鳴のようなドラムやベースも少なくなった。今のサウンドはいわば落ち着いたものになり、私もシングルラインを使ったリードギターを弾くように心がけ、現在もその技術を学び続けている。我々のサポートメンバーは人並みはずれた才能を持つ腕利きのミュージシャン揃いだ。我々が彼等に自分のしたいことを自由にさせるという珍しい機会があった時には、彼等はまるでロケットのような勢いで飛び立っていってしまう。

[今のThe Whoは昔のThe Whoではなく、何かが違うと貴方は言っていました。どのように違うのでしょうか、そして貴方は何を成し遂げたいと考えていますか?]

2002年にJohn Entwistleが死んだ時、我々は「2人のWhoではThe Whoにはならない」という真実と向き合わなければならなくなった。残ったメンバーがたまたま「フロントマン」だったことには助けられたが、The Whoのファンなら誰でもわかっているようにJohnとKeith Moonはバックバンドのミュージシャンなどという存在ではなかった。しかしRogerと私は、The Whoの昔の作品を演奏すること、それをうまくこなすことにかけては地球上の他の誰よりも長けている。我々は自分達がかつての姿とはもう違うということを知っているし、昔と変わらないふりを装うこともしない。その代わりに我々が行っているのは、昔の作品、そしてそれらの曲をこれまでの人生で聞いてきてくれたファン達を称えるということだ。

[貴方のウェブサイトの日記で今回のツアーの無料ウェブキャストに関して貴方とRogerが「戦争状態」にあるかどうかということが取り上げられた時、貴方はそれに対するマスコミの反応に気分を害されているようでした。実際にはこの時は何が起こっていたのでしょうか?]

日記の中のたった一文を取り上げ、一つの物語をひねりだしてしまう記者達のやり方には腹が立つ。しかしそれがインターネットというものだ。Rogerと私は戦争していたのではないが、The Whoのヨーロッパ公演をウェブキャストすることについて私はほぼ自分一人で関わっていた。それがこの先USツアーでも行われることになり、私が自発的に行っていたのと同じぐらいRogerに投資してもらおうという段階になった途端、Rogerが渋ったんだ。それが私には気に入らなかったし、Rogerと私はいつでも何に対しても意見がまとまるという訳ではない。この件は未だに我々の間で合意がなされていない事柄だ。

[マスコミについてですが、貴方はここ数年間で、特に英国のタブロイド紙において正しい扱いを受けてきたと感じていますか?]

イエス。何も文句はない。私は著名人であるし、レコードやライブのチケットの売上を伸ばしたい時にはいつだって新聞を利用している。その為に犠牲になるものがあるということをわかっている。私は英国の新聞業界に素晴らしい友人が何人もおり、もしミュージシャンになっていなかったとしたら新聞でレビューを書いていたはずだ、それは確信できる。2003年はじめにイギリスで私が児童ポルノ調査の為に逮捕された時、あれほど大きく報道されたことに驚いたが、それもあっという間に消え去ってしまった。全体的に見て、マスコミの私への対応は正しかったと考えている。

[貴方とRogerとの関係はどのようなものか聞かせて下さい。ビジネス・パートナー?古い友人?生き残った同士?]

その3つ全てだ。だが一つ足りないものがある。我々は高校時代からずっと一緒にやってきた、つまり我々は同じストリートから出てきた者同士なんだ。ステージでRogerと一緒に立っている時、私は彼が自分の親友だというような振りはしないし、彼が私の曲に敬意を表してくれるのと同じぐらい彼が私を好きだという振りもしない。しかし我々はお互い愛し合っているし、支え合っている。だから色々な意味でRogerと私は友人以上の関係だと言える。

[新作について。新しいアルバムに対して貴方ができたことを教えて下さい。この作品は貴方にとってどれほどエキサイティングでしたか?]

