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2006年 12月 04日
4 December 2006 / Zak and the Revision of History
[原文] 2006年12月4日の公式サイトの日記。
Zak and the Revision of History
何度もPeteが繰り返してきた「ZakがOasisのサポートをした為にThe Whoの仕事が遅れた」件について、改めて「Zakは2005年にThe Whoと仕事をする態勢を整えてくれていたのに、自分の準備ができていなかった(だからZakは悪くない)」と断言しています。また、ZakにオファーのあったThe Whoの正式メンバーの座は、Zak自身が望んでいないということです。
中盤に「2007年秋まで続く予定だったツアーが7月で終わりそうだ」「その結果、計画していた日本とオーストラリアでの公演が先送りになるかもしれない」という、日本のファンには悪いニュースとなる文章があります。


Zakがボストンで私の元を訪れ、ボストンの新聞に私の言葉が掲載されてからThe Whoのファンが彼に対して腹を立てているようだと告げた。その内容とは「2005年にZakがOasisのサポートをしたことにより、Rogerと私は2006年の春までレコーディングの計画を進めるのを延期せざるを得なかった」というものだ。「2004年末にアルバムをリリースし、2005年にツアーを行う」と発表していたのに実際にこれほど遅れた理由として、曲のイメージが私の元へとやってくるのがゆっくりだったという事実もあったということを、私は他のインタビューではっきりさせておくべきだったと考えている。

Zakは2005年初めに何曲か聞かせてほしいと頼んできており、私はまだ自分で納得のいっていない曲を彼に聞かせるのは不安だった。彼がOasisとの仕事を引き受けた時、それはRogerと私にとって決して良いニュースではなかったが、新曲の用意もないのにZakに「確かなことは決まっていないがこれからの時間を我々に預けてくれ」と言う訳にもいかなかった。その時我々は彼のOasisのサポートドラマーとしての前途を祝福し、彼がOasisとの仕事を終える前にツアーを始めなければならなくなったとしたら違うドラマーを頼む必要があるかもしれないと考えた。

最終的には全てはうまく運んだ。OasisはZakをドラマーに据えて長いツアーを行い、私は今年の夏までThe Whoの新作用の曲作りに打ち込む時間を取ることができた。Zakと私がもっとスタジオで仕事する時間があれば良かったのだが、我々はツアーでずっと一緒に過ごしており、ツアーこそZakがThe Whoを照らす灯台の明かりのように輝く場所となっている。

ZakほどThe Whoのドラマーの座を立派に務められる人間は他に誰もいない。彼がThe Whoと過ごした長い歴史(まだ若く、Keith Moonの一ファンだった頃から彼は常にそこにいた)とBeatlesのメンバーの息子としての経験によって、彼はThe Whoとの仕事を堂々たる態度でこなす為の資質や落ち着き、説得力を得ている。

The Whoのファンは新作のリリースの遅れを責める相手を探すべきではない……特にZakを責めないでほしい。The Whoが彼の時間に機能している限りは、Zakは持てる時間全てをThe Whoに費やしてくれるだろう。我々はコンスタントにツアーを行うバンドだったことはなく、特にJohn Entwistleが欲求不満を起こして結局自分のバンドで色々とツアーを回るようになってしまったようなバンドだ。

今回のツアーは2007年秋まで続けるつもりだったが、7月に終了しそうな雰囲気になってきた。それにより、予定されていた日本とオーストラリアでのライブもしばらく先送りになるかもしれない。その結果の一つとして、Zakは来年の終わりに再びOasisの為にスティックを持つことになるかもしれないと私は考えている。今回のツアーでZakが我々とステージに上がっているのをNoelとLiamが応援してくれているように、もしZakがOasisとツアーに出るとしたら、Rogerと私は快く送り出すだろう。我々は皆友人だ。人生は短いのだからくだらない仕返しをする暇はないし、Zakは申し訳なく思うことなど何もない。彼は2005年初めに我々と仕事をする態勢ができていたのに、私の方の準備ができていなかったのだ。

この先7ヶ月間、Zakと一緒にライブができることを楽しみにしている。彼は本当によい演奏をしていて、バンド全体が申し分のない状態になっている。

些細なことをひとつ。私の最近の日記にZakをThe Whoの正式メンバーとして迎え入れたいと書いてあるのに気づいた人もいるだろう。彼にとってそれは必要としていることでも、そうなりたいと望んでいることでもない。ただこの素晴らしいミュージシャンに対して扉はいつでも開かれているとだけ言っておこう。そして我々は可能な時はいつでも、将来ZakがThe Whoと活動できるよう常に努めようと思う。

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# by yukie909 | 2006-12-04 01:09 | diary
2006年 11月 28日
28 November 2006 / PSR Time Rates.
[原文] 2006年11月28日の公式サイトの日記。
PSR Time Rates.
インタビュー掲載は一回休み。こういった「いかにもPeteらしい」日記は久しぶりです。自分達の為に頑張ってくれているスタッフ達に対する感謝の気持ちを表しています。


夜によく眠れなかった。なんとか眠ろうと努め、結局午後3時までベッドの中にいた。

今は午後3時40分だ。

起きてから現在までの40分間は、それが時間というものの不可思議な性質の一つだが、いつのまにか過ぎ去ってしまった。たとえほとんどの人が今の時間を昼下がりと呼ぶとしても、私にとっては夜明けに他ならない。私が起きてからの時間は、親が自分の子供達に学校に行くための支度を全て済ませてやり、スクールバスに乗せるか車で送っていくかする時間と同等の長さと言える。そして、そう、私のアインシュタイン的理論に従えば、この時間は1日のうち他のどの時間よりも速く過ぎ去っていく。少なくとも3倍は速いだろうし、時にはそれより速く過ぎることすらある。

まず目覚まし時計の鳴る音が聞こえる。例えば午前6時30分に。目覚ましを止め、うめき声を上げる。ベッドから体を起こし、ばかげた不合理さを感じながらスリッパに両足を突っ込んだだけでもう時刻は6時35分だ。なぜそんなことになるのだろう?トイレに入り、歯を磨いて、ガウンを羽織る。それで6時45分。もしここまでの全ての行動をゆっくりと時間をかけて行ったとしたら(まるで王子様がウィッグか何かにパウダーをふりかけて整えている時のように)、この大切な15分もの時間のロスにも納得がいくだろう。だが実際に起こっていることは何かというと、目覚ましの音を聞くと同時にとにかく歯だけは磨いておくというだけだ。それだけのことに15分もかかるはずがない。しかし証拠はすぐそこの時計盤に残されている。ただ時間を確認したというだけでまるまる1分もかかってしまうらしい。6時46分だ。

飼犬に餌と水を与えるのにさらに15分が必要となる。やかんのお湯が沸いている。7時1分には事態は少しはましになったように見える。子供たちを起こし、朝食を作り始める時間だ。ちょっと待ってくれ、ほんの少しでいい、紅茶を一口飲んで、犬を手荒く撫でてやり、新聞の見出しをチェックして窓の外を眺めたい。そうしているうちに30分が経った。これこそ人間の理解を超えている。子供たちはまだ眠っている。トーストは冷めつつある。時計は7時31分を示している。全く!

現在私が感じているのはこういうことだ。「たとえ午後であっても、時はPSR時間で進んでいる」(PSRとはPre-School-Run、学校の前の慌しい時間を指す)我々はマンハッタンから今夜ライブを行うブリッジスポットまでの長い距離を車に揺られることになるが、ちょうど通勤時間にあたるので、その「早い」時間を大事に使って頭を冷やしたり、私自身や、私の睡眠や、私の失敗や、私の功績や、そして私の薄くなった髪が全てではないということを心に刻んだりしようと思っている。学校に連れていかなければならない子供もいないことであるし。

今の状況においては、私にとって「学校」とは今まで演奏したことのないライブ会場と、素晴らしいプロダクション・クルーによって運び込まれ、設営され、我々の為に準備された見事なステージの上だ。スタッフの皆が充分な睡眠を取っているとはとても思えず、トラックやバスに乗っている間を除いて眠る暇などほとんどないと言える。このアメリカ中を回っている大昔のロックンロールの奇妙な移動式学校で、もしRogerと私が共同で校長を務めていたとしたら、我々は最初のホームルームとお祈りの時間のチャイムを午後8時45分ぴったりに鳴らすようにするだろう。そして勿論、PSR時間のあまりにも信じがたい速さにそのまま匹敵するような奇跡的な努力によって、スタッフ達はなんとか仕事をやり遂げている。

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# by yukie909 | 2006-11-28 14:42 | diary
2006年 11月 28日
28 November 2006 / Syndicated Grasshoppers - 10
[原文] 2006年11月28日の公式サイトの日記。
Syndicated Grasshoppers - 10
インタビュー連続掲載の10回目はあまりにも長くまとめようがありませんが、インタビューの最後を見ると、2006年9月の時点ではロシアや中国にまで世界ツアーを拡大したいという構想があったことがわかります。


(このインタビューは9月の北米ツアーがスタートする前にwww.newhousenews.comのKevin O'Hareにより行われた)

[このUSツアーでどんな曲を演奏したいと考えていますか?新しい曲と昔の曲とをどのように組み合わせるつもりですか?]

我々の最初の課題はファンが「マイナー曲」と呼んでいる曲、つまりこれまでめったにライブで演奏してこなかった曲を数多くリハーサルすることだった。Rogerは新作のヴォーカルをレコーディングしている間に喉の感染症にかかってしまったので、小さなリハーサル・スタジオでのセッションをすることができず、すぐにUSでのツアーで導入される照明やプロジェクター機器の計画を進める為の大部屋でのリハーサルに入らなければならなくなった。それでも我々は何とか良い新曲をいくつかリハーサルした。「Cry If You Want」はヨーロッパ公演で何度か演奏した曲で、前回のThe Whoのアルバム「IT'S HARD」の中でしっかり生き残った曲だ。また、新作のミニオペラ「WIRE AND GLASS」のショートバージョンもリハーサルした。USツアーでは全10曲を完奏するバージョンも時々セットに入れるつもりだ。

(※Peteによる脚注:我々のライブに足繁く通っているファンなら、完奏バージョンは未だに演奏されていないということをよくご存知だろう。残念だ)

[ライブでの新曲の評判はいかがですか?]

かなり良い。だがこれまでは若い観客が集まるフェスティバルに出演することが多かったので、大事を取って彼等の両親がベッドで愛し合っている時に聞いていたような曲を中心に演るようにしていた。

[The Whoの初期の頃から現在まで、貴方のライブ活動におけるステージ上での最も大きな変化とは何でしたか?]

