2005年 07月 07日
7 July 2005 / Fire, Bombs etc
[原文] 2005年7月7日の公式サイトの日記。
Fire, Bombs etc
数日前に報道されていたPete所有の家が火事になったニュースについても、この度のロンドンのテロについても、Peteに関係する人々は無事だという報告です。


私の自宅が火災に見舞われたと一部で報道されているようだが、私の自宅には被害はない。
7月4日の夜、私の子供達の母親であるKaren
(※当初の日記ではKaren Townshendと書いてありましたが、後から"Townshend"を削除したようです)のロンドンの家で火事が起こった。その時彼女は他の場所に行っており、誰も被害に遭わなかった。ただ消火の為の放水で家の中にあった物がダメージを受けたかもしれない。このようなトラブルが起こるのはどの家庭にとっても実に不愉快なことだ。それでも本日ロンドンで起こった事件(※2005年7月7日のロンドン同時多発テロのこと)に比べれば対処しようがあるだけましではあるが。
ロンドンでは数度にわたってテロリストによる爆破事件が発生しており、もちろん誰にとってもどこかしらに影響を受けた友人がいる。私の友人の一人はTavistock Squareの爆破地点のすぐ近くにいた。しかし、こちらの事件でも私の親しい人々は皆無事だ。
心配してくれた皆に感謝する。

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# by yukie909 | 2005-07-07 13:57 | diary
2005年 06月 02日
2 Jun 2005 / A Tale of Summer in Two Cities
[原文] 2005年6月2日の公式サイトの日記。
A Tale of Summer in Two Cities
NYのライブの様子と自分がそれを楽しんだということ、Michael Jacksonについての思い出と無罪が確定してよかったということ、LIVE8出演決定までのいきさつや色々な思い、自伝「Pete Townshend (who he?)」の執筆は半分終わり、今年か来年のはじめには完成できそうだということ、「The Boy Who Heard Music」も作成中であること、The Whoについては現在作っている途中の曲や映像、歌詞、写真などが入ったRoger専用のDVDを準備中であること、The Whoのニューアルバムは自分達が健康でいる限り完成させることができるはず、というようなことを語っています。


正確にいえばこのエントリーは日記ではない。私のところのようなウェブサイトでなぜこういった記事が「日記」と呼ばれているのかわからない。「マスターベーション」と呼んだ方が適切かもしれない。
さて先週、Rogerと私はSamsung社の幹部や関係者の男女400人に向けて演奏する為にNYのGotham Hallに向かった。Gotham Hallは古い銀行で、巨大な楕円形の部屋は音響がよく、NYのペンステーション程も高い天井には金箔が張られていた。私の楽屋は古い金庫室の隣にあったが、その金庫は厚さ2フィート、幅はハマー
(※アメリカの高級車)でさえ余裕で通れるほどの大きさの扉で守られていた。50トンの立派な扉はチャリティ・ イベントに相応しいと思っていたら、それは開けっ放しのままだった。
Samsung社は子供達を助けるチャリティの数々をサポートする為にFour Seasons of Hopeを創設した。この組織にはプロゴルファーのArnold Palmer、そしてJon Bon Joviも関係している。今年私達に当番が回ってきたのは、恐らく私達のマネージャーであるBill Curbishleyが、新たに私達の友人となったArnoldが世界中に2万箇所ほども設計したゴルフ・コースのうちのひとつでプレーを楽しんでいる時に出演を請け負ったからではないかと私達は踏んでいる。

観客は寛大な、そしてやや懐疑的なビジネスマンが多かった。彼等のうちの一部は、見事なレアに焼き上げられた(そして実際には食べない)トルネードステーキをサーブされ、自分達をThe Whoと称する60歳の年寄り達の歌を聞く為に、1テーブルにつき3万ドルもの大金を支払っていた。私はこのイベントを楽しんだ。Rogerは私の最新の曲Real Good Looking Boyを、私もキーボード役及び
(※打ち込みの為の)メモリースティック役で参加してくれたJon Carinも抜きで、彼ひとりで歌い上げた。Rogerが自分でギターを弾いて歌う時は、やさしく味わい深い、デリケートな声になる。40年の間、ロック界で最も騒々しいバンドの中で自分の歌が何とか観客に届くように張り上げてきた声とは似ても似つかないものだ。それはめったに聞くことができない、まるで the Tornado(※竜巻というより、何かの固有名詞?)のような貴重なものだったが、観客の心を掴んでいた。(※"rare tornado steak"=『レアのトルネードステーキ』と、"a rare treat, like the Tornado"=『まるでTornadoのようにとても珍しいRogerの声』をかけています。なおトルネードステーキとは牛フィレ肉をベーコンで巻いて焼いたもの)