それについては言いたいことが山ほどある。恐らくRogerは私よりもずっと前から新しいCDを作りたいと考えていただろう。2000年ぐらいに彼がニューヨークのマスコミにそう発表したことを覚えている。その時彼が言っていたのは、彼とJohnは既に曲を作っていて、後は私の参加を待つばかりだということだった。しかし当時の私にとって問題は自分の意志だけで解決できるものではなかった。正解だったのは「The Boy Who Heard Music」を書き、連載小説としてインターネット上で発表したことだ。物語が発表されると400人ほどのグループの人々がフィードバックをくれた。連載が終了する頃には新しい作品の中心となるものが完成したとわかった。アルバムのうち12の曲がこの小説に関連したものだ。残りの曲はより新しい時代についてのものだが、作品にとてもよく調和している。このアルバムはシンプルな方法でレコーディングがされている。制作はヴィンテージのミキシングデスクと昔ながらの8トラック・テープマシーンで構成された私のホームスタジオで行った。いくつかの効果を大きなスタジオで追加したが、全ての曲はシンプルなオーディオ構成となっていて、派手すぎたり、独りよがりになりすぎたりしないよう努めた。新しい試みというのは実はほとんどない。「Fragments」という曲はややエレクトロニック風なサウンドになっているが、これは私のライフワークである「Lifehouse Method」計画の中でいつも私が行っていることの延長に過ぎない。
特に熱を入れて取り組んだのは「A Man In A Purple Dress」や「In The Ether」などのアンプラグドの曲だ。「~Purple Dress」はBob Dylanが昔歌っていたような曲で、「In The Ether」はStephen Sondheimの一連のオフ・ブロードウェイ作品のような雰囲気になっている。

[Rogerの言葉によると、貴方たち2人は強い力を持つ作品を生み出すことができなかったとしたらリリースはしなかったとのことです。貴方が「これはいける」と考え、世に出す価値があると判断したのはどの時点でしたか?作品の全てが一つにまとまる瞬間や曲というものがありましたか?]

私にとってそれはミニオペラ「Wire & Glass」となる曲のアイデアが浮かんだ瞬間だ。多分Rogerにとっては元々彼がとても気に入っていた「Mike Post Theme」「Black Widow's Eyes」に加えて、「A Man In A Purple Dress」と「Two Thousand Years」が生まれた時じゃないかと思う。

[「WHO2」アルバムの中心にあるものだと思われる「The Glass Household」について教えて下さい]

「WHO2」アルバムには現在ちゃんとしたタイトルがついている。「ENDLESS WIRE」と呼ばれることになるだろう。「The Glass Household」は「The Boy Who Heard Music」に登場する若者が組んでいるバンドのことだ。彼等は自分達にとってのロックの英雄である、年老いてみすぼらしい姿になったRay Highがかつて持っていた構想や野望を復活させることを決意した。

「The Glass Household」は1990年に長編小説の形で執筆が開始された。私は1986年にFaber & Faber社から短編小説集「Horse’s Neck」を出版しており、ぜひ次の作品を発表したいと考えていた。完成する前に私は交通事故を起こし、右手首を骨折してしまった。怪我が完治するまで長い時間がかかることになり、再びギターを弾ける保証もなかったので、私は劇場作品の計画をいくつか進めることにした。まず1991年に「TOMMY」をサンディエゴのLa Jolla Playhouseで上演する企画からスタートした。1993年にはそれがブロードウェイ作品へと広がり、私はそのことに後押しされて「The Glass Household」をベースにした物語「PSYCHODERELICT」を生み出すこととなった。同年の暮れにはロンドンのYoung Vic theatreで「THE IRON MAN」の新バージョンの上演も行った。