The Whoはその長い歴史の中で様々な段階を踏んできた。今の状態はこれまでの我々の姿が根底から覆るような思い切った変化を経て辿りついたものだ。我々は今も昔の曲を演奏しているし、そのうちのいくつか、例えば「Won't Get Fooled Again」や「Baba O'Riley」のような曲は力強い音楽的バックボーンがある為に現在でも35年前と全く同じように響く。だが今のThe Whoのサウンドは以前ほどヘビーメタル的ではなくなり、パワーコードも雷鳴のようなドラムやベースも少なくなった。今のサウンドはいわば落ち着いたものになり、私もシングルラインを使ったリードギターを弾くように心がけ、現在もその技術を学び続けている。我々のサポートメンバーは人並みはずれた才能を持つ腕利きのミュージシャン揃いだ。我々が彼等に自分のしたいことを自由にさせるという珍しい機会があった時には、彼等はまるでロケットのような勢いで飛び立っていってしまう。

[今のThe Whoは昔のThe Whoではなく、何かが違うと貴方は言っていました。どのように違うのでしょうか、そして貴方は何を成し遂げたいと考えていますか?]

2002年にJohn Entwistleが死んだ時、我々は「2人のWhoではThe Whoにはならない」という真実と向き合わなければならなくなった。残ったメンバーがたまたま「フロントマン」だったことには助けられたが、The Whoのファンなら誰でもわかっているようにJohnとKeith Moonはバックバンドのミュージシャンなどという存在ではなかった。しかしRogerと私は、The Whoの昔の作品を演奏すること、それをうまくこなすことにかけては地球上の他の誰よりも長けている。我々は自分達がかつての姿とはもう違うということを知っているし、昔と変わらないふりを装うこともしない。その代わりに我々が行っているのは、昔の作品、そしてそれらの曲をこれまでの人生で聞いてきてくれたファン達を称えるということだ。

[貴方のウェブサイトの日記で今回のツアーの無料ウェブキャストに関して貴方とRogerが「戦争状態」にあるかどうかということが取り上げられた時、貴方はそれに対するマスコミの反応に気分を害されているようでした。実際にはこの時は何が起こっていたのでしょうか?]

日記の中のたった一文を取り上げ、一つの物語をひねりだしてしまう記者達のやり方には腹が立つ。しかしそれがインターネットというものだ。Rogerと私は戦争していたのではないが、The Whoのヨーロッパ公演をウェブキャストすることについて私はほぼ自分一人で関わっていた。それがこの先USツアーでも行われることになり、私が自発的に行っていたのと同じぐらいRogerに投資してもらおうという段階になった途端、Rogerが渋ったんだ。それが私には気に入らなかったし、Rogerと私はいつでも何に対しても意見がまとまるという訳ではない。この件は未だに我々の間で合意がなされていない事柄だ。

[マスコミについてですが、貴方はここ数年間で、特に英国のタブロイド紙において正しい扱いを受けてきたと感じていますか?]

イエス。何も文句はない。私は著名人であるし、レコードやライブのチケットの売上を伸ばしたい時にはいつだって新聞を利用している。その為に犠牲になるものがあるということをわかっている。私は英国の新聞業界に素晴らしい友人が何人もおり、もしミュージシャンになっていなかったとしたら新聞でレビューを書いていたはずだ、それは確信できる。2003年はじめにイギリスで私が児童ポルノ調査の為に逮捕された時、あれほど大きく報道されたことに驚いたが、それもあっという間に消え去ってしまった。全体的に見て、マスコミの私への対応は正しかったと考えている。

[貴方とRogerとの関係はどのようなものか聞かせて下さい。ビジネス・パートナー?古い友人?生き残った同士?]

その3つ全てだ。だが一つ足りないものがある。我々は高校時代からずっと一緒にやってきた、つまり我々は同じストリートから出てきた者同士なんだ。ステージでRogerと一緒に立っている時、私は彼が自分の親友だというような振りはしないし、彼が私の曲に敬意を表してくれるのと同じぐらい彼が私を好きだという振りもしない。しかし我々はお互い愛し合っているし、支え合っている。だから色々な意味でRogerと私は友人以上の関係だと言える。

[新作について。新しいアルバムに対して貴方ができたことを教えて下さい。この作品は貴方にとってどれほどエキサイティングでしたか?]

それについては言いたいことが山ほどある。恐らくRogerは私よりもずっと前から新しいCDを作りたいと考えていただろう。2000年ぐらいに彼がニューヨークのマスコミにそう発表したことを覚えている。その時彼が言っていたのは、彼とJohnは既に曲を作っていて、後は私の参加を待つばかりだということだった。しかし当時の私にとって問題は自分の意志だけで解決できるものではなかった。正解だったのは「The Boy Who Heard Music」を書き、連載小説としてインターネット上で発表したことだ。物語が発表されると400人ほどのグループの人々がフィードバックをくれた。連載が終了する頃には新しい作品の中心となるものが完成したとわかった。アルバムのうち12の曲がこの小説に関連したものだ。残りの曲はより新しい時代についてのものだが、作品にとてもよく調和している。このアルバムはシンプルな方法でレコーディングがされている。制作はヴィンテージのミキシングデスクと昔ながらの8トラック・テープマシーンで構成された私のホームスタジオで行った。いくつかの効果を大きなスタジオで追加したが、全ての曲はシンプルなオーディオ構成となっていて、派手すぎたり、独りよがりになりすぎたりしないよう努めた。新しい試みというのは実はほとんどない。「Fragments」という曲はややエレクトロニック風なサウンドになっているが、これは私のライフワークである「Lifehouse Method」計画の中でいつも私が行っていることの延長に過ぎない。
特に熱を入れて取り組んだのは「A Man In A Purple Dress」や「In The Ether」などのアンプラグドの曲だ。「~Purple Dress」はBob Dylanが昔歌っていたような曲で、「In The Ether」はStephen Sondheimの一連のオフ・ブロードウェイ作品のような雰囲気になっている。

[Rogerの言葉によると、貴方たち2人は強い力を持つ作品を生み出すことができなかったとしたらリリースはしなかったとのことです。貴方が「これはいける」と考え、世に出す価値があると判断したのはどの時点でしたか?作品の全てが一つにまとまる瞬間や曲というものがありましたか?]

私にとってそれはミニオペラ「Wire & Glass」となる曲のアイデアが浮かんだ瞬間だ。多分Rogerにとっては元々彼がとても気に入っていた「Mike Post Theme」「Black Widow's Eyes」に加えて、「A Man In A Purple Dress」と「Two Thousand Years」が生まれた時じゃないかと思う。

[「WHO2」アルバムの中心にあるものだと思われる「The Glass Household」について教えて下さい]

「WHO2」アルバムには現在ちゃんとしたタイトルがついている。「ENDLESS WIRE」と呼ばれることになるだろう。「The Glass Household」は「The Boy Who Heard Music」に登場する若者が組んでいるバンドのことだ。彼等は自分達にとってのロックの英雄である、年老いてみすぼらしい姿になったRay Highがかつて持っていた構想や野望を復活させることを決意した。

「The Glass Household」は1990年に長編小説の形で執筆が開始された。私は1986年にFaber & Faber社から短編小説集「Horse’s Neck」を出版しており、ぜひ次の作品を発表したいと考えていた。完成する前に私は交通事故を起こし、右手首を骨折してしまった。怪我が完治するまで長い時間がかかることになり、再びギターを弾ける保証もなかったので、私は劇場作品の計画をいくつか進めることにした。まず1991年に「TOMMY」をサンディエゴのLa Jolla Playhouseで上演する企画からスタートした。1993年にはそれがブロードウェイ作品へと広がり、私はそのことに後押しされて「The Glass Household」をベースにした物語「PSYCHODERELICT」を生み出すこととなった。同年の暮れにはロンドンのYoung Vic theatreで「THE IRON MAN」の新バージョンの上演も行った。

その年から、私は新しい物語仕立ての音楽作品を創り出そうと努力し、あれこれ試行錯誤を繰り返してきた。私はいつでも決まったテーマに何度も何度も繰り返し立ち返っている。戦後の英国社会に育った若者たちを取り巻く問題と、それにより生まれた拒絶と反乱が響き渡る様子、というテーマだ。1996年になって自伝の執筆に取りかかったが、すぐに気づいたのは「PSYCHODERELICT」で触れられていない素晴らしい物語がまだ自分の中に眠っているということだった。そこで私は小説「The Glass Household」に再び立ち戻り、異なる信仰の元で育った3人の子供達を見出した。彼等はバンドを組み、まるで自分達の体が粉々になってしまう程に衝撃を受けた昔のバンドを見にいくのだが、その昔のバンドというのは多くの部分がThe Whoに似通っている。

「Wire & Glass」のストーリーは私が昔から追い続けているこのテーマに根差したものだ。私は音楽(当然私の携わっている種類の音楽ということだが)と観衆(ライブを楽しむ為に集まった人々)が我々の根深い感情的・精神的な問題を全て解決してくれる、もしくは少なくとも解決への道を示してくれると信じており、この先もその信念から離れていくことはないと考えている。

[「Sound Round」の起源は1971年までさかのぼると聞いています。その他にも新作の中に過去のThe Whoもしくはソロ活動用に作られた作品はありますか?]

「Pick Up The Peace」も(「Sound Round」と同じく)私がThe Whoの「Lifehouse」プロジェクト用に作った曲が元になっている。私がソロを取る曲「God Speaks」も「SCOOP」シリーズのうちの一つにギター・インストゥルメンタル作品としてリリース済みだ。それ以外は完全に新作となる。これまで答えてきた10の質問への私の回答を聞いた後でも私のしていることが全く新しいことだと見なしてもらえたらの話だが。

[Johnが亡くなった後もThe Whoはツアーを続けましたが、中にはThe Whoはその素晴らしいキャリアに終止符を打つべきではないかと問いを投げかけている人たちもいます。貴方は活動を続けることに疑問を持ったことはありますか?また、ツアーを続ける原動力となったものは何ですか?]

続ける以外に選択肢はなかった。Johnが死んだのはツアー開始の1日前だった。Rogerと私は2人とも悩みに悩んだ。Rogerは続行と中止どちらになったとしても同意しただろう。私はいつでもセーリングに行く口実を探していて、この時は良い機会と言えた。しかし私は一緒に働いている人々、チケットを買ってくれた人々、そしてJohnとその家族に対する責任を果たさなくてはならなかった。そうすれば彼等が向き合わねばならないのはJohnの死と寂しさだけで済む。もし我々がツアーをキャンセルしていたら、Johnの葬儀が行われているところにThe Whoの財政危機という新たな伝説が刻まれてしまっていたことだろう。

[The Whoの初期の曲の中で、最も時代を超えて生き続けている曲とは何でしょうか?]

「Behind Blue Eyes」だ。年が経つにつれて評価が高まり、意味するものの深さも増している。しかし「TOMMY」の最後の部分、「Won't Get Fooled Again」、そして「My Generation」など、The Whoのライブのフィナーレを飾る為の存在感のある曲には事欠かない。

(※Peteによる脚注:このダイアリーをアップしている現在の時点では、観客の反応が最も大きい曲は「Baba O'Riley」だ)

[2006年7月、The Whoは最も有名なアルバムの一つ「LIVE AT LEEDS」の会場であるリーズ大学に再び登場しました。1970年のライブでの思い出はありますか?そして今回のライブはその時とどのように違いましたか?]

