「ほっ」と。キャンペーン
2007年 02月 19日
Peteのサイト再休止
Peteの公式サイトが再び休止状態になりました。
現在、同サイト内のページへのリンクは全て新しいブログにリダイレクトされます。
pete townshend - (who he?)

Peteが現在執筆中の自伝の抜粋を掲載する為に開設された場所のようですが、2/18付で2件アップされた最初の記事には自伝のことについては何も触れておらず、通常の日記と「ATTIC JAM」の宣伝になっています。今後このブログがどう進んでいくか、また公式サイトがどうなるのか、要注目と言えます。
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# by yukie909 | 2007-02-19 12:53 | non-Pete
2007年 02月 19日
19 February 2007 / What Am I Doing Here?
[原文] 2007年2月19日のブログのポスト。
What Am I Doing Here?  (コメント不可)
Pitch  (コメント可)
このブログが開設された経緯を説明しています。「The Boy Who Heard Music」の連載がうまくいったので、今度は自伝でも同じことを試みるということのようです。


1995年、私は自伝を書こうと決めた。1996年にはEd Victorに交渉を頼んでLittle Brown & Co社のMichael Pietschと契約を交わした。素晴らしい話だったし、個人的に仕事を依頼していた編集者Robert McCrumに任せていたので安心していた。彼は私がFaber & Faber社で数年間顧問編集者として働いていた時に私の編集主任(事実上私の先輩だった)を勤めてくれ、私の本「Horse's Neck」の編集をした時には
何フィートの高さにもなる原稿の山を簡潔にまとめてき濃縮された短編集を作り上げてくれた。1997年、Michael Pietschとはこの計画についての考え方が私とずれていることがわかってきて、支払済みの前金を払い戻して他に契約を結ぶ前に本を完成させようと決断した。Ed Victorは他の編集者Philippa Harrisonと共に編集者の協会を設立していた。Philippaは偶然にもLittle Brown & Co社の設立にも貢献していた女性で、Edは彼女に私の小説が一章分書きあがり次第編集するように頼んだ。彼女は2003年の夏までその作業をしてくれたが、私はそれから「The Boy Who Heard Music」の小説を完成させることに集中するようになった。2005年の初めになってからまた自伝の執筆を再開し、3ヶ月ほど書き進めた。電気会社のSamsungがサポートする「Four Seasons of Hope」チャリティ活動に協力する為、Roger Daltreyと共にニューヨークに旅立ってコンサートを行うという出来事に邪魔されなければ、今までずっと書き続けていられただろう。

そのニューヨーク訪問の際、Rogerが昔のマンハッタン銀行をバンケットホールに改装した会場でステージに座り、最後の曲として私がThe Whoの為に書いた曲「Real Good Looking Boy」を歌っている姿を私はじっと見ていた。彼はギター1本を手に、たった一人で目を閉じてその曲を歌い、彼の昔から変わらないやり方で私の曲に命を吹き込んだだけでなく、完全に彼自身の曲にしてしまっていた。その時私は、The Who、つまり我々2人が、また新たになかなかの出来のアルバムを作ることができると確信した。それからおよそ8ヶ月の間、私は我々の新しいアルバム「ENDLESS WIRE」の為の曲作りに没頭した。

2005年9月、私はそれまで「The Boy Who Heard Music」を演劇や映画、バレエの形にしようと苦労していたが、あまり深刻に考え過ぎないようにしていこうと考え、ブログを使って連載の形で発表することにした。週1回の連載を2006年2月25日まで続け、その全ての過程が沢山の励ましと刺激に満ちたものだと感じた。その間にもらった読者達からの書き込みはとても重要なもので、私は連載している途中で作品に大きな変更を加えた。

自分の自伝でも同じようなことを試みようと考えている。近々この場所で、私の個人的な思い出を記した「Pete Townshend (who he?)」の抜粋の連載をスタートする。前編では子供時代から1968年のロンドンでの「TOMMY」記者会見
(※1969年のタイプミス?ブログ上部の説明文にはBook One - 1945-1969と書かれています)までを取り上げる。また必要だと思った時には、その先から最近までの私の人生とキャリアに関する章からの抜粋も不定期で載せていくつもりだ。

全体の骨格の部分は既に完成し、取材や調査も全て進んでいる。しかし、私は今もなお創造的な、またプロ意識に溢れた毎日を過ごしている為、きっぱりと書くのをやめない限り永遠に現在の部分までたどりつくことができない。書き進めている所なのにきっぱりと書くのをやめなければならないというのは、矛盾に満ちている。よって永遠に書き続けるよりは発表しようと思う。


(※以下、コメント不可のブログにのみ後から追加された文章)
2月25日(日)にプロローグを掲載する。2006年に「The Boy Who Heard Music」の最後のポストをしたのとちょうど同じ日だ。心の準備をしておいてほしい。私の準備は万全だ。
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# by yukie909 | 2007-02-19 10:47 | Memoirs
2007年 02月 18日
18 February 2007 / Arrival
[原文] 2007年2月18日のブログのポスト。
Arrival
「回想録の抜粋、時々フィクションも含む最近のことを載せる」為に開設されたという新ブログ「pete townshend - (who he?)」への第1回書き込み。今後はここに日記掲載の場所を移すことになるのかもしれません。ブログは現在少しずつカスタマイズ中で、当初空白だったプロフィールもアップされています。


今は日曜の午後だ。昨夜ニューヨークに到着した。準備は万全だ。The Whoとしてアメリカ全体を回る5週間のロードワークが目前に迫っている。その中にはメキシコシティでの初ライブ、オースティンで開催されるSxSW(※South By Southwest、米国の大規模な音楽イベント。2007年は3/14~18に開催予定)へのメイン講演者としての参加も含まれる。そう、私はそこで話す内容について既に考えてある。だがステージに立つまでそれについて触れるのはやめておこう。

荷造りがまだ途中だった水曜日、午後3時頃に突然気がついたのは、今すぐに車に飛び乗って走り出さなければ「QUADROPHENIA」の舞台作品の第1回ワークショップを見逃してしまうということだった。Tom Critchleyが演出し、ウェールズ王立音楽演劇学院が出演する短い舞台がカーディフで上演中で、昨夜が終了日だった。私は衝動的に高速道路M4を西へとひた走り、3時間後には舞台を見ていた。