その年から、私は新しい物語仕立ての音楽作品を創り出そうと努力し、あれこれ試行錯誤を繰り返してきた。私はいつでも決まったテーマに何度も何度も繰り返し立ち返っている。戦後の英国社会に育った若者たちを取り巻く問題と、それにより生まれた拒絶と反乱が響き渡る様子、というテーマだ。1996年になって自伝の執筆に取りかかったが、すぐに気づいたのは「PSYCHODERELICT」で触れられていない素晴らしい物語がまだ自分の中に眠っているということだった。そこで私は小説「The Glass Household」に再び立ち戻り、異なる信仰の元で育った3人の子供達を見出した。彼等はバンドを組み、まるで自分達の体が粉々になってしまう程に衝撃を受けた昔のバンドを見にいくのだが、その昔のバンドというのは多くの部分がThe Whoに似通っている。

「Wire & Glass」のストーリーは私が昔から追い続けているこのテーマに根差したものだ。私は音楽(当然私の携わっている種類の音楽ということだが)と観衆(ライブを楽しむ為に集まった人々)が我々の根深い感情的・精神的な問題を全て解決してくれる、もしくは少なくとも解決への道を示してくれると信じており、この先もその信念から離れていくことはないと考えている。

[「Sound Round」の起源は1971年までさかのぼると聞いています。その他にも新作の中に過去のThe Whoもしくはソロ活動用に作られた作品はありますか?]

「Pick Up The Peace」も(「Sound Round」と同じく)私がThe Whoの「Lifehouse」プロジェクト用に作った曲が元になっている。私がソロを取る曲「God Speaks」も「SCOOP」シリーズのうちの一つにギター・インストゥルメンタル作品としてリリース済みだ。それ以外は完全に新作となる。これまで答えてきた10の質問への私の回答を聞いた後でも私のしていることが全く新しいことだと見なしてもらえたらの話だが。

[Johnが亡くなった後もThe Whoはツアーを続けましたが、中にはThe Whoはその素晴らしいキャリアに終止符を打つべきではないかと問いを投げかけている人たちもいます。貴方は活動を続けることに疑問を持ったことはありますか?また、ツアーを続ける原動力となったものは何ですか?]

続ける以外に選択肢はなかった。Johnが死んだのはツアー開始の1日前だった。Rogerと私は2人とも悩みに悩んだ。Rogerは続行と中止どちらになったとしても同意しただろう。私はいつでもセーリングに行く口実を探していて、この時は良い機会と言えた。しかし私は一緒に働いている人々、チケットを買ってくれた人々、そしてJohnとその家族に対する責任を果たさなくてはならなかった。そうすれば彼等が向き合わねばならないのはJohnの死と寂しさだけで済む。もし我々がツアーをキャンセルしていたら、Johnの葬儀が行われているところにThe Whoの財政危機という新たな伝説が刻まれてしまっていたことだろう。

[The Whoの初期の曲の中で、最も時代を超えて生き続けている曲とは何でしょうか?]

「Behind Blue Eyes」だ。年が経つにつれて評価が高まり、意味するものの深さも増している。しかし「TOMMY」の最後の部分、「Won't Get Fooled Again」、そして「My Generation」など、The Whoのライブのフィナーレを飾る為の存在感のある曲には事欠かない。

(※Peteによる脚注:このダイアリーをアップしている現在の時点では、観客の反応が最も大きい曲は「Baba O'Riley」だ)

[2006年7月、The Whoは最も有名なアルバムの一つ「LIVE AT LEEDS」の会場であるリーズ大学に再び登場しました。1970年のライブでの思い出はありますか?そして今回のライブはその時とどのように違いましたか?]