その前日、陪審はMichael Jacksonを無罪とし、またひとつ不条理な有名人の裁判が終了した。この頃私達「有名人」はまるでリアリティーショー(※アメリカで人気の、一定の設定の中での出演者たちの行動を観察する番組)の中で生きているようだ。Michaelが無罪となって良かったと思っている。私は彼が子供と一緒にいる時に居合わせたことがあるが、どの時も彼は無私な態度で子供たちを助けていた。ある時、彼は私の友人の娘が通っている特殊学校のダウン症の子供たちの為にサーカスを呼び、彼自身も姿を見せて、幸せそうに、そしてまるで自分も小さな子供のように興奮しながら子供たちと一緒にサーカスを見ていた。友人の娘は将来自分はMichaelと結婚すると信じこんでいたが、彼は幼い彼女を未来の妻のようにとてもやさしく隣に座らせていた。彼の羽根はきっとひどく焼け焦げてしまっただろうし、他の部分も傷だらけになってしまっただろうが、それでも彼はどこか天使のようなところのある人間だと思う。

LondonでSamsung社のライブのリハーサルをしていた時、Bob Geldofがティーンエイジャーのような口調の携帯メッセージを送ってきた。彼は若い女の子に囲まれて暮らしているため若者言葉を喋るのが上手い。
「R U doin Live8? LOL Bob g」
(※蛇足ながら訳:"Are you doing Live8?" ライブ8に出るかい? ※LOLは"laughing out loud"の略で(笑)のような感じ)
私は彼にはわかっているはずだと考えている自分に気づいた。私はこう返信した。
「RH 4 NY charity gig. Will talk 2 Rog. Later. PT」
(同: "Now I'm rehearsing for NY charity gig. I will talk to Roger. I'll answer you later" NYのチャリティライブのリハーサル中なんだ。Rogerに相談してみる。後で連絡する)
ずいぶん子供っぽいやり取りに思われたが、私はこの返信は我ながらなかなかうまくできたと思っている。

Rogerは最初乗り気ではなかった。「このイベントで集められる金は長期的に見て本当に役立つのか?ただRobert Mugabe
(※ジンバブエ大統領)に新しいジャンボジェット機を買い与えることになるだけではないのか?」等と心配していた。もしかしたらRogerはこっそりThe Spectator誌(※イギリスの伝統ある評論雑誌)か何かで記事でも書いているのではないだろうか。全く、彼はこの頃やけに頭が回りシニカルで、お堅い人間になってしまった。だが彼は突然それらの心配事を脇にやり、「知ったことか、やろうぜ!」と言った。どうせThe Spectator誌の読者なんて12人しかいないはずだ。私を含めて。

君達はアフリカについて何も知らないじゃないか、同じようなイベントを2度繰り返しても物事は悪くなるばかりだ、とひねくれたジャーナリストに責められたとしても、Rogerと私は無視することにした。そしてただThe Spice Girlsに会う為にライブをしようと考えた。するとBob Geldofが彼女達から出演の承諾をもらえていない、とアナウンスした。彼女達はオファーすら受けていないし、出演や再結成など考えたこともないと主張している。しかしタブロイド紙は、彼女達が現在まさしくThe Whoが行っているのと同じ再結成をすることによって、現在不調なソロ活動(美容整形で?)を活性化したいと心から望んでいると報道している。そして正しいのはタブロイド紙の方なのだろう、何しろタブロイド紙の読者は
(※The Spectator誌と違って)12人以上いるのだ。私達のバンドは世界中に知られているのだから、RogerがたったひとりでReal Good Looking Boyを歌い上げ私がその様子を惚れ惚れと眺めるという図が、世界を揺るがし注目を集めるステージになり得るかどうか見てみるのも面白いだろう。あの、BBCがトラブルによりWon't Get Fooled Againの映像を半分もカットした1985年のライブエイドに匹敵するような。

誰一人気づいていなかったようだが、1985年のライブエイドの写真では、私はその場にいた人間の中で唯一、良識ある昔ながらのスタイルで髪を短くカットし ていた。そのうえ確かにとてもハンサムに見えた。David Baileyが撮影し、Caprice
(※Diana妃も足繁く通ったというロンドンにある高級レストランの名前?)の男子トイレに飾られた写真などは特に。なぜこんなことを言い出すかというと、音楽的な面で言えばあのイベントでThe Whoは当時ちょうどツアーの真っ最中だったQueenに完全に負けていたからだ。そして今回のライブ8では、ANC(※アフリカ民族会議)による変革に対するロック界からのスタジアム級の回答をしている真っ最中のU2に同じように場をさらっていかれるのは明らかだ。ではThe Whoの場合は今一体何の真っ最中なのか?答えは「休息」だ。再びの休息。私は、また私のような髪型が流行する気がしている。それが本当に自慢できることなのかよくわからなくなってきたが。