1970年の時はかなりクールなものだった。我々は週末という短い時間でライブアルバムを制作することに決めて、実際にそれをこなした。ミキシングは私がホームスタジオで行った。パチパチ、カチカチという音の混ざったレコードが完成し、そのレコードをボール紙のジャケットに入れてリリースした。2006年のライブはエキサイティングなイベントとなり、Rogerと私はまるで戻ってきた学者のような大歓迎を受けた。この日は心から楽しませてもらった。だが気温は一時40度にまで上がり、本当に暑かった。そしてこのライブがツアーの最初の公演だった為に我々の演奏はやや冴えないものとなったが、私はとても気に入っている。

[貴方のソロ活動の全アルバムがボーナストラックや追加曲付きでこの秋に再リリースされます。それらを聞いたり、当時のことを思い出したりする時、貴方が自分で最も気に入っている作品は何ですか?また、人々はリイシュー盤のどんな点に惹かれるでしょうか?もし1~2枚だけ買いたいという人がいたとしたら、貴方はどのタイトルを薦めますか?]

私のお気に入りは「CHINESE EYES」だ。私のソロ作品を既に手にしているファンの人たちは、もう聞いているかもしれないボーナストラック目当てに再び買い求める必要はない。だがThe Whoが遺してきたものを全て揃えたいと考えているなら、私やRoger、そしてJohnのソロ作品も必ず聞いておかなければならないだろう。

[新作に収録されている「They Made My Dreams Come True」では、貴方は「私が演奏した場所で人々が死んだ」と歌っています。明らかにこれは忘れがたい思い出と言えます。この一節について、またこの曲について教えて下さい。]

物語の中のこのパートは、ヴォーカルを取る年老いたナレーターが2つの悲劇について言及している。ひとつはRolling StonesのオルタモントやThe Whoのシンシナティのような、観客が亡くなった事件のことだ。もう一つは物語に登場する若者達のバンドで1人のメンバーが殺されたと思われる事件で、犯人は同じバンドの仲間と考えられるが、全てがはっきりとはわからない。彼が歌う夢とは彼等がコンピュータによって作られたオーダーメイドの音楽をインターネットを通じて広めるという内容で、これは近々私自身が「Lifehouse Method」のウェブサイト上で行おうとしていることと同じものだ。

[Keith MoonとJohn Entwistleが亡くなって、貴方はロック界の最高のリズムセクションを失いました。Pino PalladinoとZak StarkeyはThe Whoに何をもたらしてくれていますか?]

彼等はKeithとJohnとはまた別のロック界の最高のリズムセクションと言える。2人とも素晴らしいプレイヤーだ。

[貴方の公式サイトのバイオグラフィを見ると、貴方は「大規模な」ツアーに出るのを好まないとあります。もしそれが当てはまるなら、なぜ貴方はその大規模なツアーを再び行うのでしょうか?]

得るものが大きいからだ。我々はこれまでスペインでライブしたことがなかったが、マドリッド公演では1万人の若者の大観衆が我々を迎え、私がほんのわずかなギターのフレーズを鳴らす度に大喝采を送ってくれた。彼等の支えによって私の調子はどんどん上がり、まるでJimi Hendrixのような演奏ができた。実は今のは地元の新聞数紙のレビューに書かれていたもので、私が自分で言った訳じゃないが。我々にはそのような行くべき場所がある。私は自分の友人達や自宅、近所の人達、子供達や愛犬と離れ離れになりたくはない。しかし人生のほとんどの時間をただの月並みなミュージシャンとして過ごしている人間にとって、あのような瞬間を味わえるなら大事なもの達と離れるという代償を払うだけの価値はある。実のところ、この夏のヨーロッパツアーはとても楽だったし、楽しんで回ることができた。しかし数年前にイギリスで短いツアーを行った時はひどい悪天候で、私の小さい飛行機はまるで渦の中の木の葉のように風にもまれ、疲労困憊してしまった。このように、ツアー中というのは苦難に見舞われる可能性が常につきまとっている。なぜ人はそのような苦難を自ら進んで求めるのか?それは頭がおかしいからでもあり、また義務感に駆られているからとも言える。ほとんどのミュージシャンは「頭がおかしい」と言われることを喜ぶものだ。それに私は戦後のイギリス空軍内でミュージシャンを勤めた者を含む家庭で育ったことによる義務感を感じている。

[ファンが高い期待を寄せる中でThe Whoの新しい作品を作るというのは大変でしたか?]

そんなことはない。ファンの期待が高いからといってアルバム作りの何が変わる?何も変わりはしない。大変なのは作品の素材が自然に動いていく方向に沿うよう努めること、他の誰でもないこの私がThe Whoと呼んでいる存在にその作品がうまく合うかどうか見極めることだ。それができるようになったと自分で感じられる地点にたどりつくまで、長い間待たなければならなかった。辛抱強く待つことができたこと、時が来た時にすぐに制作に取り掛かることができて嬉しく思うし、生きてこの瞬間を味わうことができたことに感謝している。

[George Harrisonがよく語っていた言葉で、The Beatlesのライブ活動のピークは1960年のハンブルグ時代であり、彼等が存在していること自体を世界中が知るよりもずっと以前のことだったというものがありました。The Whoのライブ活動のピークはいつだと考えていますか?]

不思議な話だがかなり遅く、恐らく1975~76年前後だろう。Keithは昔ほどは元気ではなかったが、メンバー皆がその時の自分に満足しており、楽しんでいた。Keith Moonと共にステージに上がり、何か私がしたことや言ったことに対して彼が急に大笑いするのを見るのは本当に楽しかった。彼が死ぬ前にはそういうことが何度もあった。

[数年前、貴方は聴覚障害に悩まされ、ライブでほとんどアコースティックギターを弾いていました。今では耳にダメージを与えずにフルボリュームでエレキギターを弾く方法を会得できたのですか?]

ああ!フルボリュームで演奏したりはしていない。時々古いハイワットの機材を使おうとしてみることがあるが、あまりにも音が大きすぎて今ではとてもアンプの前に立っていることができない。危ないところで爆音で演奏することをやめ、今になってわかったことだが、この年までやってこれるだけの聴覚を保つことができた。いい時期に危機感を感じることができたと思う。私はこの件についてうるさく騒ぎ過ぎだったかもしれないが、John Entwistleは死んだ時にほとんど聴覚を失っていて、他人と話をする時には補聴器を2つも付ける必要があった。

[貴方のウェブ上の日記は有名ミュージシャンの誰よりも興味深い内容で、また率直に書かれています。インターネットを通じてファンと直接的なコンタクトを取ることができるということは、貴方にとってどのような意味を持ちますか?]

ありがとう。私の公式サイトは一方通行のコミュニケーションしか取れないが、自分が感じていることを伝えられ、それだけではなく真実を述べることができるのは良いものだ。また、ファンが言葉を返すことができるブログの運営も面白い。現在は私のブログは休止中だが、いずれ必ず再開しようと考えている。

[これまで質問になかったことで、貴方が伝えておきたいことはありますか?]

今回のツアーが事実上The Whoの初めての世界ツアーとなる。USツアーで得た利益はメキシコや南アメリカ、ロシア、もしかすると中国にまで至る新しい地域へとツアーを延長する為の資金にさせてもらうつもりだ。これほど大きなスケールで、新しい国へとツアーを続けるからといってこれが最後のツアーにしようというつもりなのではない。私はただRogerと私が健康で元気なうちに、何とかしてできるだけ多くの人達に我々の新しい曲を聞いてもらい、そして昔の曲を楽しんでもらいたいだけだ。可能なうちは、我々はどのような形であれつねに2人一緒にライブを行っている。我々にとってこれは終わりではなく、むしろ始まりだ。この年老いた2人の男共はロックの歴史に残る素晴らしい旗のひとつを掲げており、その旗を振っていこうと決意している。それには先にさっさと逃げ出した2人の仲間を追悼するという意味もある。Rogerと私にはお互いの存在があり、そのことは46年も昔の1960年、アクトンに住むガキだった我々が道ではじめてすれ違った頃よりも、今の方がずっと深い意味を持っている。

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# by yukie909 | 2006-11-28 02:10 | diary
2006年 11月 27日
27 November 2006 / A Grasshopper, his party, and a sceptical wife - 9
[原文] 2006年11月27日の公式サイトの日記。
A Grasshopper, his party, and a sceptical wife - 9
インタビュー連続掲載の9回目。饒舌なPeteです。


(今回の「Seeker」は米国の都市デモインの地方紙、Des Moines RegisterのKyle Munsonだ。私はインタビューの冒頭からおだてられて自分の賢さを誇示するような態度になっており、今見ると恥ずかしい。だがこれは昔からの私の短所でもあり、またこれらの興味深い質問に答える為にはいくらか偉そうな態度を取る必要があった)

[最近リマスターされた貴方のソロ作品の中では、澄んだメロディ、エレガントなストリングスアレンジ、貴方のユーモアのセンスが表れた生き生きとした歌詞に彩られた「Street In The City」がベスト・シングルだと思います。その次に来るのが「Rough Boys」と「The Sea Refuses No River」でしょう。(「Pure & Easy」も入れたいところですが、よりパワフルなThe Whoのバージョンの方が私は好きです)リマスターにあたって、自身のソロキャリアを振り返る時に誇りに思うこと、恥ずかしく感じること、またその他の気持ちを感じることなどについて教えて頂けますか?]