素晴らしい幕開けだった。この舞台の予算がいくらだったかを聞いて決まりの悪い思いで一杯になった。数年前に私がロンドンのBush Hallで行った音楽のワークショップで、簡単な1曲を作るのに使ったのよりもかなり少ない額だったからだ。カーディフでの公演は第1幕と第2幕からなる伝統的な形だったので私はとても嬉しくなった。「QUADROPHENIA」が舞台化した際に何があったとしても、ぜひ伝統ある劇場でも上演してもらいたいと切望している。劇では若く、生き生きとした仲間たちと、管弦楽を含んだ素晴らしいバンドが出演していた。音楽ディレクターとオーケストラ編曲を担当したのはJohn O'Haraで、微妙なニュアンスを忠実に表現してくれており、私はこの作品がとても気に入った。振り付け、舞台デザイン、照明も全て見事だった。劇中では素晴らしい瞬間が何度かあったが、今後すぐに作品のレベルが上がっていくという大きな期待を込めて、あまり褒め過ぎないようにしておこうと思う。ぜひ言っておきたいのは、誰もが作品に大いなる情熱、才能、エネルギー、そして感嘆を注ぎ込んでおり、私などまだまだだと感じたということだ。

舞台の写真はkirstensphotosで多数見ることができる。

(※舞台についての参考記事はこちら
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# by yukie909 | 2007-02-18 15:14 | blog
2007年 02月 18日
18 February 2007 / Attic Jam - iTunes
[原文] 2007年2月18日のブログのポスト。
Attic Jam - iTunes
2/12にiTunes Music Store限定で発売されたアルバム「ATTIC JAM」の宣伝です。


(※この部分のみ2/28に新しく追記されました)
Rachelと私が行っているライブとウェブキャストは現在では活動の目玉となっている。私達はライブやウェブキャストをするのも、アーティスト達と会うのも、彼等と演奏するのも、私達のヴォーカルの響きもどれも好きだ。ライブ(Attic Jam)では私達は初対面の人々とかなり親しく会うことを楽しんでいる。その「ミート&グリート」の機会の逃してしまった人々の為に、次回のイベントでは多分特別なチケットを発売するよりも抽選を行う形を取るつもりだ。もし私達のしていることを気に入ってくれるなら、iTunesから「ATTIC JAM」をダウンロードするという方法で私達や無料でライブに登場してくれたアーティスト達を支援してほしい。その売上と私がThe Whoとしてステージに立つ報酬が、家賃とスタッフの日当を払う助けになる。もし既にこの素晴らしいアルバムを買ってくれていたとしたら、ありがとう。

(ここから下が2/18にアップされた分です)
このリンク先を訪ねて、この度新しくリリースされた「ATTIC JAM」をアルバム全体か曲単位で買ってほしい。
Attic jam on iTunes
アルバムの形で買ってくれた人には、1966年のThe Whoの最初のミニオペラ曲、「A Quick One While He's Away」を私がソロで演奏しているボーナストラックが付いてくる。収録された曲は、2006年の6~7月のヨーロッパ・ツアーの間に行われたウェブキャストで、我々がスタジオ及び拠点として使っていたエアストリーム・トレーラーの中でレコーディングされた。もしその時の曲をまだ聞いたことがなければぜひ聞いてみてほしい。アンプラグドで、アーティストとの距離が近く、親密な雰囲気とリアルな存在感……これこそ私が新旧の友人達と共に演奏する時に望んでいる形だ。
(※以下、収録曲を演奏したアーティスト達の公式サイトが羅列されていますが、ここでは省略します)
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# by yukie909 | 2007-02-18 11:19 | blog
2007年 02月 17日
Peteのサイト復旧
休止中だったPeteのサイトが再び見られるようになりました。
全体のデザインはほとんど変わらず、ダイアリーも休止する前と同じ状態でそのまま残っていますが、URLが全て変更されています。当ブログの各記事の原文リンクも順次貼り直していく予定です。
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# by yukie909 | 2007-02-17 11:32 | non-Pete
2007年 02月 15日
Peteのサイト休止中
2007年2月以降、Peteの公式サイト内の全てのページが見られなくなってしまいました。現在はページにアクセスしようとするとeelpieに転送されるようになっており、トップページに「Peteの要望により、www.petetownshend.co.ukは追って通知するまで停止します」とのメッセージが表示されています。
そのため記事に掲載している日記本文へのリンクをクリックしても原文を見ることができません。復旧するまでお待ち下さい。なお、原文テキストは個人的に保存してあるので翻訳は続けます。
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# by yukie909 | 2007-02-15 10:06 | non-Pete
2007年 01月 24日
24 January 2007 / Hi Harold! Hi Tom! Let's Party!
[原文] 2007年1月24日の公式サイトの日記。
Hi Harold! Hi Tom! Let's Party!
2007年の冬に来日するのはほぼ確実、という驚きの内容です。


昨日Rogerと我々のマネージャーと共にミーティングを行い、この先2年間の予定について話し合った。「TOMMY」が40周年を迎える2009年は何か記念のイベントを行うべき年だと全員が考えている。50周年の頃には我々はもう居ないかもしれないのだから。今年はすでにスケジュールが一杯で、少なくとも夏まではぎっしり詰まっている。近々発表することになるヨーロッパツアーは、3月からスタートし7月のロックフェス・シーズンに終了する予定だ。2007年の冬には日本、オーストラリア、ハワイを訪れることがほぼ確実となっている。また、今年の終わりに計画されている新しいThe Whoの公式サイトの開設についても話し合った。新しいアルバム制作の具体的なスケジュールは設定していないが、きっと「ENDLESS WIRE」の時と同じ方法でいつのまにか手を付けはじめ、自宅での作業に入ることになるだろう。

(続きは現在翻訳中です)
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# by yukie909 | 2007-01-24 10:09 | diary
2007年 01月 06日
6 January 2007 / Grasshopper Guido
[原文] 2007年1月6日の公式サイトの日記。
Grasshopper Guido
インタビュー掲載の13回目。全19問で、わりと当たり障りのない内容です。


(オーストリアの新聞Kurier紙のために答えた、Guido Tartarottiからの質問だ)

[Q1. 答えるのが難しい質問になってしまいますが、「ENDLESS WIRE」はどのような作品だと説明できるものですか?アーティストなら誰でも望むように、音楽的に新しい分野へと進んで道を切り開いていく一方で、逆にできるだけ昔と同じままでいる(それを望むファンも多いです)というのは難しいはずですが。]

その通りだ、そこにジレンマがある。新作はThe Who初期にレコーディングした楽曲が元になっている。何曲かは「WHO'S NEXT」絡みだし、他の曲はより内省的なアルバム「THE WHO BY NUMBERS」に関係している。しかし完全に新しい部分もある。Roger DaltreyとPete Townshendだけで演奏している「アンプラグド」という点だ。アーティストの作品から何らかの連続性を感じ取ろうとすることは大切だ。自分が厳しいラインをクリアし、The Whoのサウンドとして世に出る曲を作ることができる、それを人々が心に抱いている伝説を壊すことなくやってのけることができる、と考えるようになってから長い時間が過ぎた。

[Q2. ミュージシャンとして、バンドとして、また1人の人間として自分が成長したと思いますか?]