ライブ8はThe Whoが今年行うライブで最も大きなショーになるだろう。もしくは今後また誰かからオファーが来ない限りは今年唯一のライブになるかもしれない。The Whoのキャリアはかなり低迷しており、どうしても盛り返す必要がある。私はこの文章を深夜2時半に書いている。キャリアについていろいろと思い悩み、眠ることができない。私は心配事を抱え込んでいる。それは確かだ。

60歳の誕生日を迎える前に、自伝「Pete Townshend (who he?)」の最初の半分を書き上げた。編集者に委ね、将来それを世に出してくれる予定の出版社の元にわたる準備ができている。今年中か、来年早々に完成させるつもりだ。また、新しいソロ作品「The Boy Who Heard Music」の作業も進めている。このタイトルでは自伝的なストーリーの作品に見え、誤解を招きそうだ。これは少年ではなく架空のコンサートについての物語であり、私自身の人生よりもLifehouse(詳しくは私のサイト内の別コンテンツを参照のこと)の脚本に近い。だが私もかつては少年だった。よって部分的には私自身についての作品とも言えるかもしれない。全く恥ずかしい話だ。

それよりもっとThe Whoファンにとって興味をそそられることといえば、私は今月Rogerひとりが見るためのDVDを用意している。私がこれまで録音してきた曲、制作中の曲のデモ、私が様々な曲を歌っている映像、歌詞や写真などで構成されている。このDVDを見ることで、昨年9月にスタートしたThe Whoのニューアルバムの制作について、私の作業の遅れによって全てが台無しになった訳ではないということをRogerがわかってくれるよう願っている。私達が健康でいる限り、作品は完成するはずだ。

もう3時になってしまったので、眠らなければ。私は今Simon Grayの『THE SMOKING DIARIES』を読んでいるところだ。眠れない時にはこの本は読まない方がいい。止めることができなくなってしまう。65歳でぜいぜい息をきらせて、1 日60本の煙草を吸いダイエットコークをがぶ飲みするGrayの姿は、Bob Geldofが確かに元気であると思わせてくれる。しかしBobと同じく、Grayはこの時代に生きる結構な年齢の現代人で、彼の書くものは現代が抱えている素晴らしい不安と、戦前の崇高な威厳が持っていた不安とを結び付けている。彼はまた、苛立っている時でも完全に平静を装い続けている様子が本当に面白い。

平静、それはリハビリテーションと 12ステッププログラムのワークショップにおけるキャッチフレーズだ。平静は楽観よりも程度が高い。同じく、充足は度胸よりも、ユーモアは正直よりも、そして威厳はパワーよりも上だ。私はライブ8が大きな成功を収めることを願っているが、同時にこのイベントが平静と威厳と共にあり、本当にアフリカの友人達の助けになってほしいと思っている。Bobによるとひどい困窮の為にゆがんだ表情が既にユーモアなど超越してしまっている彼らが、ひとときでも充足の時を得られるように。彼らが現在持っているものの2倍ではどうだろう?
(?)
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# by yukie909 | 2005-06-02 01:48 | diary
2005年 05月 28日
27 May 2005 / Who Film Anthology
[原文] 2005年5月27日から数日の公式サイトの日記。
Who Film Anthology (削除済のため、リンクなし)
映画「My Generation: Who's Still Who」について書かれています。この映画につき快く思わなかったらしいPeteは3度にわたってdiaryを書き直し、制作側と何らかの話し合いを持った後、最終的に全て削除してしまいました。同じような内容が繰り返されてくどくなりますが、その過程を追ってみます。


<1度目の更新>
最近発表されたSpitfire Filmsと監督のMurray Lernerによるプレスリリースは誤解を招くかもしれない。私、Pete Townshendはこの作品のプロデューサーではない。自分自身をこのプレスリリースがほのめかしているような「このプロジェクトの推進者」であるとは考えていない。私は決してこのプロジェクトの進行を妨害するつもりはないが、私が製作チームやクリエイティブ・チームの一員ではないということをはっきりさせておきたい。このプロジェクトを最初から進めており、プロデューサーの立場であるのは、Roger DaltreyとNigel Sinclair(※『ターミネーター3』『ウェディング・プランナー』製作)、そしてThe Whoのマネージャー達だ。

<2度目の更新>
Murray Lernerがフィルム・アンソロジーについて語った内容の引用2点を読んだところだ。これは彼が監督を務めるもので、私も製作に加わっていると誤って報道されている。私はプロデューサーではない。

『うまくいけば、これまで見たこともないような風変わりな作品になるだろう。ステージ内外でのメンバー同士や暴れるファンとの争い、ステージ上で起こったおかしな出来事、別れた夫人やガールフレンド達のインタビューなどの材料を探している』
『私は観客を、一種のSF風味の新たな世界に誘いたいと考えている。それはオペラのようなものだ。インタビューの声が音楽に変わり、またインタビューに戻ったりするよう様式化することを試みようとしている』
(?)