ソロ作品に本格的に取り組んだのはRonnie Laneとの共作「ROUGH MIX」からだ。私のデモ(ホームレコーディング)には、それを元にして作り上げられたThe Whoの作品とは違う魅力があるとRonnieはいつも言っていた。私は自分のデモの価値をよく知っていたし、彼の言葉が正しいということもわかっていた。しかし、私が家でレコーディングした曲とThe Whoとしてレコーディングした曲の違いとは、The Whoはプロフェッショナル・スタジオを使って頼りになるプロデューサーと共に作業しているというだけのことだと考えるようになった。ソロ作品でプロデューサーと共に仕事をするようになって(「ROUGH MIX」でのGlyn Johnが最初だ)、私のデモ制作でのスタジオ演奏はThe Whoの場合と同じように自分の曲を再び解釈するものになり得るとわかった。ステージで演奏した時と同様に、自分の作品に新しい「瞬間」をもたらすことができた。君が名前を挙げた曲を自分で聞くと、作曲者としての自己と同じく演奏者としての自己を感じる。私は歌い手としてその頃自分が残した仕事にとても誇りを持っている。

[これは決して誇張ではありませんが、BeatlesのLennon/McCartney、StonesのMickとKeith、KinksのDavis兄弟など、イギリスのクラシック・ロックの中心人物達の間において、貴方の数々の曲は崩壊した精神というものを徹底的に掘り下げたという点において傑出しています。例えば、Lennonは「Cold Turkey」を書きましたが、「Imagine」のような作品も作っています。ところが「My Generation」から「TOMMY」、そして現在に至るまで、貴方の作品は様々に形を変える、まるで精神のジェットコースターです。貴方がこれほど自伝的で、不安定な、繊細な曲を作るロックスターとなった元々の理由は何でしょうか?貴方は同年代の仲間の誰よりもインターネットの世界で生き生きと活動してきましたね]

彼等が掘り下げてきた崩壊した精神というのは私は持っていない。それは君たちのものだ。私が自分自身の精神を一つのモデルとして作品に取り入れているのは確かだが、作曲家としてまた演奏者としての私の役割は、刺激を与える者、思慮深いカウンセラー、擁護者、質問者、調停役、主戦論者だ。私は創造的なアイデアを自分の内側から引き出しているが、観客から受けるそれらの性質を元にした職人技を使ってアイデアを集めることもする。私にとって観客は私に仕事を与えてくれる貴重なパトロンだ。その仕事は私には難しいと感じることが何度もあるけれども、彼等は私がよくやっていると思ってくれているらしい。私は自分のやり方をもう長いこと変えておらず、未だに子供の頃のトラウマの償いについてくどくどと繰り返している。そのトラウマは70年以上にわたる戦後の拒絶の結果として我々全て(多種多様な人達)に教え込まれているものだ。50年代以降のポップミュージック(そしてそのマッチョな兄弟、ロックミュージック)は全く新しいものとして見出された。これらの音楽には創作する喜びと忘却という効能があるに違いない。我々は両親や祖父母がしてきたのと同じようにダンスをした。彼等の時との違いは、人と一緒に踊らなければいけないという必要を感じなかったということだ。我々のダンスは楽しむ為にではなく、セラピーの一環として行われるものだったからだ。

[貴方はパワーコードやウインドミル、ギター破壊などをめっきり見せなくなりましたが、ギタリストとしてのPete Townshendが広く誤解されている、又は見逃されていることとは何でしょうか?]

ウインドミルとパワーコードは大好きだ。訣別や力強さ、リーダーシップを求める観客の気持ちを代弁しているから。パワーコードを鳴らすのは、曲が始まる前に人々の注目を集める為にも必要だと考えている。

[最近では貴方はほとんど耳が聞こえないのではないかと思い込んでいるファンが多いようです。耳の調子はどうですか?]

全く見当違いな考えだが、彼等がそう思うのは無理もない。私は70年代はじめに早期の聴覚障害があると診断されたが、その時にはほんの軽いものだった。しかし私はそのことを周りの人に話し、症状と真剣に向き合った。そうしたことによって、私は自分の聴覚を守ることができた。今ではこの年齢にしてはかなりよく聞こえている方だ。

[The Whoの新しい曲についてRogerと言い合いをする時と、その曲をファンに聞いてもらう時とではどちらが神経がすり減りますか?]

どちらも神経をすり減らしたりはしない、なぜなら私にはすり減らす神経などないからだ。恐れを感じることはほとんどない。それは私が肝が据わっているからというのではなく、自分がすることの何が重要かについてよくわかっている為だ。Rogerはやけに私を褒めることが多いので、私は時々(自分のウェブサイトで)Rogerの私に対する態度について書かなければならないと考える。彼はまるで私の才能が神から与えられたものだと信じているようだ。それは確かに私が生まれた時に持っていたものをベースとしてはいるが、素晴らしい先生や名マネージャー(特に私が音楽活動を始めた頃のKit Lambert)、最高の友人達、そして勿論Roger本人によって更に磨かれ、支えられてきている。

[ツアーには何の本を持っていきましたか?]

Umberto Ecoの「The Name of the Rose」、Rolan Keltsの「JapanAmerica」、そして推理小説を沢山。

[セックス、ドラッグ、精神性、ロックンロール……これらの物事に対する貴方の確固たる見解は、The Whoの前回のアルバムの頃とは一変したようですが?]

それらについて、私は今もなお日々の暮らしの影となるものとして見ている。つまりそれら全てはそれら自身の姿を反映しているが、最も重要なのはロック・オーディエンスに対してどのような働きをするかだ。自分の人生に迎え入れたアーティストに対してどのようなものを求めるかは人によって全く異なる。私は自分をセックスやドラッグ、精神性、ロックの権威に仕立て上げようとしている訳じゃない。ただ人生において多くのThe Whoファンにとってはそれら4つの面が政治よりも重要だということを知っているというだけだ。

[私のブログ(DesMoinesRegister.com/Munson)に寄せられたアイオワのファンからの2つの質問のうち一つ目です。「Keith Moonがこの世を去って数年経った頃、貴方は『The Whoは最後のツアーを行って解散するべきだったと思う』と語ったと聞いていますが、現在John Entwistleが亡くなってもなお貴方とRogerはバンドを続けています。その原動力は何ですか?創造性の面で言えば、貴方もRogerもソロ活動として新しい作品を作ることもできたはずですが。(デモイン在住のSteveより)」]

Steve、その質問はRogerにしてくれ。ある意味では、彼はポップ界やロック界の優れたアーティストは死ぬまで音楽活動を止めてはならないといつでも考えている。彼は今までその考えが正しいと証明してきた。私としては我々自身が疲れ果て、うんざりして、あるいはただみっともなく感じる前に止めるべきだと信じていた。私は新しいThe Whoのアルバムをソロアルバムとしてリリースしなかった、そんな図々しいことはできなかったからだ。規模がはるかに違うのだから。

[他のファンからの質問です。「ベテラン・ロックバンドの中で、聴衆が今もなお興味を持てるような活力に満ちた新しい音楽をリリースしているアーティストはどんどん少なくなっているようです。(Bob Dylanは60年代にデビューして現在も興味深い新作を発表している良い一例と言えます)大きな観衆を集められるような作品を作るのは難しいですか?また貴方と同時代のアーティストで、最初に大きな人気を得た時と変わらず時代に即した作品を作っていると感じる人はいますか?(デモイン在住のMikeより)」]

それを実現させるのはより難しくなっていると思う。The Whoが有名になるきっかけとなった昔の曲達はまるで巨大な壁のようなもので、それに太刀打ちできるような曲を作ることができるようになるまでに私は24年間待たなければならなかった。その間に私は何百もの曲を作ってアルバムを数枚制作しており、自分が行ってきた音楽活動に誇りを持っているが、その「時代に即した」という言葉はとても重要だ。「時代に即しているかどうか」は観客によってのみ判断されるからだ。私が時代に即していると思うものでも君にとってはそうじゃないかもしれない。だが新しい時代についていく為には、Flaming Lips、Eels、Sigur Rós、Sufjan Stevens、Martha Wainwright、Rufus Wainwright、それ以外にも多くのアーティストの作品を聞いておかなければならない。

[次の質問はZzz Records (www.zzzrecords.com)の経営者であり、デモインのイースト・ヴィレッジ地区で中古レコード店を営んでいるNate Niceswangerからです。「やあKyle、僕の妻がTownshendに質問があるそうだ。『The WhoのメンバーはTV番組CSIのファンなのですか?それとも、彼等のレコード会社が曲を売り渡したのですか?』」
(※アメリカのTVドラマ「CSI」ではBaba O'Riley、Who Are You、Won't Get Fooled Againの3曲が主題歌に使われています。この質問の後半はこれで意味が正しいかよくわかりません)

私は「CSI」の熱烈なファンだが、そうなったのは最初のシリーズで我々の曲が使われてからのことだ。私は単純にTVドラマが大好きで、そのテーマ音楽の魅力を見い出すのも大きな楽しみの一つだ。例えば「アライアス」のオープニングでのイレブンビートのリフレインは特に気に入っており、それが聞こえてきた時には興奮のあまり文字通り飛び跳ねてしまう。ところでこの質問の陰には次のような一癖ある意見が見て取れる。「Who Are You等の曲は私達のものではなかったのですか?曲の持つ意味を変えるのは許されることでしょうか?これらの曲を私達に売った後にまたTVドラマにも売るなんて、貴方はIndian Giverと言えませんか?」
(※Indian Giverとは「一度あげたものを取り返すケチな奴」を意味する俗語です。Indianとは貨幣を持たなかったアメリカ原住民を指しており、彼等が贈り物をする時にはそれと同等の価値のものが贈り返されることが当然となっていて、もし相手が同価値のものを提供できない場合には贈り物は持ち主の所に戻された為にこのような言葉が生まれたそうです)それに対する私の回答はこうだ。「君が正しいのは正しいことを言っている時だ。残念だが君は無力でもある、だから諦めなさい」

[(インタビュアーKyle自身の質問)「私自身は彼に対して良い質問が思い浮かびません。唯一持っているThe Whoのエピソードでは、私は子供の頃に父のEP盤をよく聞いていました。特にお気に入りだった曲が確かEP盤「Pinball Wizard」のB面に収録されていた「Dogs, Part Two」です。この曲こそは昔も今も名曲だという私の意見を皆にわかってもらいたいです。」]

「Dogs, Part Two」は「曲」ではない。Keithは時には厄介者だったが、ほとんどの場合は彼がそこにいると楽しかった。その時は彼がB面曲を「作る」番で、この作品が彼が思いついた曲だった。彼はご親切なことに我々にもこの曲の印税を分けてくれた(我々の犬の鳴き真似が実に上手だったからだ)。

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# by yukie909 | 2006-11-27 14:18 | diary
2006年 11月 26日
26 November 2006 / Grasshopper 8 - IBC Studios
[原文] 2006年11月26日の公式サイトの日記。
Grasshopper 8 - IBC Studios
インタビュー連続掲載の8回目。The Whoが「TOMMY」のレコーディングにも使用しているロンドンのIBC StudioのスタッフBrian Carrollから送られてきた質問に答えています。


[IBC studioでの最も古い記憶は何ですか?]

Shel Talmyのアルバムのセッション(1965年)だ。
(※ファーストアルバム、「MY GENERATION」のこと)

[その時に一緒に働いたエンジニアやスタッフを誰か覚えていますか?]

ShelとGlyn Johns。それからDamon Lyon Shawを覚えている。

[私は貴方のトゥイッケナムの自宅にお邪魔したことがあり、貴方がデモを録音した場所を見せてもらいました。エンジニアリングに興味を持つようになったのはいつ頃ですか?]

アートカレッジ時代だ。学校で組んでいたバンド(The Detours)が私の初の自作曲をレコーディングしないかというオファーを受けた。レコーディングの場所は映画音楽制作で知られたBarry Grayのホームスタジオで、私は彼が自宅でEMIの機材を使っていたことに衝撃を受けた。

[貴方は「TOMMY」のレコーディングの為に数ヶ月間IBC studioで過ごしましたが、セッション代を捻出する為にツアーに出て、そのせいでレコーディングが中断されるのにはイライラしていましたか?]

そうだ。嫌で仕方なかった。定説では確かに「セッション代を捻出する為」となっているが、どうしてそうしなければならなかったかはよくわからない。当時我々はトラック・レコードに所属しており、トラック・レコードがセッション代を払うべきだったはずなんだが。

[IBC studioで曲を書いた記憶はありますか?]