1970年の時はかなりクールなものだった。我々は週末という短い時間でライブアルバムを制作することに決めて、実際にそれをこなした。ミキシングは私がホームスタジオで行った。パチパチ、カチカチという音の混ざったレコードが完成し、そのレコードをボール紙のジャケットに入れてリリースした。2006年のライブはエキサイティングなイベントとなり、Rogerと私はまるで戻ってきた学者のような大歓迎を受けた。この日は心から楽しませてもらった。だが気温は一時40度にまで上がり、本当に暑かった。そしてこのライブがツアーの最初の公演だった為に我々の演奏はやや冴えないものとなったが、私はとても気に入っている。

[貴方のソロ活動の全アルバムがボーナストラックや追加曲付きでこの秋に再リリースされます。それらを聞いたり、当時のことを思い出したりする時、貴方が自分で最も気に入っている作品は何ですか?また、人々はリイシュー盤のどんな点に惹かれるでしょうか?もし1~2枚だけ買いたいという人がいたとしたら、貴方はどのタイトルを薦めますか?]

私のお気に入りは「CHINESE EYES」だ。私のソロ作品を既に手にしているファンの人たちは、もう聞いているかもしれないボーナストラック目当てに再び買い求める必要はない。だがThe Whoが遺してきたものを全て揃えたいと考えているなら、私やRoger、そしてJohnのソロ作品も必ず聞いておかなければならないだろう。

[新作に収録されている「They Made My Dreams Come True」では、貴方は「私が演奏した場所で人々が死んだ」と歌っています。明らかにこれは忘れがたい思い出と言えます。この一節について、またこの曲について教えて下さい。]

物語の中のこのパートは、ヴォーカルを取る年老いたナレーターが2つの悲劇について言及している。ひとつはRolling StonesのオルタモントやThe Whoのシンシナティのような、観客が亡くなった事件のことだ。もう一つは物語に登場する若者達のバンドで1人のメンバーが殺されたと思われる事件で、犯人は同じバンドの仲間と考えられるが、全てがはっきりとはわからない。彼が歌う夢とは彼等がコンピュータによって作られたオーダーメイドの音楽をインターネットを通じて広めるという内容で、これは近々私自身が「Lifehouse Method」のウェブサイト上で行おうとしていることと同じものだ。

[Keith MoonとJohn Entwistleが亡くなって、貴方はロック界の最高のリズムセクションを失いました。Pino PalladinoとZak StarkeyはThe Whoに何をもたらしてくれていますか?]

彼等はKeithとJohnとはまた別のロック界の最高のリズムセクションと言える。2人とも素晴らしいプレイヤーだ。

[貴方の公式サイトのバイオグラフィを見ると、貴方は「大規模な」ツアーに出るのを好まないとあります。もしそれが当てはまるなら、なぜ貴方はその大規模なツアーを再び行うのでしょうか?]

得るものが大きいからだ。我々はこれまでスペインでライブしたことがなかったが、マドリッド公演では1万人の若者の大観衆が我々を迎え、私がほんのわずかなギターのフレーズを鳴らす度に大喝采を送ってくれた。彼等の支えによって私の調子はどんどん上がり、まるでJimi Hendrixのような演奏ができた。実は今のは地元の新聞数紙のレビューに書かれていたもので、私が自分で言った訳じゃないが。我々にはそのような行くべき場所がある。私は自分の友人達や自宅、近所の人達、子供達や愛犬と離れ離れになりたくはない。しかし人生のほとんどの時間をただの月並みなミュージシャンとして過ごしている人間にとって、あのような瞬間を味わえるなら大事なもの達と離れるという代償を払うだけの価値はある。実のところ、この夏のヨーロッパツアーはとても楽だったし、楽しんで回ることができた。しかし数年前にイギリスで短いツアーを行った時はひどい悪天候で、私の小さい飛行機はまるで渦の中の木の葉のように風にもまれ、疲労困憊してしまった。このように、ツアー中というのは苦難に見舞われる可能性が常につきまとっている。なぜ人はそのような苦難を自ら進んで求めるのか?それは頭がおかしいからでもあり、また義務感に駆られているからとも言える。ほとんどのミュージシャンは「頭がおかしい」と言われることを喜ぶものだ。それに私は戦後のイギリス空軍内でミュージシャンを勤めた者を含む家庭で育ったことによる義務感を感じている。

[ファンが高い期待を寄せる中でThe Whoの新しい作品を作るというのは大変でしたか?]