これを見ると、まるで彼は物議を醸すのを望んでいるように思える。Whoミュージックは、どれだけ金を積まれてもこの種のゴルフ・コースを運営する(?)映画制作者に使わせるようなものではない。

私の使命の全てはWhoミュージックの品位を守り続けることで、それがLernerによって安っぽいメロドラマに姿を変えられてしまうのなら、せっけんの宣伝にでも使われる方がましだ。
(※"メロドラマ"も"せっけん"も同じ"soap"という言葉)

<3度目の更新>
最近発表されたSpitfire Filmsと監督のMurray Lernerによるプレスリリースは誤解を招くかもしれない。私、Pete Townshendはこの作品のプロデューサーではない。自分自身をこのプレスリリースがほのめかしているような「このプロジェクトの推進者」であるとは考えていない。このプロジェクトを最初から進めており、プロデューサーの立場であるのは、Roger DaltreyとNigel Sinclair、そしてThe Whoのマネージャー達だ。

Murray Lernerがフィルム・アンソロジーについて語った内容の引用2点を読んだところだ。

『うまくいけば、これまで見たこともないような風変わりな作品になるだろう。ステージ内外でのメンバー同士や暴れるファンとの争い、ステージ上で起こったおかしな出来事、別れた夫人やガールフレンド達のインタビューなどの材料を探している』
『私は観客を、一種のSF風味の新たな世界に誘いたいと考えている。それはオペラのようなものだ。インタビューの声が音楽に変わり、またインタビューに戻ったりするよう様式化することを試みようとしている』

これを見ると、まるで彼は物議を醸すのを望んでいるように思える。私はSFミュージカルとオペラを作るThe Whoファミリーの一員であり、私の音楽、つまりWhoミュージックは、映画制作者達に無条件に使わせるようなものではない。

私の使命の全てはWhoミュージックの品位を守り続けることで、それがLernerによって安っぽいメロドラマに姿を変えられてしまうのなら、せっけんの宣伝にでも使われる方がましだ。


<4度目の更新>
このプロジェクトのライン・プロデューサー(※撮影現場のまとめ役となるスタッフ)と連絡を取り、私自身や私の友人達、家族のプライバシーが完全に守られるということを聞いて満足している。
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# by yukie909 | 2005-05-28 16:26 | diary
2005年 04月 17日
17 April 2005 / Glimmers
[原文] 2005年4月17日の公式サイトの日記。
Glimmers (削除済のため、リンクなし)
Peteは自伝執筆で忙しいため、RogerとSimonでレコーディングを任せて作業を進めるという内容でしたが、掲載後2日でサイト上から消されてしまいました。


映画の撮影に入る前にいくらか時間の余裕があるRogerに、私が自宅で作った数曲を弟のSimonと一緒に完成させてくれるよう提案している。彼等は近いうちに作業に取りかかることになるが、私抜きで進めていかなければならないだろう。私は今は自伝を書いているところで、スタジオでの仕事をするにはあまり自由な時間がない。だが、私は既にかなりの部分を終わらせているし、良いアルバムを作る材料はたっぷりとある。これは良い兆しと言えるだろうか?(※この一文、原文は"A glimmer of music?"ですがうまく訳せません)
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# by yukie909 | 2005-04-17 16:07 | diary
2005年 03月 21日
21 March 2005 / Spring has not Sprung
[原文] 2005年3月21日の公式サイトの日記。
Spring has not Sprung
4ヶ月以上ぶりの更新。前回の日記に書かれていた「春の新作リリースと初夏のツアー」という計画は残念ながら実現しないようです。


The Whoのニューアルバムの制作は遅れているが、中止になったわけではない。3年かけて書きためてきた曲達を春の終わりか夏のはじめにはリリースしたいと願っていたけれども、その発売予定は目と鼻の先で吹き飛んでしまった。初夏に出演しようと思っていたライブはなくなってしまったようだし、Oasisのおかげで2006年1月まで私達のドラマーが不在になってしまうからだ。代わりの案も色々あって、それぞれ切実な思いで検討もしてみたが、現在私がやりたいと思っていることとはうまく合わなかった。今は新しいストーリー、「The Boy Who Heard Music」の為の音楽の制作に全力を注いでいる。また、今年の終わりには自伝も書き上げたいと思っている。残念だが、この自伝執筆のために年内に計画していたThe Whoの活動予定をある程度先送りにしなければならない。