1曲も書いていない。

[IBC StudioでJimi Hendrixに出会ったという話は本当ですか?(私の記憶では彼がIBCに来たのは「Hey Joe」をカッティングした日だけで、それは彼がこの曲をKingsway Studioでレコーディングした翌日の筈ですが)]

本当だ。コントロールルームでJimiに会った。アンプについてのアドバイスを求められた。彼は髪がボサボサで、くたびれ果てていて、埃まみれだった!その後ステージに立つ彼を見た時、その驚くべき姿と私がIBCで会ったあのシャイで汚らしい若者とが同一人物だとわかるまでに少し時間がかかった。

[The Whoの曲について、CDとアナログ盤とでは大きな違いがあると思いますか?]

違いはある。44.1kHzのCDの音は最悪だ。自分のアナログ盤に全て傷がついてしまったので、最初はCDを歓迎していた。だがすぐに44.1kHzの音には角があって、私には耳障りだと気づいた。もしかしたらその時既に私の聴覚が損なわれていたせいかもしれないが。

[The WhoとThunderclap Newmanのレコーディング以外で貴方がIBC Studioを使った時はありますか?]

ないと思う。

[私がマスタリングに関わった曲「Happy Jack」では貴方は「I saw ya」と言っています。その時貴方が見たものは何だったのですか?]

それはIBC Studioでの話ではない。その時我々はCBSにいた(当時はBond Streetにあったかな?)。Keithは皆が(コーラスを)歌うのを邪魔するなと釘を刺されていた。それで彼はコントロールルームの窓ごしにこちらを覗き見ていたんだ。

[最後の質問です。The WhoはIBC Studioに新しい風を吹き込んでくれ、John Adamsの下で多くの優れた曲が生み出されました。IBCでレコーディングした曲の中で貴方が気に入っているものは何ですか?]

「My Generation」。それから「Anyway Anyhow Anywhere」。そして勿論「Something In The Air」も好きだ。Brian、君も大きな力となってくれた。君にはアナログ盤のマスタリングについて色々教えてもらったし、一緒に働いていて楽しかった。

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# by yukie909 | 2006-11-26 17:32 | diary
2006年 11月 23日
23 November 2006 / Thanksgiving - Thanks Rachel
[原文] 2006年11月23日の公式サイトの日記。
Thanksgiving - Thanks Rachel
インタビューは一回休み。前回の日記とあわせて「I love Rachel」特集となりました。

今回のツアーにRachelを連れていけるのは本当に嬉しい。ツアーはいつも気楽な気分でいられる訳ではない。日程はタイトで、私はThe WhoとしてまたRachelと2人で様々なライブを合計80公演ほども行っており、来年も同じぐらい多忙になる予定だ。しかし我々は今感謝している……楽しい毎日や、素晴らしいファンや、良い友人や、ツアーを共にしている頼もしいスタッフやクルー、そしてお互いに。ああ。

船の準備は万端で、私はライブ前や終わった後にレコード会社やラジオ局の人々、サポーター、何かのコンテストの優勝者などと挨拶を交わす(ミート&グリート)のを楽しんでおり、時にはRachelもそれに加わっている。現在はツアーにThe Pretendersが参加しているので、この挨拶回りをベジー&グリートと呼ばなくてはいけないだろう。
(※The PretendersのヴォーカルChrissie Hyndeはベジタリアン。meetとmeatを掛けたジョークです)

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時にはこの年寄りは疲れ切ってしまうことがある。こうなっているのはサングラスが重いせいだ。

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# by yukie909 | 2006-11-23 12:59 | diary
2006年 11月 23日
23 November 2006 / French Grasshopper - 7
[原文] 2006年11月23日の公式サイトの日記。
French Grasshopper - 7
インタビュー連続掲載の7回目、パリのVirgin magazineによるもの。
最後の方でツアーが2007年11月に延長されたとの注が入っていますが、これについては後にアップされた日記で「やはり7月で終わりそうだ」と訂正され、Zakの正式加入についてもZak本人の意向で実現しなかったことが書かれています。


[The Whoは過去25年間に何度か解散(正式にではなく)しています。今回また集まったのはなぜですか?]

いや、The Whoは1982年に正式に解散した。その理由は、バンドが創造的な力を持ち続けるのに必要な曲をもうこれ以上作れないと私が感じたからだ。我々は何度も再結成ツアーを繰り返し、最近でも昔の人気曲を「称える」為のツアーをした。そういうツアーを楽しんでやってきたし、若いファンが増えるのも嬉しかったが、今回は新しいアルバム無しでThe Whoに戻ることは絶対になかっただろう。

[どこで、いつ、そしてどのように、The Whoがまだ健在だということを実感したのですか?]

The Whoは名前であり、アイデアであり、ブランドであり、マニフェストだ。それ自体が生きて存在している訳ではない。Rogerと私はまだ終わっちゃいないということに気づいたのは、John Entwistleが死んだ2002年のことだったと思う。その時私は今こそ次のうちどちらかをする機会だと考えた。1つ目:Rogerに今度こそ終わりだと伝え、もう二度と「The Whoの振り」をしなくて済むようになる。2つ目:我々二人、そして我々の観客(最近の若いファンと昔からの年老いたファン両方)が求めている新しい音楽を作り出すことにチャレンジできる。The Whoとしての名前、アイデア、ブランド、マニフェストを我々が続けていけるだけの良い曲を用意できたとようやく私が自信が持てたのは、今年(2006年)の1月になってからだった。

[このアルバムは単体の曲と貴方の新しいミニオペラ「Wire and Glass」とが組み合わされたものになっています。どのようにアルバムを構成していきましたか?]

まずは単体の曲から作業に入った。そのうちのいくつかは私の書いた「The Boy Who Heard Music」に漠然と関連を持たせたものだ。2005年の年末の時点では10曲ほどが揃ったが、ちゃんとしたThe Whoのアルバムを作るにはまだ不足していた。「The Boy Who Heard Music」をベースにしたミニオペラを作ることにした時に、ようやく軌道に乗ったと感じた。私はまず物語(私の公式サイトで発表されている)を読み返し、そこで起こったことを「歌詞用のあらすじ」と呼んでいるものにまとめた。私はこのミニオペラを舞台に似たものではなく、舞台をベースにした、もしくは舞台にインスパイアされた曲の集まりにしたいと考えていたので、そのあらすじを使ってゆるやかに繋がりつつも極端にまとまり過ぎない10曲を作り上げた。

[このロックオペラの背景にあるストーリーとはどんなものですか?]

物語は1人の人物、Ray Highの視点から語られる。彼は療養所にいる年老いたロックスターだ。毎日瞑想にふけっている彼は、エーテルの中を漂っていると無線ラジオの通信、音楽、声などのメッセージが聞こえてくると信じており、平和を得る為にそれに耳を貸さないように努めている。ある時彼は聞き覚えのある声を耳にする。Gabrielの声だ。Gabrielはもう一人のRayが知っている声、Joshに語りかけようとしている。GabrielとJosh、そしてLeilaはRayの近くに住み、彼が成長を見守ってきた3人組だった。彼らは3人とも異なる信仰の下に育ち、それぞれが特別な才能を持っていた。彼は3人を覚えていて、彼らが自分達の両親や身内の心を一つにするのに奮闘する様子を再度見守ることにする。彼らは「Trilby's Piano」という舞台を上演し、3人のうちの1人の叔母ともう1人の叔父が恋に落ちる手助けをすることで目的を果たそうと試みる。結果は大成功となった。その後彼らはMethodと呼ばれるインターネットの装置について書かれたRay Highの古い書類が隠されているのを見つける。彼らは何枚かのアルバムを作り、金持ちになり、人々に広く知られるようになる。彼らの夢はニューヨークで「Trilby's Piano」を盛大なコンサートの形で再び上演し、Ray Highが諦めた夢を復活させることだ。エーテルの中で瞑想しているRay Highは、物語のこの時点では実際にはコンサートは行われていないということが見えるのだが、コンサートは皆の想像の中で行われており、それは真に素晴らしいことととなる。しかし現実には、子供達の「Trilby's Piano」の再演はニューヨークなどではなく療養所の中で行われていた。JoshとLeilaはRay Highと共に療養所におり、JoshはRayの隣の部屋だった。

(※Peteによる脚注:勿論、ニューヨークでのコンサートは現実に実現可能だと信じたいと思っている)

[2006年の今、ロックオペラにコンセプトについてどう考えていますか?]

私がやるべきことだ。The Streets
(※バーミンガム出身のラッパー、Mike Skinnerのソロプロジェクト。現代のイギリスの若者の日常や社会を取り上げた歌詞が共感を呼んでいるそうです)も同じことに取り組んでいる。今もなお健在なテーマだ。

[新作は「WHO'S NEXT」のオープニングによく似たキーボードの音で幕を開けます。これはちょっとした遊びでしょうか?]

そういう部分もある。だが「WHO'S NEXT」も同じように仮想現実とインターネットに関する物語をベースに作られた作品だった。それが「Lifehouse」だ。そして君が指摘しているキーボード音は、「Lifehouse」で登場したアイデアを基にしたソフトウェアを使って創り出された。ちなみに「Lifehouse」とは、先ほどの説明に出てきた「Ray Highが諦めた夢」と同じことだ。

[The Whoの物語の新しいページが開き始めた今、Rogerと貴方の関係(芸術家として、また友人として)はどのようなものになっていますか?]

Rogerとは不思議な関係だ。我々はきっとThe Who以外の場所で一緒に働くことはあまりないだろうし、親密に付き合うこともないだろうが、このThe Whoというアイデア、ブランド、マニフェストは我々が2人で理解し、所有しているものであり、The Whoと共に再びツアーを回ること、The Whoをより良いものにして、発展させていくことは2人にとっても喜びだ。我々はお互いを深く尊敬している。良い友人であるからこそ相手の意見に異を唱えて言い争ったりもできるが、決して離れることはない。つまり、今となっては家族みたいなものだ。

[実際のThe Whoのメンバー編成とはどんなものですか?例えば、長い間一緒に活動してきたRabbitとKeith Moonの跡継ぎとも言えるZakについては正式なメンバーと考えていますか?]

いや、2人は我々のツアーバンドのメンバーという立場だ。彼等は我々の音楽において一切クリエイティブな役割を担っていない。だが彼等は並外れた才能を持つミュージシャンで、特別なものを我々の音楽に与えてくれる。悲しいことだが彼等のどちらも代わりは利くし、実際に代役が立つことも多い。Rabbitは「The Concert For New York City」には出演していないし、ZakはLive8で叩いていない。

(※Peteによる脚注:このインタビュー以降、ZakはThe Whoのメンバーに加入するようオファーを受けている)

[John Entwistleはかつて「ロックは死んだ」と「ロックよ永遠に」の2つを同じ曲で歌っていました。2006年のThe Whoにとって真実はこの2つの宣言のどちら寄りにありますか?]