そう願いたいものだ。Rogerと私は今では物事がよりクリアに見えるようになったが、それぞれがThe Who以外の仕事にも多くの時間を割いている。ある意味で、The Whoの仕事に戻る時には自分達が成長していないような、ほとんど何も変わっていないような気分になることがある。現在の新しい音楽は60年代の楽曲をベースにしたものがかなり多く、顔を上げるといつでも心地よい音に囲まれているのを感じる。パンクがはじめて爆発的に広がった時代でさえそうだった。個人的に最も居心地が悪く感じたのは、ウッドストックのヒッピー時代と、やたらに時計のような規則的な音が刻まれるようになった80年代の奇妙な時代だ。

[Q3. Pete、今はRogerとの関係はどうですか?ベースにあるものは何でしょうか、敬意ですか?]

確かに紛れもない尊敬の気持ちが根幹にある、だが我々は観客に対する情熱というのも共有している。いくつかのThe Whoの曲、特に有名なものは、観衆のエネルギーを解き放つ力を持つようだ。我々には様々な違う面をずっと持っているが、ひとたびそのステージでそのような現象が起こると、いつだって2人の違いなどはどうでもよくなった。現在ではステージの外でも、我々の異なる部分ではなく、共通の部分に目を向けるようにしている。(それだってまだ沢山ある!)

[Q4. 貴方はこれまで何千曲も作ってきたと思いますが、何曲かわかりますか?貴方の作曲の原動力となるもの、意欲をかき立てるものとは何ですか?]

完成した曲は大体750曲。一部ができあがっていて完成させる価値のある曲が1,500曲前後。私が曲を作るのは、楽しみの為、またはリリースする為で、それが私のできることだからだ。ギターを手にのんびりと過ごす時間が何よりも楽しい。時には新しいコードが新しいメロディを生み、そのメロディがこの先採用するかもしれない新しいアイデアにうまくはまるということもある。また、短い曲を書くのもかなり得意で、その為1つのストーリーに沿って何曲も書くのを好む。予想もしないような曲ができることがあるからだ。

[Q5. 誰よりも成功し、尊敬を集める作曲者の一人となった今、曲作りに「正しい」方法や「間違った」方法があると思いますか?曲を作るということは、人から学んだり、誰かに教えたりできるものなのでしょうか?うまくいく法則を知ること、あるいはもしかするとその法則を壊すことは重要ですか?それから、「ヒット曲」が完成した時には即座にそれがわかるのですか?どうすれば名曲ができるのでしょうか?]

法則など何もない。だが今では積み重ねられた歴史があるので、ポップソングが生まれるプロセスを分析し、少なくとも作曲者が良い方向に向かうことができる様々な手法を構築していくことは可能だ。それについて教えることはできるが、ポップミュージックのおかしなところは誰かが創りだした手法を使う新しい方法をいつでも思いつけるような気がしてしまうことだ。従って、新しく登場した法則は瞬く間に壊されるか、修正されるか、もしくはあっさりと借用されるか盗まれ、誰も困っていないからと相手には何のお咎めもないということがよくある。

[Q6. 尊敬している作曲者はいますか?最近刺激を受けたのはどのような音楽ですか?普段色々な音楽を聞きますか?]

Bertolt BrechtやCole Porter、Ira/George Gershwinなど、私の父の時代の音楽は心から尊敬している。自分と同時代だと、特にBob Dylan、Bruce Springsteen、The Beatles、Brian Wilsonが崇拝の対象だ。最近ではWilly Mason、Joe Purdey、Alexi Murdoch、Regina Spektor、そして私のパートナーのRachel Fullerの音楽に刺激をもらっている。彼等は新しいものを生み出している若き作曲家たちだ。今では音楽を聞く場所はほとんど自宅で、その時間をできるだけ特別なものにするよう心がけている。これは私がDVDで映画を見る時に最大限に快適な環境を作り、ちょっとしたセレモニーのような気分で見るようにしていることから来ていて、今ではCDを聞く時にも同じようにするのが好きだ。今では気軽な形で、例えば旅行中などに音楽を聞くことはあまりなくなった。

[Q7. 貴方は一見相性の悪そうな(でも実際は良かった!)2つの音楽の形、オペラとロックンロールを見事融合させました。貴方が最初にオペラの魅力を見出したのはいつ、そしてなぜですか?オペラの作曲家では誰が好きですか?]

オペラに興味を持ったのはThe WhoのマネージャーのKit LambertがConstant Lambertの息子だったからだ。Constant Lambertは50年代にロイヤルオペラハウスとロイヤルバレエのディレクターを務めていた。Kitはロイヤルオペラハウスに自分のボックス席を持っていて、よく座らせてもらった。あらゆる種類のオペラを見た。クラシックオペラの作曲者で最も好きなのはVerdiだ。イギリス人で言うと、Benjamin Britten以上に大きな影響を与えた作曲者は他にいないだろう。彼の「Silas Mariner」は素晴らしい。最近の作曲者ではPhilip Glassが好きだ。60年代にオペラ座で過ごした夜の中で最も苦痛だったのは、とりわけ陰鬱な「Boris Godunov」のオペラをじっと最後まで見ていた時のことだった。今ではこの作品はお気に入りの一つになっているが、その時の私はボックス席でシャンパンを飲み、床に寝転んで眠ってしまった。

[Q8. The Whoというブランドネームを冠してアルバムがリリースされるのは1982年以来初めてのことになります。長く間が空いたことで、貴方にとって色々なことが簡単になりましたか?それとも余計難しくなりましたか?ファン達の期待にどのように応えるつもりですか?プレッシャーを感じたりはしますか?]

確かにプレッシャーを感じてはいるが、それに対して何ができるわけでもないので、あまり気にしないようにしている。我々がレコーディングしたものを皆が楽しんでくれることを願うだけだ。

[Q9. 貴方はインターネットのヘビーユーザーですよね。ウェブは人々を繋ぐと思いますか?それとも逆に人々を引き離すでしょうか?その両方ですか?貴方はどのように、そしてどれぐらいインターネットを使いますか?]