多くの計画を立てたが、どれも緩やかなスケジュールにしていた。おかげでこのような苦しい状況になってしまった。これは多分私のせいだろう。私のスタジオでの作業がはかどらないせいで、他の皆は私が実際にはレコーディングなんかしてないんじゃないかと思うか、待ち続けるのに疲れたかのどちらかになってしまった。私が作曲したいくつかの曲でRogerが「スケッチ・ヴォーカル」と彼が呼んでいる作業を済ませていて、その成果がとても良いものだったということは言っておこう。でも、新曲なしでThe Whoとしてこれ以上ツアーに出ることはできないと思っている。よって新作が完成して実際に手にするまでは、機会を伺いながら希望とともに生きるしかないというところだ。


(関連記事)
ザ・フー、新作のリリースが遅れる [BARKS]
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# by yukie909 | 2005-03-21 01:40 | diary
2004年 11月 10日
10 November 2004 / I need to clarify a few things I think.
[原文] 2004年11月10日の公式サイトの日記。
I need to clarify a few things I think.
The WhoのニューアルバムWHO2についてと、今後のツアーのこと、近況について書かれています。


The Whoのニューアルバム -「WHO2」はコンセプトアルバムにはならない、と考えている。Rogerと私は12月中旬に会い、我々が作ってきた曲を演奏してみる。そこからうまく進めば、来年の春にはCDをリリースする準備が整うかもしれない。「WHO2」というタイトルは、ただふざけて一時的にそう呼んでいるだけだ。もしレコーディングでいい結果を出せれば、2005年の前半のうちにお馴染みのメンバーと共にツアーに出るつもりだ。

THE BOY WHO HEARD MUSIC - しばらく前に書き上げた短編だ。次のThe Whoのアルバムのタイトルではないし、自伝でもない。「LIFEHOUSE chronicles」の続きで、「LIFEHOUSE METHOD」(様々な人々から集めたデータを元にして生み出された音楽)を取り上げている。これを2005年の後半に音楽をつけたアニメーション作品にできたらと考えている。コンサートバージョンも見てみたい。「LIFEHOUSE」に関係する全てのことは、私にとって見果てぬ夢だ。
(※レコードコレクターズ誌の『WHO'S NEXT』特集号では、『LIFEHOUSE METHOD』は『Peteが以前から構想している、ステージと観客との一体化をヴァーチャルなメディアとクロスさせて実現しようという計画』と説明されています)

WHO HE?
-曲や短編小説を書く合間に、自伝を書く作業も進めている。私はこの仕事を本当に楽しんでやっている。もし2003年初めに逮捕されていなければ、今Bob Dylanがしているように、まず若い頃の部分だけを先に出版するつもりだった。現在はこの自伝について、自分の人生の軌跡を見つめ直し、最近起こった出来事を正しい前後関係とともに位置づけておくよい機会となっている。私は長くぎこちない人生を歩んできた - この本には時間がかかるだろう。

A DIFFERENT BOMB - 2003年初めに逮捕された時に、現在準備中だと言っていたのはこの本のことだ。インターネット上の児童ポルノが持つ影響と危険性に関する短い本で、虐待により命を落とした者や私のようにそれを受けてなお生き延びた者についてのエッセイ、彼らに対するインタビューで構成されている。この本のことは棚上げになったままだ。この問題に公然と取り組むような真似はもうできない。
(※この「A DIFFERENT BOMB」の核となるPeteのエッセイはこちらで読めます。PDFファイルはこちら

QUADROPHENIA -まだ確かじゃないが、この作品が劇場で披露される可能性について、興奮するようなニュースがある。2002年に進んでいた、Trevor Nunn監督の演出でNational Theatreで上演されるという話はちょっとしたトラブルに見舞われてしまった。しかし、地方にある多くの劇場からこの作品について深い興味を示してもらっている。有名なアメリカの監督も上演を検討してくれている。

新しい試み - Des McAnuff(この世で最も忙しい男に違いない)ともLas Vegasで新しいミュージカルの上演が実現できないか話し合っている。
(※Des McAnuffは過去にブロードウェイ版『TOMMY』やアニメ『THE IRON GIANT』を手掛けた演出家)我々は1993年にブロードウェイで「TOMMY」をやって以来、このことについてずっと相談してきている。それが現実味を帯びてきた。

現在
- これまでの文章が私が現在取り掛かっている様々な活動の一つ一つを説明できていればいいのだが。毎日毎日、私はスタジオで時を過ごして曲を作り、たまに2~3時間かけて自伝を書き進めている。このクリエイティブな時間を私は心から楽しんでいる。

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# by yukie909 | 2004-11-10 00:58 | diary
2004年 04月 01日
April 2004 / Uncut interview: Chapter 1 - Losing The Who
[原文] Uncut誌2004年4月号に掲載されたインタビュー。
Chapter 1 - Losing The Who (雑誌掲載記事の為、リンクなし)
※Words by Simon Goddard
第1章は「TOMMY」誕生以前の話です。