現在では昔ながらのロックはきっと死んでいるだろう。つまり、世界を変えようとしたロックというものだ。今では我々は観客こそが王だとわかっている。これは私が「Long Live Rock」を書いた1975年からずっと変わらない構図だ。

[2008年に舞台を計画しているとのことですが、それについて少し聞かせて頂けませんか?]

「The Boy Who Heard Music」を舞台作品の形に発展させるべくライセンスを行っている。この先どのように進んでいくかはまだわからない。また、2008年にはRogerとともに「TOMMY」の40周年を記念してスペシャル・バージョンを行いたいと考えている。だが、現在のツアーは2007年7月まで続くので、そんなにすぐ新しい計画を進める時間が我々にあるかどうかわからない。

(※Peteによる脚注:現時点で、ツアーは2007年11月まで延長された。「The Boy Who Heard Music」は実際にはライセンス許諾は未だ為されていないが、舞台作品になる可能性はある。私は2008年やその先までThe Whoのライブに関わらなければならない為、この件について本気で打ち込むことができない。また、「TOMMY」の40周年は2008年ではなく2009年だ。)

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# by yukie909 | 2006-11-23 01:16 | diary
2006年 11月 23日
23 November 2006 / French Grasshopper - 6
[原文] 2006年11月23日の公式サイトの日記。
French Grasshopper - 6
インタビュー連続掲載の6回目、フランスの音楽雑誌に掲載されたもの。キーボードとレコーディングの専門誌らしく機材の話が多く出てきます。自伝の完成までにはあと3年ほどかかるそうです。


(今回のインタビューはフランスの「Keyboards & Recording Magazine」のChristophe Geudinにより2006年9月に行われたものだ)

[貴方は「IT'S HARD」以来24年ぶりとなるThe Whoのスタジオ・アルバムを携えて戻ってきました。これらの新曲を自分のソロアルバム用に取っておくのではなくThe Whoに提供したのはなぜですか?]

ソロアルバムを作りたいとは思うが、自分で宣伝しなくてはならないのが嫌なんだ。私はライブをするのは好きだ、でもソロ活動の場合は長いライブの間全て自分で歌うことになる。それを心から楽しんでいても、相当疲れてしまうということがわかった。最後にやったソロ・ツアーは1993年の「PYSCHODERELICT」の時で、素晴らしかったが疲労困憊した。The Whoなら楽にやれる。朝飯前だ。Rogerは私よりはつらいだろうと思うが、我々はその負担を分け合っている。

もしこの新作の曲がThe Whoに合わなかったとしたら、舞台か映画で使うことを考えていただろう。

[貴方は「LIFEHOUSE」以来多くのプロジェクトを進めてきましたが、この「Endless Wire」がその最終形となるのでしょうか?それともまだ続きがありますか?]

いつか終わりを迎える日が来るだろうか?私はこの先新しいアイデアが浮かぶだろうか?私はもう61歳で、このアイデアは物語そのものというよりも、むしろ私が何を信じているかということの反映であり、それはロック・ミュージシャン(全てのミュージシャン)が作品で表現していることだ。だが突き詰めていくと、私が曲を作る時のテーマはいつも同じものになってしまう。私が曲を作るのは、我々の両親の世代が感じた自分達の混乱や苦しみの戦後の否定によって我々の世代が受けた痛みを和らげたいからだ。その否定は我々の世代に真のトラウマを生み出したが、我々の子供もまたそのトラウマに悩んだかもしれない。現在の新しいバンドの曲には、時々怒りに襲われたり、両親のようになりたくないと願うような内容のものが確かにある。

[新作は初めてKeithとJohnの2人抜きで制作されたThe Whoのスタジオアルバムとなります。制作中にそのことによる違いを感じたりはしましたか?]

このアルバムはほとんど私1人で作った。JohnやKeithを必要だと思ったり、いなくて困ると感じたことはない。Rogerは我々の大事な友人Billy Nichollsのプロデュースの元にヴォーカルを加えた(だからRogerにも、私がそうしたように彼が一番やりやすい形で進めてもらった)。その方法でとても良い結果が出たと思っている。フルバンドによるライブの形で行うレコーディングも好きだが、この作品でそれを実行するとなると全てを最初からやり直さなければならなくなってしまう。我々を「バンド」として見てもらわなくては、という願望を満たす為だけに再度レコーディングを行う必要はないと考えている。我々はデュオであり、一緒にツアーを回ってくれる優れたミュージシャンにも事欠かない。

[「ENDLESS WIRE」ではどのような楽器を使っていますか?(遠慮せずに細かく教えて下さい!)]

ほとんどの曲はまずシンプルにアコースティックギターかピアノのトラックを直接Studerの8トラック・テープマシンにテープスピード15ipsのドルビーなしで録音した。使用したアナログ・テープはAmpex社の499だ。デスクは1066モジュールの古いNeveのブロードキャスト・デスクで、私はこのモジュールとデスクを1971年からずっと使っている。その後にベースとマンドリン、エレキギター、私のヴォーカル(後でRogerのヴォーカルと差し替えることも考えつつ)を加えた。バッキング・ヴォーカルを多く必要とする時には、24トラックのRADARシステム(かなり古いもので、たった16ビット/48kHzだが、様々な要因によってとても豊かな良いサウンドが得られる)を接続した。「WIRE & GLASS」ではわかりやすい歌詞とテンポ指示でスタートした。その頃からAbletonLIVEまたはSTYLUSを使ってシンプルなドラム・トラックを作り、その上にエレキギターやアコースティックギターを重ねた。それからそれらのサウンドをテープマシーンに移し、曲作りを進めていった。私はAppleコンピュータを愛用している。

MIDIの作業はDigital Performerをベースに進めた。ProToolsよりもこちらの方が自宅で行う作業に向いている。ピアノモジュールは良いサウンドを得る為にIVORYを使用しているが、MIDIでヤマハのアップライトピアノを弾くこともある。1~2年前までは大きなシンクラヴィア・システムを愛用しており、今もそのサウンドが気に入っているのだが、私の家ではあまりに場所を取り過ぎた(2つの高いタワーと巨大なトランスフォーマーから成る為)。現在は自宅近くにあるプロ用スタジオに設置しているが、今回のアルバムではシンクラヴィアは全く使っていない。

このアルバムでは私はヴァイオリン、マンドリン、マンドーラなど色々な楽器を演奏し、1970年以来久々にドラムも叩いた。楽しい時間だった。

ミキシングは24ビット/96kHzのProToolsHDシステムを使って行い、大抵はGenex DSDにミックスダウンする。アナログ・テープマシンの名機をいくつか持っているのでアナログ・テープへのミキシングを試してみたが、まるで1/2インチテープのように良いDSDサウンドの1インチテープ・ステレオマシンが見つかったのでそちらに移行した。

[「Fragments」はMethodソフトウェアを使用してレコーディングされたとのことですが、この革新的なソフトについてもう少し詳しく教えて頂けますか?どのように音楽が生み出されるのですか?ポイントは何ですか?]

EelPieはこのソフトウェアを使って作曲された作品を集めたアルバムをリリースする予定だ。このソフトは私の指示により、作曲者のLawrence Ball作の「Harmonic Maths」と呼ばれるアルゴリズムをベースにして、Dave Snowdonがプログラムを組んだ。私はこのソフトがどのように動いているかはわからないが、私が彼等に行った指示は単純なものだ。1人の人間がウェブサイトを訪れ、音楽を聞きたいと望む。そのウェブサイトはいくつかの簡単な質問を提示し、音やリズム、声などのインプットをするように求める。それにより世界に一つしかない曲の断片が生み出される。

このような曲のかけらがいくつも作られ、将来コンサートで演奏される日が来たら、我々皆が行ってきたことが一斉に称えられるだろう。

[貴方は60年代半ばにおいて自宅にホームスタジオを設置した最初のロック・ミュージシャンの一人です。その理由は何ですか?プロフェッショナル・スタジオでレコーディングを行うのは好きではなかったのですか?]

プロ用スタジオも好きだ。私は自分のスタジオを4つ所有しているし、さらに移動用スタジオもある(船に設置したスタジオがあるぐらいだ)。駄目なスタジオでも必ず何かしら良い部分があるから、全てのレコーディング・スタジオが気に入っている。ホームスタジオが欲しいと思ったから自宅に構築したというだけのことだ。

[70年代の終わりから80年代にかけてデジタル音楽が爆発的に広がりましたが、貴方はそれにどう対応しましたか?]

シンクラヴィアを購入し、世界でもいち早くハードディスク・レコーディングを取り入れた。そして私はインターネット(グリッド)の台頭を1971年に予言し、音楽のダウンロードが広がることも1985年にRoyal College of Artで行った講義で言い当てていた。これはそれほど大したことじゃない、何しろ1961年には既にEaling Art Schoolの私の先生達がアートの言語とツールをインターネットがどのように変えるかについて語っていたのだから。

[貴方はホームスタジオの機材をまめに新しくしますか?もしそうなら、一番新しいラインナップはどんなものですか?]

むしろできるだけ新しくしないように努めている。時間の無駄になることが多いからだ。だが時には必要となることもある。最近AppleマシンをG4からG5に変えたのだが、古いソフトウェアとオーディオカードを新しいマシンで使えるようにするのに何ヶ月もの間悪戦苦闘している。1967年にPepy Rushが私用に作ってくれたリミッターも未だに現役だ。だがEdirol(Roland)が新しく出したビルトインマイク付きステレオ・レコーダーは気に入っている。レコーディングで充分使えるデモがあっという間にできる優れものだ。

[フランスの家でもミキシングを行ったそうですね。フランスにもホームスタジオを持っているのですか?]

フランスではStuder AWS900+をメインに組んだ移動式のProToolsシステムを使った。フランスの家にもスタジオ・ルームがあることはあるが、ちゃんとした機材は置いていない。

[「SCOOP」シリーズの続編をリリースする予定はありますか?]

現時点では考えていない。

[ギタリスト達が気になっている質問です。貴方は以前SGのギターをよくカスタマイズしていましたよね。その作業を実際にしていたのは誰ですか?貴方ですか、Gibsonですか、それとも貴方のギター担当スタッフ?例えば、GibsonのギターにSchallerのチューニングキーを組み込むというようなことにGibsonは関わっていたのでしょうか?]

いや、彼等は箱から出したそのままのギターのことしか考えていないし
(?)、正直言ってギターの作りはかなり雑だった。私にとってSGはHi-Wattのスタックアンプで鳴らさない限り良い音が得られないギターで、今の私にはあのアンプは音がデカ過ぎる。ビブラートをかける為にネックを前後に動かしただけで壊れることもよくあった。当時はチューニングキーは標準のものを使っていた。今ではFender Custom ShopのStratocasterを愛用している。FenderのVibroKingアンプで弾けばパワフルな素晴らしい音が鳴る。最近Gibson Custom Shopが出した私のシグネチャー・モデルのSGも何本か持っているが、70年代と比べて格段に良くなった。見事なギターで、昔よりずっと力強い音が出るように感じる。

[本当に大切にしていたギターを破壊したことはありますか?]