毎日使っている。インターネットは勿論人々を繋ぐものだが、一部の人は仮面をかぶることを選ぶだろう。ミュージシャンや映像アーティストにとってはウェブは大きな可能性を持っている。しかしそれを使ってアーティトとして生計を立てる方法を見つけるのは難しいだろう。何も今に始まったことじゃない、昔から簡単なことではなかった。

[Q10. 新しいアルバムが貴方の「LIFEHOUSE」プロジェクトの新しいバージョンのようなものという話は本当ですか?どのような新しいストーリーがこのアルバムの背景にあるのでしょうか?]

「ENDLESS WIRE」は「The Boy Who Heard Music」(私がウェブサイトで連載した小説)がベースとなっており、この小説のベースとなるのが「PSYCHODERELICT」(1993年発表の私のソロアルバム)の基礎部分で、このアルバム自体は「LIFEHOUSE」(1971年から続いている)が元となっている。私は無論このアイデアをとても気に入っているが、私が進むべき次のステップはそれが実際に起こるよう試みるということだ。私がThe Whoとして1972年に実現させたいと考えていたのが、コンピュータを使った真に内省的な音楽を発表するコンサートを行うという夢だった。

[Q11. The Whoは2006年の夏、オーストリアのザンクトぺルテンでフェスティバルに出演しました。とても感動的でパワフルなコンサートでした。ところが「My Generation」の時に音が止まった後、バンドのメンバー皆が別の演奏をして、曲がどう進んでいくか貴方を除く全員がわからなかったように思える瞬間がありました。偉大なミュージシャンやロックの象徴であっても人間だということが伝わってくるような、魅力的な様子に見えました。演奏に失敗した時、貴方はどのように対処しますか?その時のようなことが起こると貴方は腹が立ちますか?]

時々自分がKeith MoonやJohn Entwistleと演奏している訳じゃないということを忘れてしまう。彼等はいつもステージの上で新たな音楽の旅にしきりに出たがっていたし、その場で臨機応変に私の演奏に付いてきてくれた。私は確かに時々ライブ中に物事がうまく進まないと怒ることがあるが、怒りはすぐに消え、若い頃と違ってずっと不機嫌なままでいるようなことはない。

[Q12. 先ほど「ロックの象徴」という言葉を使わせて頂きました。貴方はもしかしたらこの言葉があまり好きではないのかもしれません。生ける伝説として見られるというのはどのような感じですか?]

別に構わない。「生ける」と言ってもらえて嬉しい。

[Q13. 貴方の世代がこれほど元気なのはなぜでしょうか?The Who、The Rolling Stones、Bob Dylan、Paul McCartney、Neil Young……誰もが第一線におり、今も創造的で、大きな観客動員数を誇っています。]

それは我々がベビーブーム世代で、社会に占める人数が多いからではないかと思う。その為我々は大きな力を持っており、若いアーティストよりも集まる観客の数が大きい。しかし我々が恵まれている最大の理由は、ロックンロールとポップミュージックが最初に「重要なもの」になった時に幸運にも居合わせたということだ。戦後間もない頃は耳に心地よいだけのものだった音楽は、60年代により魅力的なものへと変化していった。若いアーティスト達は、昔と同じことを何度も何度も繰り返す為の新しい方法を探すことだけに甘んじなければならないだろう。

[Q14. ライブで演奏するのは好きですか?それともうんざりしますか?つまり、貴方が新しい作品を披露したいと考えているところに観客の誰もが「Substitute」や「Pinball Wizard」をやってもらいたがるというのは気分の良くないものですか?名曲が山ほどある中からセットリストを決めるのは難しいですか?ツアーの間にセットリストを変えたりしますか?]

若い頃よりはライブが好きになった。昔の曲も喜んで演奏している。簡単だし、演奏していて嬉しい。同時に演奏に全力で没頭するのも好きだが、観客をないがしろにするようなことはない。私がステージに立つのは観客の為、ただそれだけだ。私は自分自身の演奏に酔いしれるジャズミュージシャンではなく、観客に何を与えたかで自分も満たされる存在であるべきロックミュージシャンだ。  


(続きは現在翻訳中です)
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# by yukie909 | 2007-01-06 17:55 | diary
2007年 01月 04日
4 January 2007 / Shouting Grasshoppers
[原文] 2007年1月4日の公式サイトの日記。
Shouting Grasshoppers
インタビュー掲載の12回目では、これまでのマスコミの取材と違ってファンからの質問に答えています。Peteの説明に出てくるtheShout.netは主にアメリカのThe Who(特にPete)のファンが集まる掲示板です。登録申請をして承認されなければ閲覧や書き込みはできません。


(Grasshoppers達の集まり「theShout.net」から寄せられた質問をDave Carterが私に送ってくれたので回答した。Daveも質問してくれた皆もどうもありがとう。普通のインタビューで聞かれる質問とはやや異なっており、Wise Oneこと私はご覧の通りいくつかの質問に答えるのに相当苦労した)

[Q1. 貴方のここ1年の写真の多くはにっこりと笑った表情をしていますし、これまでの人生の中でも良い1年だったという発言を何度もしています。Pete Townshendにとって2006年はかつてない良い1年だったと言えますか?]

(質問の内容とは正反対の表情で)ノー。私は幸せだが、The Whoや2006年について言えばそれほど幸せだった訳ではない。今のところ幸せな気がするというだけで、その気分を楽しんでいる。

[Q2. 「ENDLESS WIRE」のライナーノーツで、貴方はEric Claptonと電話で話したことについて触れていました。どのような心配事があって貴方は電話をかけたのですか?そして彼の「断固とした、揺るぎないアドバイス」とはどのようなものでしたか?]

もし彼が言ってくれた言葉を詳しく説明したいと思ったのなら、そうしていただろう。私は他人の好奇心をかき立てるつもりはなく、ただ彼に感謝の気持ちを伝えたかっただけだ。
(※ライナーノーツの翻訳はこちら

[Q3. 貴方が2006年のツアーの前にほのめかした「名案」とは何だったのでしょうか?]

あまりにもうますぎる方法で、どのようなものか忘れてしまった。
(※「名案」に関する日記の翻訳はこちら。cunningには狡猾な、抜け目のないといったニュアンスがあるようです)

[Q4. 新しいThe Whoのアルバムやシングルをリリースする予定はありますか?]