Pete Townshendが1966年5月19日に21歳の誕生日を迎えた時、彼はすでに60年代を代表する若者のアンセムを3曲作り上げていた。ポップ・アートの崩壊を示した「Anyway, Anyhow, Anywhere」、階級意識への怒りをあらわにした「Subtitute」、そして何よりも衝撃的な、上の世代に向けて口汚く「フ・フ・ファックオフ!」と言い放つ「My Generation」。Lennon/McCartney、Jagger/Richards、そしてRay Davisらがもてはやされていた時代において、独自の世界を持つ作曲家Townshendの登場は特筆すべき出来事だった。

バンドとしてのThe Whoの存在もまた突出していた。Beatlesがメロディを、Stonesがセックス・アピールを、Kinksがリフを武器としていたなら、The Whoの切り札はワイルドな攻撃性だった。Roger Daltreyの浮かべる冷笑、John Entwistleの揺るぎなさ、Keith Moonのドラムを粉々にする程のアナーキーさ、そしてTownshendの存在。そこには、このシェパーズ・ブッシュの4人の乱暴者達がステージ上で楽器を叩き壊していない時には、ステージの外でお互いに壮絶な殴り合いをしているのではないかと思わせる何かが伺えた。(そしてそれは当たらずとも遠からずと言えた)The Whoは60年代半ばのティーンエイジャー達の怒りを他の誰にもできない方法で代弁した。バンドの破壊パフォーマンスはただ若者が癇癪をおこして暴れるというようなものではなく、Townshendがイーリング・アート・カレッジでの学生時代に関心を寄せていたドイツのコンセプチュアル・アーティストGustav Metzgerによる「自己破壊」マニフェストにヒントを得ていた。

Townshendのモッズ的怒りの表現は鋭い知性に裏打ちされたものだった。外へと向けられる若者の怒りと心の内での思慮という二つの相反するもの同士の関係については、1966年1月に放映された若者向けの番組「A Whole Scene Going」で詳しく描写されており、私はインタビューの前夜に忘れずに見返してきた。Townshendは生意気ながらも率直な態度で、ドラッグをやっていると言って観客を失望させたと思えば、その1分後には深遠な考察を語って彼等を悩ませるといった具合だった。不機嫌そうな顔をしつつはっきりと自分の意見を口にし、背中を丸めた姿勢で質問に答える間、彼は体をゆっくりと左右に揺らしていた。

今回のインタビューの途中、彼が椅子の上で体を揺らし始めた時、私はデジャ・ヴュのような感覚に襲われた。昔より丁寧に受け答えをし、 59歳を迎えた彼には当然のことながら残り少ない髪も白くなり、あごひげを蓄えるようになったが、この昔と同じ癖や話す時の真剣さ、率直さを見るに、2004年1月のPete Townshendは1966年1月の彼とほとんど変わらないと言ってもよかった。

先日The Observer誌が「できればインタビューしたくない相手」と彼を呼んだ程、本題から外れて気まぐれに話をそらすという悪評ばかりが先に立っているが、彼は今もなお人を惹きつける話し手である。次から次へと話題を変えていく様子はまるできわめて知的な(そしてほんのわずかに気の違った)大学学長のようだった。

彼が点と点を結びつけたことにより、
(※TOMMYという)大きな絵を覆っていた霧が消えていった。Tommyに関する「どうやって?」「なぜ?」そして「一体何なんだ?」という謎を解く為には、The Whoの起源にまで遡らなくてはならないとTownshendは主張した。カタルシスを呼ぶような、言葉にできない気持ちとパワーコードのうなりから成るデビューシングルの「I Can't Explain」が、1965年初めにトップ10入りを果たした時から話を始める必要がある、と。

「Whoの歴史を考える時に、」と彼は語りはじめた。「忘れられがちなのは、出発点となったI Can't Explainが必死になってThe Kinksを真似して作った曲だったということだ。俺は心底Ray Davisを崇拝していた。いや、崇拝
(※worship)という言葉は違うな……賞賛(※exalt)していた。RayだけじゃなくてDave Daviesのことも。Kinksはとにかく素晴らしかった。アメリカ人は『Beatles、Stones、The Who』と並び評するが、俺にとっては『Beatles、Stones、The Kinks』だ。三大バンドといえばその3つに決まってる。だからただKinksをコピーしただけのI Can't Explainですら、何とか控えめなヒットになった。だが俺は『これで当座の家賃は凌げるが、その後はまた元通りそれまで学んでいたアートの世界に戻ることになるだろう』と考えていた。(※音楽で身を立てることになるとは)思いもよらなかった」