1~2回ある。だがギターはただの道具に過ぎない。悲しいことだが、「芸術における破壊シンポジウム」の創始者の一人であるGustav Metzgerも提案しているように、ギターはブルジョアによってポップアートが量産されていく道具でしかない。私はもうこれ以上ギターをわざと壊すつもりはないが、これまで私が破壊したギターは、私のアーティストとしての役割をより確かな、より誠実なものにする為の声明の一環として壊されてきた。慎ましやかなギター制作者に対して時々申し訳なく思うが、こういう事情だから仕方ない。それよりもこの間の戦争の爆弾の方が私が想像もできないほど貴重な楽器を数多く破壊してしまっただろう。

[貴方は最近「もう決してギターを破壊しない」と宣言しました。自分の武器を守るということですか?]

ギターは武器ではないし、私の目には武器に代わるものにも見えない以上、私はもう二度とギターを壊したりはしない。

[新しいThe Whoのツアーが数週間前にアメリカでスタートしましたが、観客に新しい曲を披露することで刺激を受けたりはしますか?]

ああ、大いに受けている。だが我々のツアーは今年の6月にヨーロッパでスタートして、フランスでも2公演行った。新曲なしの状態ではツアーに出ようとは考えなかっただろう。

[The Whoのライブをウェブキャストする計画がRogerの反対により中止となりました。それについてはどのように感じていますか?将来CDやDVDの形でライブの模様を楽しむことができるようになりますか?]

問題ない、我々のライブは全て撮影されているので見たいと思う人はいずれ見られるようになる。ほとんどの公演はwww.themusic.comでDVDを購入することができる。

[Keith Moonの映画の制作に貴方個人は関わっていますか?]

無関係だ。

[自伝の執筆は進んでいますか?いつ発表されるか大体の予定は決まっていますか?]

書ける時にできるだけ書くようにしているが、毎日ある程度決まった時間執筆に専念できる時が一番はかどるようだ。3つの時期については書き上げたが、ようやくThe Whoがヨーロッパでオペラハウスを回って「TOMMY」を演奏するツアーの部分に到達したばかりだ。1969年のパリ公演のことは鮮明に覚えている。とても楽しい思い出だ。自伝は恐らく3年以内には出版されるだろう。

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# by yukie909 | 2006-11-23 00:55 | diary
2006年 11月 21日
21 November 2006 / Grasshopper 5 - Who washes the dishes?
[原文] 2006年11月21日の公式サイトの日記。
Grasshopper 5 - Who washes the dishes?
インタビュー連続掲載の5回目。パートナーのRachelについてこれほど長く語っているテキストは少なくともサイト上には今までありませんでした。
意味がわからないと書いた「Grasshopper」ですが、もしかしたら「Gossipper」(ゴシップを好きな人、ゴシップを振りまく人=メディアの人間)と掛けてるのかも?という気もします。全くの見当違いかもしれませんが。


[貴方とRachelはお互いがそれぞれの音楽活動にとって共鳴板のような役割を果たしているように思えます。貴方がRachelの曲に新しい方向性を示したような、そしてRachelが貴方の曲にアイデアを提供したような例を挙げてもらえますか?]

まさしく君の言う通りだが、そのバランスは一定という訳ではない。Rachelは制作中の自分の曲を他人と分かち合うことについて私より長けている。私は彼女のホームスタジオのエンジニアの役割も担っている、なぜなら私はレコーディングそのものが好きで、彼女が新しい曲をテープに録音する作業に取り掛かる準備がいつでもできているからだ。彼女からも聞いているかもしれないが、彼女は書きかけの歌詞を完成させるのに急に私の助けを求めたり、私が家で弾いていたギターのフレーズを欲しいといきなり言い出すことがよくある。私はそれをとても楽しんでいるし、そのおかげで私の家は犬の散歩や食事の準備といった日常の細々としたことの合間にも音楽と創造性に満ちた場所となっているように感じている。

私が曲作りをしていて作曲者としての自分の能力を超えた部分に差し掛かった時、Rachelのアドバイスが欠かせないものとなる。例えば近々発売されるThe Whoの新作の中の1曲「In The Ether」は、私のいつものスタイルと全く異なっている為に他人に聞かせることに慎重になっていた。彼女はこの曲を熱烈に気に入り、絶賛し、「天才の作品」と言ってくれた。その言葉で私は勇気を得て、ブログでの小説「The Boy Who Heard Music」の連載にこの曲を添えて読者から励ましを貰い、Rolling Stone誌で3つ星のレビューとそれ以上の希望を受けることができた。

Rachelは作曲家としては最先端を行っている。彼女は本格的なオーケストラのスコアを書くことができる。この分野の彼女の活動については開花がかなり遅れた。彼女は10代の時に作曲を止めてしまっていたが、後になって再び自分の内に作曲への興味を見出し、ヒット曲を作る技術に長けたJo Youleと共同で地道な活動を始めた。これによりRachelは進むべき道をしばらくの間外れてしまったと私は考えている。2人はいくつか素晴らしく良い曲を作ったが、小綺麗でお洒落な、ラジオでかかりやすい曲をもっとコンスタントに作ることをJo Youleが求めるようになり、Rachelの曲作りへの情熱は損なわれ続けてしまった。私はRachelが仕事への情熱を見つける手助けをしようと努力した。それには作る曲の内容と同じぐらいに作る過程が重要だ。彼女はすぐに曲作りを楽しむようになり、悩みや技術的な遅れもなくなった。

[違う角度から考えると、貴方はRachelの作曲家としての方法論(彼女の技術、ヴォーカルの質、そして経験)に口を出さない方が良いと考えていますか、それともやはり自分の意見は隠さずに伝えたいと思いますか?同様に、貴方の音楽に対するRachelの意見についてはどうでしょうか?]

彼女は私の持っていない、この先も持つことができないような技術を持っているし、逆に私は彼女が学ぶ必要のある技術を持っている。しかしこのThe Whoの新作において私がはじめて成し遂げたのは、収録曲の一つ(Trilby's Piano)のストリングス・セクションを自信を持って作曲し、外部の助けを一切受けずに演奏者を集め、レコーディングしたということだった。Rachelが私の仕事をチェックし、あちこちに手を加え、セッションでミュージシャン達を監督してくれた。彼女のサポートがなければきっとコントロールを失っていただろう。

彼女はその鋭い性格にそぐわない天使のような歌声を持っているが、その声はとてもかわいらしい。Rachelは女性として「かわいらしい」タイプではなく、私の目から見るととても美しいし、「セクシー」に見えることが多いが、彼女の歌声はまるで楽器そのものであり、その声で歌うのに彼女は今もなお勇気を振り絞っている。これはデリケートな問題で、今では我々2人とも彼女の声は子供時代のクラシック・オルガンの猛練習(身体的にも精神的にも相当消耗したらしい)のせいでこんなにも慎ましく控えめな響きになったのではないかと考えている。

[「It's Not Enough」について教えて下さい。最初にこの曲を聞いた時、貴方はどんな気持ちに襲われましたか?なぜ貴方の耳にはThe Whoの曲らしく響いたのでしょうか?当初のバージョンから大幅に形を変えましたか、それとも完成後もRachelの創作(メロディ、雰囲気、アレンジ、曲のテーマ)であることがよくわかる仕上がりでしょうか?]

ある時Rachelに「ラジオで繰り返しかかるようなヒット曲を作りたいと思ったら、私の編み出した絶対に確実なテクニックを試したらいい」と薦めたことがある。そのテクニックとは、ドライブ中やジョギング中のBGMに最適な、ゆるやかにうねる周期的な電子ループを見つけ出し、それにごくシンプルな繰り返しのコード(できるだけ力強いもの)をいくつか重ねて、ひたむきな歌詞を乗せるというものだ。Rachelは「Magic Flute」と名づけた曲の制作にその方法を取り入れてみた。しばらくの間彼女はこの曲を完成させようとしていたが、あまり気が乗っていないのが見て取れた。私は彼女に私のジャズ風のギター・コードを彼女の曲「Just Breathe」に使わせてほしいと言われてOKしていたので、逆に彼女のバッキング・トラックをThe Whoのアルバムに使いたいと頼んだ。歌詞を変え、迫力に満ちたギター・パートと目立つバッキング・ヴォーカルを付け加えた結果、完成したのが「It's Not Enough」だ。ラジオで「The Whoの新作から2~3曲選んでかけよう」というような時に、この曲がよく選ばれている。

Rachelはかなり後になるまで自分がこの曲を作ったということを言わなかったが、それこそが何故この曲がこれほど優れたThe Whoの曲になったかという問いへの簡単な答えなのかもしれない。Rachelが感情豊かな曲を作るだけでなく、更に経験を積んで技術をも身に付けた今、私はもうこういう形で曲を作ることができない。彼女が歌詞のアイデアを思いつき、それをいとも容易く作品に取り入れていく様子を見て、私は何度も驚かされている。彼女が曲を完成させる手助けをすることがよくあり、それは場合によりただ「もうこの曲は出来上がっているよ」と言うだけの時もあるし、必要な単語一つや韻一つを一緒に探す時もある。

[RachelのEPやアルバムの中で特に気に入っているのはどこですか?貴方の影響を受けていない部分で、貴方が最も誇らしかったり、感動したり、驚かされたりしたところは?(私個人は「Just Breathe」の歌詞が良いと感じました)]

特に好きなのは「Just Breathe」だ。彼女の番組「In The Attic」や彼女のコンサートでこの曲を2人で演奏するのは楽しい。彼女の曲の中で最も気に入っているのは、彼女が「In The Attic」で一緒に司会を務めているMikey Cuthbertについて歌った曲、「Happy To Be Sad」だ。この曲を作ってもらった彼が羨ましいし、私には自分では嫌いではないがやや保護者ぶった欠点がある。彼女が大人になってからはじめて作った曲の中に「Angel(天使)」があり、この曲のおかげで彼女はユニバーサルのトップDoug Morrisと契約するに至った。しばらく彼女は複数の人間に「その天使とは貴方のこと」と語り、私にもそう言ってくれた。だが私はその言葉を信用していない。Rachelの人生には多くの「天使」達がいて、彼女は他のアーティスト同様に、過去から現在に至るまでの人生で豊富な(そしてプライベートな)経験を積み、その蓄積が歌詞のアイデアの源となっている。彼女にとっても私の歌詞を聞くのはつらいことだろう。私はこれまで数多くの曲を作ってきており、そこではRachelと私がまだ会ってもいない頃より前の私の人生に登場した出来事や人々について歌われているからだ。

「ENDLESS WIRE」用の曲を制作している時、Rachelに意見を求める機会は多かったですか?Rogerは直接制作に関わっていたと思いますが、貴方の恋人であり、同時に優れた作曲者と編曲者でもあるRachelの影響についてはいかがでしたか?]