予定はない。何も約束できない。今回のツアーは来年までかけて様々な方向に向かう。80年代初めに私の頭がおかしくなりそうだった、終わりのないツアー地獄をまた繰り返す気はない。

[Q5. 「The Method」計画の進行状況はどうなっていますか?それにより最終的にどのようなライブ・パフォーマンスがされるのか、ビジョンを聞かせて下さい]

近いうちにベータテスト用のウェブサイトを更に拡大して立ち上げることを予定しているが、まだ具体的な日程は決まっていない。ウェブデザイナーがシステムを微調整しているところだ。このサイトの最初の集大成となるはずのライブイベントは、パフォーマンスというよりは祝いの会になるだろう。この計画は、個別の音楽の一片を数多く集め、しかるべき会場で映像(そして生の音楽)とともに演奏するというものだ。我々が採用した音楽を提供してくれた人々には、このイベントに出席して楽しんでもらいたいと考えている。
(※Methodに関する日記の翻訳はこちら

[Q6. 2002年のツアーではRogerと貴方の2人で「Naked Eye」をアコースティックで演奏しましたが、新しいCDに2人だけのアコースティック演奏による曲がいくつか収録されているのは、2002年の試みがうまくいったからですか?]

いや、違う。私が「In The Attic」で行ってきたことの方がより直接的に影響している。ロックとして名曲となり得た作品なら、勇気さえあれば本当にシンプルな形で演奏しても素晴らしい効果を生むことができるということを私は「In The Attic」で教わった。そのことはいつでもわかっているつもりだったし、Rogerも同様だったと思うが、自分達の持ち味を存分に引き出せるロックという決まった形に2人とも固執する傾向があった。我々は爆音を発するバンドの後ろに隠れていたのかもしれない。アコースティックではありのままの姿が見えてしまう。
それから、2005年にニューヨークで行ったチャリティ・イベント「Samsung's Four Seasons of Hope」で、Rogerが「Real Good Looking Boy」を演奏した。彼は1人でアコースティックギターを手にステージに立った。彼が私の曲を観客に聞かせる、その歌い方に私はとても心動かされた。しばらく頭を離れなかった。曲がRogerと一心同体となっていた。そこで私はこのような方法、特に自分1人での弾き語りという形でのステージをすることをRogerに勧めていこうと決めた。

[Q7. アルバム「QUADROPHENIA」に収録されなかった曲は一体どうなってしまったのですか?アルバムが4枚作れる程の曲があったと当時Rogerがマスコミに語っていたようですが。]

アウトテイクの一部はボーナストラックやデモの形でリリースされている。アルバム4枚分の曲があったかもしれないが、Rogerがそう言っていたのはアナログレコードの時代だったということを忘れてはいけない。そのことを考慮したとしても、Rogerが本気でそう言った訳でも、自分の言葉を信じていた訳でもないのは確実だ。そういえば私は少し前に「QUADROPHENIA」のリミックス作業をスタートしたのだが、その時に新しい曲を追加することを検討した。しかしすぐに「完成作業」が不要なことに気がついた。このアルバムに手を加えるところはなかった。完全な作品だったなどというつもりはない、だが楽曲を加えたり、物語を変えたりして「改良する」必要性は感じなかった。この作品は物語性のあるロックオペラというよりも、The Whoによる詩という意味合いを持っていた。女の子とうまくいったかどうかではなく、はじめての挫折を味わったときに我々が感じたことに目を向けた作品だ。

[Q8. The Whoの残した最も大きな功績とは何だと思いますか?]

「TOMMY」。全ての元となったデモ、アートワーク、オリジナルアルバム、バレエ版、映画版、オーケストラ版、マーチングバンド版、ブロードウェイ版……その全てが素晴らしく、制作に関わっていて楽しかった。同じことをもう一度やれと言われたらやれるし、死ぬまでにきっとあと何回かはできるだろう。

[Q9. 今回のツアーでは、貴方はこれまでになく愛想が良く、近づきやすくなっているようです。とうとう貴方自身が人々の人生に大きな影響を与える存在だということ、貴方の曲にこめられた痛みが彼等の多くを救ったということを受け入れたのですか?]

質問の意図がわからない。私が人々の人生に多くの影響を与えてきたことは確かだし、そのことについては受け入れている。質問者を傷つけたくはないが、それを受け入れたからといってなぜ私がより近づきやすい人間になったという考えに至るのだろう?つまり、私のプライバシーが確立され、容易に近づけない状態にあるということは、ファン達と私の仕事とのかかわりという面で重要なのかもしれない。私の曲にある痛みが誰かの心を動かしたのだとしたら、それはきっと本人の痛みがそうさせたのであって、私自身の痛みによるものではない。私を実際に知っている訳ではない人々に、どうやって私の痛みがわかるというのだろう。私は痛みを感じているか?これまで痛みを感じたことがあっただろうか?それについてはイエスだ、しかし私は自分の作品の中でその痛みをはっきりと表現することをずっと苦手としてきた。私が得意としているのは、他人の痛みに触れることだ。それができる自分を、解放と喜びを生み出すことができるということと同じく時々心から誇りに感じている。プライバシーの問題というのは全てのアーティストにとって悩みの種だが、特に曲を作るものにはそれが顕著だ。私は過去のインタビューではとても愛想良く振る舞い、ライブの後にバーで愛想良く会話を交わすのはJohn Entwistleに任せてきた。現在、私は彼が担ってきた役割をささやかにでも引き継ぐよう努力して人々に会うようにしているが、それが良いことかどうかはっきりとはわからない。私のパートナーRachelはとても社交的で、彼女が主催している「Attic Jam」のライブではできるだけファンにとってより身近な存在になれるようにしている。「Meet & Greet」チケット
(※通常のチケットより高い、PeteやRachelと直接話すことができる限定のチケット)は、将来のリリースに備えてライブの撮影とレコーディングを行うコストをカバーする方法として私が提案したものだ。その為に大きな時間を割くことができるとは思えないので、ファンと直接会うことを心から望んでいる訳ではないことを認めなければならない。

[Q10. 最後に「Mirror Door」について伺います。貴方はバッハ、モーツァルト、ベートーベンの名を「あちら側にいる」魂として挙げました。ロックンロールは175~200年後も消えずに残るでしょうか?貴方や貴方の仲間が創りだした音楽は、現在におけるクラシック音楽と同じようにその頃もライブで演奏されていると思いますか?]