ある夜、Townshendはメンバー達が生まれ育った西ロンドンでGoldhawk Roadから来た不良少年の集団に囲まれた。その時に彼がはじめて気づいたのは、それまでただの盗作や「音楽的センセーショナリズム」に過ぎないと軽視していたものが、ずっと勉強してきたヴィジュアル・アートなどよりも、実は自分の創造性と若さゆえの怒りを表現する為に有効だったということだった。彼はその時のことを今でもはっきりと覚えている。

「一番偉い奴が出てきて俺に言うんだ。『I Can't Explainはすごい曲だ』俺は『はいはい、どうも』と適当に受け流した。すると相手は言う、『いや、あなたはわかってない。あの曲こそ俺達の気持ちを歌っている』それでも俺はまだいい加減な返事をしていた。すると彼らは俺に掴みかかって(拳骨を振りかざす)『いいや!お前は何もわかっちゃいない!』ときた。そして俺は心の中で思ったんだ、『そうだ、確かに俺はわかっていなかった』と。彼らと別れた後、歩きながらこう考えたことををよく覚えている。『大事なことに気づいたぞ。俺が現代社会におけるひとかどのアーティストになる時がきたようだ。彼こそ俺達の観客なんだ、俺達はすぐにでも彼らみたいな人間の気持ちを代弁することができる。それが俺の仕事だ』
(※最初のリーダーの言葉、"This really means something"のthisがI Can't Explainを差すというのは飛躍した取り方かもしれません。参考までに、同じ状況について1993年にPeteが別のインタビューで語った部分を抜粋します。この内容からThis=ICE?と推測したので。→P:でも「アイ・キャント・エクスプレイン」が出ると、シェパーズ・ブッシュのゴールド・ホーク・クラブからどっとガキが出てきて、どもりながら僕に言うんだ。「こ、こ、これこそ、僕たちの歌だ。あなたは僕たちがずっと言いたかった事を言ってくれた」それで僕は言った、「へぇ、僕はなにを言ったっけ?」すると彼らが「僕たちは自分の感じている事をうまく言えないって」それを聞いて僕は「いや、僕が実際に言ってるのは、きみらにはきみらの感じてる事をうまく言えないってことだ」。でも彼らは「とにかくこれなんだ、あなたにもっと作って欲しい、もっと何か書いて欲しい、いますぐかいてほしい」)
そいつらが薬をキメたモッズの集団だったのは確かだが(にやりと笑う)、何もないよりずっと良かった。Spike Milliganもよく言ってただろう、「ただのキッチンの流しでも僕には我が家」ってね。(※元の文は"It's only a kitchen sink, but it's home to me"。50年代のラジオのコメディー番組「The Goon Show」で、Spike Milliganにより書かれた脚本に"It's only a luxury 50 million pound villa, but it's home to me"というSeagoonの台詞があり、これをもじったもののように見えます)
この時からThe Whoは以前よりも目覚ましくパワフルになり、また重要な役割を帯びるようになった。ロンドンに移ってきたモッズという小さなグループは、既に社会への不満や公民権に関することまでも主張するようになっていた。俺達はモッド・ムーブメントの後ろを追いかけはじめ、なんとかうまく流れに乗ることができた」

1年の間にThe Whoはそれまでの労せず美味しいとこどりをする目立ちたがり屋という存在から、少なくともチャートの上でモッズ達のリーダーへと成長を遂げた。
「俺達はとにかくひたすらイメージ的なものを取り入れた。ポップアートミュージック、ユニオンジャックのジャケット、俺がこだわっていた自己破壊、アートカレッジを終えた後に浮かんだアイデアなど…」
彼が言うには、彼らのコマーシャルとの蜜月時代は65年の初めから67年の終わりまでだった。
「それから俺達は下降線を辿りはじめた。俺達は自分の場所を確保していたけど、それは他の誰かがいられる場所じゃなかった。つまり、俺達は3分間シングルでも、皮肉をこめた曲でも、危険をはらんだ曲でも、セクシャルな曲でも、何をやってもよかった。俺は痩せた子供が煙草のせいで早死にして太った子供が長生きする曲を作り(=Little Billy)、Pictures Of Lilyでマスターベーションを取り上げ、I'm A Boyでトランスセクシャル
(※この語そのものは「自分の内面・精神とは逆の性別の身体に生まれてしまった人」に対して使われますが、この曲の場合は「生まれる子供の性別を選べる社会において、母は女を選んだのに間違って男の僕が生まれてしまった」という状態なので、ひとまず「間違った性に生まれたジレンマ」といった感じでしょうか)に焦点をあて、Anyway, Anyhow, Anywhereで男達の別れの言葉を歌い、My Generationで思春期を過ぎた十代の若者の怒りを浮き彫りにした。今言ったことを全部初期のシングル何枚かでやってしまったというのを考えてもみてくれ。つまり『TOMMY』に取り掛かるまでに、これは曲のテーマに取り上げられないと思うようなものはほとんど何もなくなってしまった」