Rogerは制作にはそれほど関わっていない。私の仕事にとって彼は心配ばかりしている投資家で、できる限り辛抱強く待っていてくれたが、バンドでのスタジオ・レコーディングの形でアルバム作りをしたいと考えていたようだ。結局私がバンドと離れて一人で作業する形を選んだので、彼はほとんどの部分が完成するまで曲を聞くことすらできなかった。ちなみにこの方法はThe Whoの黄金時代にしていたのと同じものだ。曲の背景にある物語に関してはRachelに多くの意見を求めたが、曲そのものについては求めていない。曲作りやギターの演奏と同様に、私はホームスタジオでのレコーディングについても「熟練工」だからだ。Rachelはホームスタジオでの作業の最初から最後までそこにいた。彼女はドアの向こうで私が作業している音を全て聞き、励ましてくれた。なお、私は「The Boy Who Heard Music」がいつかミュージカルになってくれたらと願っているが、この小説を初めてRachelに見せた時、彼女は読み終えた後瞬く間にミュージカル用の曲をいくつも書き上げてしまった。そのうちの1曲が「I Can Fly」で、Barnes & Nobleから発売された彼女の最新EP「SHINE」に収録されている。その反面、同じくこの小説を読んだRogerは物語を全く理解しなかった。何人もの頭のいい人々を呼んで初稿を見せたが、同じような反応は多かった。だから、私の手法を彼女が深く理解してくれたことは本当にありがたかった。私は作曲家として、またストーリーテラーとして、戦後の否定による子供時代のトラウマを癒す為に必死に力を尽くしている。私の中ではっきりしたのは、特に私と同じ世代が悩まされてきたトラウマについて後の世代が再び取り上げるのは無理もないということだ。これは単純だが大それた考えで、Rachelは私と28歳も年が離れているにもかかわらず理解してくれているようだ。なぜならRachelは私が仕事の難しい部分に取り組んでいて感情的な問題で悩んでいる時に、洞察力に優れた、実際的な視野を持つカウンセラーの役割を果たしてくれるからだ。
(?)

Rogerは一旦物事が動き始めれば誰よりも力強い支持者となってくれる。そうなるとRogerさえいれば前に進んでいける。彼は実践的な男で、通訳者であり、脚本家であり、演技者だ。少なくとも私の仕事のやり方において、彼は創造力に溢れた仕事仲間という訳ではない。Rachelは曲作りの初期の段階で数々の創造的な面でのサポートをしてくれており、彼女から受け取ったものを私も彼女に返せていることを願っている。

[今貴方の「The Boy Who Heard Music」を楽しんで読ませてもらってます。「LIFEHOUSE」や「PSYCHODERELICT」で語られていたテーマが更に新しくなり、違う作品に形を変えていて面白いですね。Rachelの曲「I Could Fly」と作品に登場するLeilaという人物とはどのように影響しあっているか教えて頂けますか?Leilaは「ENDLESS WIRE」に登場しますか?それ以外にもこの物語にRachelの意見や影響が作用している部分はありますか?]

どうやら私はさっきから君の質問をやや先回りしてしまうようだ。だがRachelは「The Boy Who Heard Music」のストーリーに影響を与えている、彼女の秘密をバラすことになってしまうのでどのような方法によるかを説明できないのが残念だが。Leilaは「ENDLESS WIRE」に登場する。最後の曲「Tea & Theatre」を療養所にいる古い友人Joshに向けて歌っているのが彼女だ。その時2人は「Marat/Sade」
(※1960年代のイギリスで生まれ、映画化もされた戯曲)のリバイバル作品のような「Trilby's Piano」を見たところだった。「Trilby's Piano」とは宗教の違いを超えてそれぞれの親たちを一つにする為に彼らが子供の時に演じた舞台をテーマとしている。上演はもう1人の療養所の患者、年老いたRay Highが見守る中で行われ、彼らが長い間抱き続けていた夢の支えとなった。「Mirror Door」は私の短い物語の登場人物達がいつの日か実際に行うかもしれない、もしくは可能性はあったのに結局行わなかったのかもしれないコンサートの描写であると同時に、爆弾で周りを吹き飛ばされた為に空の上で行われ、インターネットを通じて公開された素晴らしい天上コンサートのイメージを表している。現実でも物語の世界でもそのようなコンサートはまだ実現していないように思う。作者の頭の中だけに存在するものになってしまうかもしれない。

[「The Boy Who Heard Music」の中で技術に長けた指揮者と創造力に富んだ作曲者とを比較している一節がありました。今手元にその文章がありませんが、そのどちらも悪いものとは思いません。貴方とRachelと、それぞれどちらに属していますか?]

その2つを悪い意味で持ち出した訳ではない。恐らく私が伝えたかったのは、私も同じく今原文を持っていないのだが、作曲者は音楽を見つけ出しているに過ぎず、また指揮者はミュージシャンの演奏の手助けをしているに過ぎないということだ。どちらも創造という面においてはかなり受身であり、積極的でひたむきにサポートしてくれる観客がいなければ存在価値がなくなってしまう。

私はいつも音楽とは時間そのものの詩的な表現方法だと信じており、それゆえに音楽は創造のはかない幻想の一部でもある。現実に存在しているのは我々が人生を営んでいる今のこの瞬間だ。そしてその効力や素晴らしさを確かめる為には、我々皆がその瞬間を分かち合う必要がある。分かち合う為に集まった巨大な群衆の中に自分自身が埋もれてしまったとしても。

[「In The Attic」はRachelの個性が色濃く出ているようです。いずれMikeyの強い影響も見えてくるだろうと考えていますが。この番組には貴方の考え方や経験もまた反映されていると思いますが、貴方にとって友人や、さらには仲間達と打ち解けて話すことができる場にもなっています。そして貴方の振る舞いもカメラや記者に向かって話す時のものとは違っています。この見方は当たっていますか?「In The Attic」は、貴方にとって大いに楽しめる、自分にとっての特別な価値を見出せる場所になっていますか?アーティストとしての自分の中の何かを刺激されたりしていますか?]

「In The Attic」は私にとってこの上なく自由を感じる場所だ。時々私は自分でも驚くぐらい論議を呼ぶようなことを言ってしまったりもするが、その為に呼ばれることはほとんどないし(?)、一方で私が何かをサイト上に載せると、大抵は数時間のうちにそれが誰かの有害なテーマに沿ったものになってしまう。音楽的にもとても好きだ。このような打ち解けた雰囲気での演奏をしていると、かつてRonnie LaneやJohn Sebastian(彼は若い頃はよくBob Dylanともつるんでいた)とも同じようにしていたことを思い出す。MikeyはRonnie Laneと似ているところがあり、大きな力を秘めているにも関わらず優しさに満ちているところなど特にそうだ。

私はライブをストリーム放送で流す「Vox-Box」を私のスタジオで使いたいと考えていた(TowserTVのことだ)。ナレーター役として「The Boy Who Heard Music」の物語を読み上げることができたらと考えてその準備を行った。結局私はそれを使う時間を捻出できなかったので、何かに役立てられないかとRachelに持ちかけてみた。そして彼女はウェブキャストに打ち込むようになり、その姿は堂々たるものだった。それはこの番組で見られるような彼女の性格のおかげというだけでなく、司会者としての彼女のたぐいまれなウィットや洞察力によるものも大きい。彼女が「私の話をしましょう」と言う時、勿論彼女が伝えようとしているのは全く反対の意味だ。彼女が招くゲストにとっては挑戦とも言える。私と張り合いなさい、私と同じぐらい人を惹きつけなさい、見ている人を喜ばせなさい、楽しみなさい、と。

[Rachelや「In The Attic」に関する今後の予定で貴方が楽しみにしているものはありますか?]

Rachelはこれから映像コンテンツのストリーミングが大きな注目を集めるようになると断言していた。そして2006年末にストリーミングを開始する予定の大手インターネット映画会社全てが「In The Attic」に関心を寄せている。面白いカオス状態、新しい波がすぐ目の前に来ている。我々はヨーロッパ公演でライブ・ウェブキャストをしたが、実に面白かった。このビジネスの為ロンドンに大きなスタジオを設置したし、ツアー中でも行えるように移動式のスタジオも用意した。我々には頼りになるスタッフと他にはない経験が味方している。Rachelがアーティストと同時に司会者として、またプロデューサーや技術者としての役割も兼ねて全てのプログラムを進めていくのを見ていると心躍る気分だ。彼女は実に頭が良い。

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# by yukie909 | 2006-11-21 18:54 | diary
2006年 11月 21日
21 November 2006 / Grasshopper 4
[原文] 2006年11月21日の公式サイトの日記。
Grasshopper 4
インタビュー連続掲載の4回目、「TOMMY」はThe Pretty Thingsのアルバム「S.F. SORROW」からヒントを得て作られたものでは?という疑問に対するPeteの答えです。


a0062503_1193433.gif[「S.F. SORROW」が「TOMMY」に直接影響を与えているのではないかという声が昔から多くあります(実際のストーリーや音楽ではなく、アルバム全体で1つの物語を展開するというアイデアのことです)。しかし、貴方はその意見には反対でしたね?そう考えて良かったでしょうか?もし影響を受けていないとしたら、貴方は「S.F. SORROW」のことを知っていましたか?この件について一言頂けたら嬉しいのですが。]

「S.F. SORROW」が発売されたのは「TOMMY」のほんのわずか前だったはずだし
(※正確にはS.F. SORROWが1968年12月、TOMMYが1969年5月)、私が「S.F. SORROW」を聞いたのは「TOMMY」のリリース後だったと思う(単純にレコーディングとツアーに追われて忙しかったせいだ)。かつて私はロックオペラとは自分が考案したもので、Keithが手術を受けた時に代役を務めたViv Prince(Pretty Thingsのドラマー)が私の計画を知り、自分のバンドに話したのではないかと考えていたかもしれない。彼らが私のアイデアを盗んだと思っていたと言っているのではない。ロックオペラや、複数の曲で一つの物語を語るという手法は既に「SGT. PEPPER」や「PET SOUNDS」で始まっていた。(※Viv Princeについては、1965年12月に数回Keithの代役を務めたとの記録が残っています。ただVivはその前にPretty Thingsを脱退しており、S.F. SORROWのレコーディングにも参加していません)

このことはちゃんと言っておきたいのだが、The Pretty ThingsとThe Whoはどんな時もとても親しい友人同士で、メンバーの誰であれ喧嘩になるようなことは決してなかった。彼らは優れたバンドであり、素晴らしい人たちだ。振り返ってみると、「TOMMY」がこれほどまでに人々に知られたのは我々がアメリカでライブバンドとして成功したからだ。アルバム「TOMMY」単体の出来とは別に、それがライブで演奏されると、作品に何かしら懐疑的な意見を持っていた人々もそれを飲み込んで何も言えなくなってしまった。我々は何とかして作品の力を引き出したんだ。

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# by yukie909 | 2006-11-21 17:47 | diary