2005年 12月 07日
[原文] 2005年12月7日のIndependent紙記事。 Lennon remembered 12月8日はJohn Lennonの命日です。英国の新聞Independent紙にミュージシャンによる彼についての思い出話が掲載されましたが、その中にPeteの名前もありました。 Johnには数回会ったことがある。一番最初は1964年にThe WhoがThe BeatlesのBlackpoolでのライブの前座を務めた時だった。我々は彼等の前にステージに上がり、カーテンの前で演奏した。その裏にいたJohnは最後の曲を一緒に弾いてくれた。2度目に会ったのはそのずっと後だ。Eric Claptonと私はBrian Epsteinに呼ばれ 8トラックのレコーダーで録音された最新曲「Strawberry Fields Forever」と「Penny Lane」を聞く2人のミュージシャンとなることを求められた。Johnが緊張していたことを覚えている。彼は最初の妻Cynthiaと一緒で、彼女の方がJohnよりもリラックスしていた。その2曲を聞いた私は何も喋れなくなってしまった。Ericが見かねて「もう一度聞いてもいいかい?」と助け舟を出してくれた。食卓の用意が整うと、Johnは「the Goons」から引用して「Pull up a food.」とふざけて言った。(※Johnが大ファンだった1950年代のコメディ・ラジオ番組『The Goon Show』で『Pull up a bollard./どうぞ座って』という言い回しが生まれて頻繁に使われていたそうで、そこから来たもの?)我々は食事をして喋った。彼はEricや私のような「普通の」人間が、彼がしてきたことを知っていて、それを好きだと思っているということにほっとしているようだった。 ■
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by yukie909
| 2005-12-07 15:16
| article
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アバウト
Things He Said Todayについて
ピートの考えが伝わってくる文章を翻訳しています。現在のところは過去の日記を訳した文章のアーカイブが中心となっています。
翻訳のプロでもなんでもない、そこらへんにいるただのザ・フーファンが英辞郎とGoogle等を頼りにちくちくと訳しているだけなので、「ここに載っている訳文=ピートの言いたいこと」と思い込むのは大変危険です。一つの参考としてどうぞ。以下備考など。 ★最初に必ず原文へのリンクを明記しています。(ただし、現在はそのほとんどがアクセス不能となっています) ★青い文字の部分が訳文です。文中に黒い文字で(※○○)とあるのは、原文にない説明をこちらで付け加えたものです。 ★意味がよくわからなかった部分はとにかく無理やり訳した上で「(?)」をつけています。 ★あとから読み直して変えたくなった部分はばんばん修正します。 ★ずっと人名やバンド名を英語で表記してきましたが途中からカタカナ表記に変えました。過去の分まで遡って直すのはもう諦めたので統一されていないのは大目に見て下さい。 (姉妹サイト) WHO's Generation カテゴリ
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