もちろんロックンロールの一部は残るだろう。このことについては私はあまり興味をそそられない。「TOMMY」は残るかもしれない、それがどうした?日中に携帯充電器のコンセントを抜くことの方が未来の子供達にとってもっと意味があるだろうということは明らかだ。
(※携帯充電器についての参考記事はこちら

[Q11. もう1問だけ遊びのつもりでお願いします。インターネットが普及したおかげで「史上最高のロックバンドは何か」といった議論がより白熱しました。次のアーティストに対する貴方の率直な意見は?「Spinal Tap」「The Rutles」「Tenacious D」]

それらのアーティストは皆なくてはならない歴史的文書で、彼等なしには我々はロックスター達が持つうぬぼれや尊大さ、馬鹿馬鹿しさを見て笑うことができなかっただろう。
(※それぞれパロディ・バンドや架空のバンド。詳しい説明は以下のリンク先をご参照下さい。Spinal Tap / The Rutles / Tenacious D
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# by yukie909 | 2007-01-04 11:22 | diary
2007年 01月 03日
3 January 2007 / A French Grasshopper
[原文] 2007年1月3日の公式サイトの日記。
A French Grasshopper
インタビュー連続掲載の11回目。あまりに増えた為かこのエントリーから通し番号が入らなくなりました。22の質問に答えています。


(これらの質問はFrance MetroのTaliaによるものだ)

[Q1. The Whoが前回アルバムを作ったのは四半世紀も昔だなんて信じられないような話です。貴方は今回の新作に収録された曲を自分の中にストックしておいて、再び作り直したのですか?]

ストックしてあったのは「The Boy Who Heard Music」(以後TBWHM)の脚本だ。2004年から2005年の間にそれについて何度かRogerに話したが、彼はほとんど興味を示さなかった。いずれにしても私はその脚本がThe Whoのアルバムのしっかりとした土台となり得るかどうか確信が持てなかった。2005年のはじめには既に物語に沿った歌詞とデモをいくつか作っていた。「Fragments」の大まかな歌詞と「In The Ether」のデモが出来上がっていた。

しかしRogerと私が常に考えていたのは、2人で作ったアルバムは全てどんな種類のコンセプトとも結びつけるべきではないということだった。我々はどの曲も単独で成り立つことを望んでおり、たまたま何かのコンセプトに基づいたものになったということなら問題ないが、無理やりコンセプトにこじつけるような真似はしたくなかった。今年(2006年)になって、1曲ずつを独立させるこの方法では私の作業がうまく進まないことに気づいた。「TBWHM」に取り組みはじめてから既に長い時間が経っており、もうこのアイデアを手放す訳にはいかなくなっていた。突然私の頭に閃いたのは、このプロジェクトともっと軽めのコンセプトとを組み合わせ、新しいアルバムの一部に取り入れてはどうかということだ。ミニオペラを作るというアイデアが一旦浮かぶと、私はすぐさま行動に移った。ミニオペラについては我々の初期の2枚のアルバム「A QUICK ONE」(1966年)と「RAEL」(1967年)で既に取り上げている。私は数多くの考えをストックしていたし、それに関連するアイデアもまた多かった。そのため「WIRE & GLASS」は難解な作品になった。もし作品を深く理解したいと思うなら、私のウェブサイトに掲載されている「TBWHM」を読む必要がある。そこに見られるのは、完結した本というよりはまだ未完成の作品と言える。

それ以外の曲はただアイデアが浮かぶに任せて作ったものだ。何曲かは2002年に作り始めていたが、その頃はまだJohn Entwistleが生きており、彼はいつも沢山の曲を用意していた。当時はRogerもまた作曲をするという話になっていたので、明るい曲はJohnとRogerに任せるつもりで、私は歪んで陰鬱な、インパクトのある曲を作ろうと試みていた。こうして「Black Widow's Eyes」や「In The Ether」といった曲が生まれた。

[Q2. 新作を出した今、それをライブで演奏することはなおさらエキサイティングでしょう。演奏するのに飽きた曲というのはありますか?]

昔の曲の数々を演るのは楽しい。曲に力があり、まるで曲そのものの力で演奏されるようで、さらに観客が盛り上げてくれる。新しい曲があるというのは嬉しいし、それを演奏するのもいいことだが、我々全員にとって昔の曲よりも難しい。もし私が何かの曲に飽きたとしたら、Rogerと話し合って、代わりにどの曲を入れるか考えるだろう。そんなことはめったにないが。

[Q3. 昔の曲の中で、貴方にとって以前ほど意味を持たなくなったものはありますか?]

もちろん。どうしてその曲を書いたのか、またはどんな意味を含めて書いていたのか、時々思い出せないようなことがある。自宅でレコーディングを行っていた為、何かのレコーディング作業を楽しみたい、もしくは新しい機材や技術を試したいばかりに大急ぎで曲を仕上げてしまうことがよくあった。「Drowned」もそのような形で生まれた曲だが、今でも精神的に何かを強く求めること、宇宙の虚無に身を委ねたいと願うことをテーマに書いた作品の中で最もパワフルな曲の一つとなった。

[Q4. 一部で囁かれているように、これが最後のアルバムなのですか?]

ノー。Rogerと私は今では共に音楽活動を続ける方法がわかったし、それを手放すつもりはない。ただ問題となっているのは、我々2人がまだきちんとしたバンドの形ではないということだ。2人のうちどちらもバンドを組む余裕がなかった。昔のようにアルバムが売れていない今、我々がバンドを作る為の唯一の方法は新しい協力者を受け入れるということだ(昔のThe Whoも同じことをした)。それには、新しいバンドに招き入れた者を心から信頼することが必要となる。我々がどちらも敬愛しているZakについては、既に彼自身から自由な立場でいたいという意向を聞いているし、彼はThe Whoと共に働くことをとても愛してくれているが、まだ若い彼にはRogerと私が活動できる範囲以上に働く必要がある。よって彼は恐らく2007年~2008年の間は再びOasisと共に活動することになるだろう。私は新しいアルバムについてのアイデアがいくつか浮かんでいる。まずは2007年7月のデンマーク公演でラストとなる今回のツアーを無事終わらせなくてはならない。日本とオーストラリアを訪れるのはその後に延期した。

[Q5. 新しいアルバムはミニアルバム「WIRE & GLASS」に端を発していますが、このような物語を音楽的に語るような手法の良い点とは何ですか?それぞれの曲が一編の小説のようなものなのでしょうか?]

Q1の回答を参照のこと。

[Q6.新しいアルバムは貴方の小説「The Boy Who Heard Music」に関連したものですか?]

Q1の回答を参照のこと。

[Q7. Ray Highというキャラクターは貴方自身が投影されたものですか?]