そんなことはない。ファンの期待が高いからといってアルバム作りの何が変わる?何も変わりはしない。大変なのは作品の素材が自然に動いていく方向に沿うよう努めること、他の誰でもないこの私がThe Whoと呼んでいる存在にその作品がうまく合うかどうか見極めることだ。それができるようになったと自分で感じられる地点にたどりつくまで、長い間待たなければならなかった。辛抱強く待つことができたこと、時が来た時にすぐに制作に取り掛かることができて嬉しく思うし、生きてこの瞬間を味わうことができたことに感謝している。

[George Harrisonがよく語っていた言葉で、The Beatlesのライブ活動のピークは1960年のハンブルグ時代であり、彼等が存在していること自体を世界中が知るよりもずっと以前のことだったというものがありました。The Whoのライブ活動のピークはいつだと考えていますか?]

不思議な話だがかなり遅く、恐らく1975~76年前後だろう。Keithは昔ほどは元気ではなかったが、メンバー皆がその時の自分に満足しており、楽しんでいた。Keith Moonと共にステージに上がり、何か私がしたことや言ったことに対して彼が急に大笑いするのを見るのは本当に楽しかった。彼が死ぬ前にはそういうことが何度もあった。

[数年前、貴方は聴覚障害に悩まされ、ライブでほとんどアコースティックギターを弾いていました。今では耳にダメージを与えずにフルボリュームでエレキギターを弾く方法を会得できたのですか?]

ああ!フルボリュームで演奏したりはしていない。時々古いハイワットの機材を使おうとしてみることがあるが、あまりにも音が大きすぎて今ではとてもアンプの前に立っていることができない。危ないところで爆音で演奏することをやめ、今になってわかったことだが、この年までやってこれるだけの聴覚を保つことができた。いい時期に危機感を感じることができたと思う。私はこの件についてうるさく騒ぎ過ぎだったかもしれないが、John Entwistleは死んだ時にほとんど聴覚を失っていて、他人と話をする時には補聴器を2つも付ける必要があった。

[貴方のウェブ上の日記は有名ミュージシャンの誰よりも興味深い内容で、また率直に書かれています。インターネットを通じてファンと直接的なコンタクトを取ることができるということは、貴方にとってどのような意味を持ちますか?]

ありがとう。私の公式サイトは一方通行のコミュニケーションしか取れないが、自分が感じていることを伝えられ、それだけではなく真実を述べることができるのは良いものだ。また、ファンが言葉を返すことができるブログの運営も面白い。現在は私のブログは休止中だが、いずれ必ず再開しようと考えている。

[これまで質問になかったことで、貴方が伝えておきたいことはありますか?]

今回のツアーが事実上The Whoの初めての世界ツアーとなる。USツアーで得た利益はメキシコや南アメリカ、ロシア、もしかすると中国にまで至る新しい地域へとツアーを延長する為の資金にさせてもらうつもりだ。これほど大きなスケールで、新しい国へとツアーを続けるからといってこれが最後のツアーにしようというつもりなのではない。私はただRogerと私が健康で元気なうちに、何とかしてできるだけ多くの人達に我々の新しい曲を聞いてもらい、そして昔の曲を楽しんでもらいたいだけだ。可能なうちは、我々はどのような形であれつねに2人一緒にライブを行っている。我々にとってこれは終わりではなく、むしろ始まりだ。この年老いた2人の男共はロックの歴史に残る素晴らしい旗のひとつを掲げており、その旗を振っていこうと決意している。それには先にさっさと逃げ出した2人の仲間を追悼するという意味もある。Rogerと私にはお互いの存在があり、そのことは46年も昔の1960年、アクトンに住むガキだった我々が道ではじめてすれ違った頃よりも、今の方がずっと深い意味を持っている。

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by yukie909 | 2006-11-28 02:10 | diary


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