ある程度はそうだ。Ray Highはそれ以外にも、Roger DaltreyやRay Davies、Lou Reedなど、ミュージシャンであり思想家でもあるような人々の姿を部分的に映している。私がRayに重ねた自分自身のイメージとは、希望に満ちた、若さ溢れた夢の数々だ。年老いて落ちぶれた彼の姿は幸いにも私とは異なるものだが。これまでの24年間、私がアルコールを口にしたのは1993年の数ヶ月の間だけだ(自分がうまく酒とつきあっていけるかどうか試すための束の間の体験だった。そしてそれは無理なことだとわかった)。The Whoファンで興味のある者は私のソロアルバム「PSYCHODERELICT」を聞くと良いのではないかと思う。私はこのアルバムの物語を通して、ロックンロールがこの先どうなるかを知ろうと試み、私のようなアーティスト達が普通に働くには年を取り過ぎてしまった時にどのようなことが起こるかを示したと考えている。起こりそうでまだ起こっていないことは、ポップミュージック界での芸術のあり様を劇的に変える、新しい種類の集まりがインターネットによってもたらされるということだ。少なくとも今まではまだそのようなことは起こっていない。広告主は顧客に対して、時差の問題なしに好きな時に好きなものをダウンロードできるようにさせたがる為に、インターネットがリアルタイムで機能することは許されていない。「PSYCHODERELICT」では、私は2006年にはポップミュージックが完全にコンピュータによって広められていると想像していた。だがそれは間違っていた。そうなることに対する反発は続いており、現在の音楽の多くが心のこもった、温かみのある、エレクトロアコースティックなものだ。Sigur RosやSufjan Stevensのような先進的なアーティストであっても同じことが言える。彼等の音楽にはインターネットが利用されているかもしれないが、決してそれに依存している訳ではない。「PSYCHODERELICT」で、私はRay Highのようなアーティストがインターネットを使うことを強制され、それができなければ死ぬしかないというような世界を心に描いていた。だが現在の私の考えでは、彼が死ぬのはインターネットに全てを任せようとして他に表現手段を持たなくなってしまった時だろう。

[Q8. この作品を(ロング・バージョンで)ロックオペラとしてステージで演奏することは考えていますか?]

考えていない。この音楽(いくらかは追加して)を使ってアニメ映画の制作ができたらと思っている。

[Q9. 他にも音楽制作が進んでいるストーリーはありますか?]

今のところはない。現在進行中の作業は回想録を書き上げることだ。65歳を迎える2010年には完成させたい。
(※Peteによる脚注:2007年元日の時点ではこの本をどこかから出版する話はなく、またそれを進める予定もない)

[Q10. 「通常の」オペラは聴きますか?]

聴いている。特にMozart、Philip Glass、Benjamin Brittenが好きだ。

[Q11. ブルーグラスは好きですか?The Whoの曲にはブルース的な部分があると思います。つまり、それこそがロックンロールの源泉となるものですよね?]

良い音楽は何でも好きだ。Alison Kraussのバンドは特に気に入っている。ロックンロールはブルースとカントリーの融合から始まった…Hank WilliamsとLeadbellyの間のどこかの地点で。60年代の英国のロックやポップスは、更に広い範囲から影響を受けて生まれた。アイリッシュ、スウェーデン・フォーク、フラメンコ、デキシーランド・ジャズ、バロック等、様々な音楽だ。

[Q12. ロックンロール、又は広い意味でのポピュラーミュージックは、人々の関心を高める為の抗議の声という役割をこれまで持ってきています。アーティストは自分が有名であることを利用して人々の意識を高める「義務」または「責任」すら(強い言葉になってしまいますが、他の言葉が思い浮かびません)持っていると貴方は考えていますか?]

アーティストのするべきことは、観客に作品をもたらす、ただそれだけだ。The Whoにとっては、それは主に男性のファンに自分の過去の失敗に対するやり場のない怒りのはけ口を与えることが中心となってきた。時には何かに抗議しているように見えることもあったが、実際には我々は保守的で、自分達が個人的に正しいと考えている方法で生きていく権利を確保していた。「Won't Get Fooled Again」がそのいい例だ。

[Q13. 自身の音楽活動を振り返って、こうしていれば良かったのにと考えることはありますか?]

1981年に私が挫折を味わっていたからと言って、ロックンロールのせいにするつもりはなかった。自分自身が引き起こしたものだ。今ならそれがわかる。当時私は自分の生活に空きスペースを作る必要を感じて、その頃自分の中で最も大きな場所を占めていたThe Whoを終わらせようと決意した。1982年のThe Whoの解散については後悔はしていないが、解散した理由を悔やんでいる。私はあまりにも扉をかたく閉ざしてしまい、The Whoは1981年の時点では創作上のトラブルに見舞われていたとはいえ、ボロボロになっていた訳ではないということを受け止めることが難しかった。我々はバンドを続けていくこともできたかもしれない。

[Q14. 現在のロックのあり方についてどう考えていますか?我々ロックジャーナリストにとってはあまりにも大き過ぎるテーマとなってしまいました。60年代、70年代、80年代のバンドでさえも、現在のバンドには欠けている輝きを放っていたと思いますか?]

新しい音楽にも好きなものは沢山ある。今の質問の中では、もしかしたら「バンド」という言葉が君たちジャーナリストの間の持つ問題を生んでいるのかもしれない。バンドを組んで続けていくには途方もないほどの強さと集中力が必要となり、同時にお互い干渉せずにうまくやっていく覚悟を決めなければならない。バンドはかなり金もかかる。良いバンドには大抵強情なリーダーが存在するものだ、例えばRazorlightのように。私の好きなアーティストの多くがソロで活動している。Martha Wainwright、Sean Lennon、Willy Mason、Joe Purdey、Alexi Murdoch、Ed Harcourt、Foy Vanceなど。
新進アーティスト達が向き合わなくてはならないのは、革新的でいることは難しいという現実だ。あまりにも多くのことが既に他の誰かによって成されている。だが目の前に広がる景色は無限だ……何だってできる。

[Q15. 現在貴方が好きなバンドは何ですか?]

Shack。Kooks。Fratellis。Razorlight。Red Hot Chillie Peppers。Raconteurs。Flaming Lips。

[Q16. 音楽業界は貴方が登場した頃と比べるとかなり変化しました。多くのバンドが「使い捨てバンド」(ミリオンヒットを3曲飛ばした後に姿を消してしまい、2年後にテレビ番組に出演するだけのバンド)となっていますし、貴方がこれまで全面的に受け入れてきたテクノロジーの進歩もあります。この変化によって貴方の音楽制作へのアプローチや音楽の見方が違う形になるようなことはありましたか?]

いつの時代も1曲のヒットで消える者たちは多かった。この業界で生き残るには溢れるほどの才能が必要となる。その上必死になって働かなくてはならない。批評家というものは往々にして目に入るものだけで判断しがちで、その背景で起こっていることについてはあまり理解しようとはしない。だがたった1曲を当てただけでも大金が入ってくる。例えば私が1969年にプロデュースしたThunderclap Newmanの「Something In The Air」がいい例で、少し前に英国の航空会社ブリティッシュ・エアウェイズにより驚くほどの金額で買われた。そして当然費用も一切かからず、ツアーも、ドラッグも、マスコミも、レビューも、ラジオも、テレビも関係なしにその支払いが行われ、作曲者とバンドに利益がもたらされた。まさに天からの恵みだ!現在のテクノロジーが進むスピードはアーティスト達にとってあまりにも速過ぎる。時代を先取りする感覚を持っている我々ですら取り残されてしまう。1971年に私が予測していた通り、金持ちになるのはネットワークとソフトウェアを操作する「大物」達だ。彼等は芸術の屍を餌にしているインターネット関連企業の虫だ。彼等に対して惜しげもなく、無条件に創作物を提供している芸術の創造者たちは、次から次へと襲い掛かる砲撃の中に身を投じた第一次世界大戦の歩兵隊に似ている。1人1人が自分だけは例外となりたい、生き残り、成功し、人々に注目されるようになりたいと願っているところが。「大物」達はそれを眺めて鼻で笑い、200メートルものモーターヨットをコートダジュールの美しい港に浮かべるのだ。(昨年の夏、マイクロソフト社を設立したPaul Allenのヨットの汽笛がフランスのアンティーブでずっと鳴り響いていた。その音は地面が揺れるぐらい大きく、市長がそのモンスターヨットを移動させるよう彼に命じたほどだった)

[Q17. 現在は違法ダウンロードが蔓延し、お金を出してCDを買うのを渋るファンが数多くいるという風潮があります。貴方は自分の音楽がインターネット上で「盗まれている」ことに対して怒りを覚えますか?]

私の音楽はこれまでずっとブートレグ化されてきたし、ラジオやテレビで使用料も無しに、もしくはタダ同然で使われてきた。我々は今ではそれについてプロモーションの一つの手段として考えている。もし人々がアーティストの人生に入りこんできて、作品を好き勝手に持っていってしまうことを別に問題ないと感じるとしたら、アーティスト達は死んでしまうだろう。ただそれだけのことだ。作業1時間あたり5,000ポンドを請求する金持ちの配管工だらけの世界がすぐにやってくる。アーティストや職人達はまるで乞食のようになるだろう。世間は我々の芸術を盗むのを断じてやめるべきだが、それを止められる者は誰もいない。彼等は道徳に反した、無分別な軍隊のようなものだ。彼等に対して怒ったりはしない、なぜなら私は金に困っていないからだ。これはフランス革命の再来とも言える。今度の革命では私のような「貴族の」アーティストだけではなく、アーティスト全てが苦しみに耐えている。

[Q18. 何か成し遂げたいことはありますか?音楽に関する計画でも、もしくは例えばケーキを焼くといったような意外なことでもいいのですが。]

今フランス語を勉強している。ドイツ語は少し話せるが、フランス語は学校で授業を取っておけばよかったと後悔している言語だ。音楽の面で言えば、インターネットを利用して音楽を通じたリアルなコミュニティ、社会、共通性、集まりのようなものを創造する道を探してみたいと考えている。

[Q19. The Whoの歴史の中で最も良い時期はいつですか?]

「LIFEHOUSE」のアイデアをどうにか形にしようと試みて、必死にあがいた末の挫折感を味わった後、1972年に「WHO'S NEXT」をリリースして賞賛を浴びた時だ。

[Q20. できれば立ち会いたかったロック界の出来事は?]

1963年にBob DylanがDave Van Ronkと共演したニューヨークのTin Angelのライブ。

[Q21. 最高にロックだと感じる存在は?]

ライブ前にウォーミングアップしている時のRed Hot Chillie Peppers。子供のようにジャンプしたり駆け回ったりするのを何度も何度も繰り返している。彼等が大好きだ。Steven Tylerが曲の合間に酸素を吸入している姿も格好良い。木から落ちたKeith Richardsはどうだ?ギターのトレモロアームを右手に突き刺したこの私も負けてないが?

[Q22. 貴方自身が音楽界に残してきた影響力について自覚していますか?貴方の昔からのファンは自分の子供をライブに一緒に連れてきています。それを聞いて驚きますか?]

これまでとても面白い経験を山ほど味わわせてもらった。私はツアー続きの「ポップ」ミュージシャンの息子で、父から優れたジャズや40~50年代の名曲の数々を聞かされた。それらの全てから観客の為に尽くすという方法を学んだ。私の世界には音楽的、芸術的に気取ったようなところはほとんどなかった。私は11歳の時にBill Haleyの生演奏を見た。初めて自分のギターを手に入れたのが12歳の時だった。素晴らしいアートカレッジに通い、コンピュータについて学んだ。そこでアメリカ人の写真家Tom Wrightと出会い、1日でマリファナとR&Bがどういうものか同時に教わった。それから自分が曲を作れるということがわかった。私はアートスクールに通う前のもっと若い頃にジャーナリストになりたいという夢を持っていたので、言葉の使い方を訓練していたのが役に立ったのだ。アートカレッジで受けた最後の授業で教わったのは、全てのアーティストはそれぞれに後援者と声明が必要だということだった。私の後援者はバンドを見に来てくれる観客だろう。私の声明はその観客に向けられるはっきりしない言葉を指すだろう。私が育ったのはイーリングで、ニューヨークでもリヴァプールでもなかったが、Rolling Stonesがロンドンでの最初のライブを行った小さな郊外の街だ。若い頃にそこでBert Janschにも会ったことがある。私は何度も休みを取ってきた。だから驚いたりはしない。第二次世界大戦と核兵器が出現した後、ポップミュージック(そして全てのポップカルチャーとそれに続く全てのアート)には役割が課せられたが、それにはじめて大きな変化をもたらしたミュージシャン達の波の中に私もいたということを人々はわかってくれていると感じている。当時世界は変化を求めており、当時若かった我々がその変化を起こすために取った方法は、新しい言語を生み出すことだった。

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# by yukie909 | 2007-01-03 10:27 | diary