創作意欲の面は問題なかった。Townshendは多様なシングル曲のみならず、1966年には初めての10分間のロック・オペレッタ「A Quick One While He's Away」を見事に書き上げたし、同様に意欲的な曲「Rael」は1967年の3rdアルバム「THE WHO SELL OUT」に収録されたもので、すでにライブでは取り入れていた「TOMMY」の「Sparks」のリフが姿を見せていた。

深刻だったのは資金の問題だった。とにかく金が不足していた。1965年、1週間に稼ぐ金額の平均が20ポンドだった頃、Townshendは150ポンドのギターを分割払いで買っては叩き壊していた。負債はすぐに膨れ上がり、悪いことに一時彼らのプロデューサーだったShel Talmyとのいざこざも長引いていた。その頃のThe Whoは既にトップ10ヒットを7曲も抱えていたが、肝心のナンバー1は未だに取ることができないでいた。

1967年の11月、「I Can See For Miles」をリリースしたTownshendは、何もかも見通して相手の心変わりを激しく糾弾し、サイケ風に歪んだギターの音色が響き渡るこの曲こそが、全てを変えてくれるはずだと思っていた。彼は自分がやっと華々しくチャートを飾れるフー・クラシックを書き上げ、これでようやく溜まった借金から解放されると信じて疑わなかった。

「本当にそう思ったんだ」彼は頷いてみせた。「ついにやった、こいつが俺の最高傑作だ、って。だが発表後大した人気は得られなかったよ。(笑い)俺はこの曲が世界でナンバー1を取れると思っていた。マネージャーのKit Lambertがこの曲をクラシックの作曲家のWilliam Waltonに送ったんだが、彼は『これはポップ界の天才による見事な作品だ』という感想を返してくれた。俺は考えた、『いよいよだ、この曲がリリースされたら俺は比類なき天才として世の中に認められるぞ!』と。そして、もちろん何も起こりはしなかった。アメリカでは少しは売れてラジオでかかったりもしたが……10位かそこらで終わってしまった」
(※実際にはアメリカで9位、イギリスで10位)

「それで思ったよ」(肩をすくめ)「俺達はもうおしまいだって」

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# by yukie909 | 2004-04-01 14:39 | article
2004年 04月 01日
April 2004 / Uncut interview:The truth about The Who, Tommy and me (preface)
[原文] Uncut誌2004年4月号に掲載されたインタビュー。
The truth about The Who, Tommy and me (preface) (雑誌掲載記事の為、リンクなし)
※Words by Simon Goddard
2004年はじめに行われた「TOMMY」がテーマの長いインタビュー。ロッキング・オン誌2006年4月号にも全訳が掲載されています。ただしここで訳した前置きの部分や、本文中でも特にインタビュアーの主観が見られる部分等はカットされていました。
2年前に翻訳して他の場所で公開していたものですが、今回アップするにあたって多くの部分を直しました。


彼は遅れてきた。そして私の周りの皆がしきりに恐縮した。Uncutの記者をたっぷり30分以上待たせてようやくPete Townshendが トゥイッケナム・スタジオに到着した時、彼がわざわざ謝ったからだ。彼の弁明?「ガールフレンドと食事してたんだ」というものだった。離れたミキシングルームへと私を案内し、息を切らせて階段を上りながら彼は続けた。「そして現代のポップ・ミュージックが持つ問題点について議論しあっていた。時が経つのも忘れてしまったよ」私は彼に気にしないでほしいと言った。たった3分間という最も短い革命の数々を生み出してきたこの人が、長い時間が経った今もなおその手段について大きな関心を寄せているということを知って安心しながら。「本当に申し訳なかった」彼は繰り返した。

小さな防音のミキシングルームは壁の全面がガラス張りになっており、下を流れる川を素晴らしいパノラマ・ビューで眺めることができる。Townshendがインタビューの場所としてこの部屋を指定したのは、彼がこの眺めを気に入っているからだと私は思い込んでいたが、実際には彼は特別な理由があってこの場所を選んでいた。12ヶ月前、まさにこの部屋で伝説的なロックオペラ「TOMMY」が1969年ステレオマスターから5.1chサラウンドバージョンにリミックスされたのだった。「この部屋でテープを聴いて軽くショックを受けたよ」彼は後に語った。「俺が覚えていた音と違うんだ」

我々がコートを脱いで腰掛けたばかりの時には、その最も待ち望まれた「TOMMY」のリマスター作業について、きっと純粋に2004年5月に迎えるリリース35周年を記念して行われたに違いないと私は考えていた。「そうじゃないんだ」彼は携帯電話をミキシング・コンソールに置きながら訂正した。「去年逮捕されて他に何もやることがなかったからさ」彼の声はやや小さかったが、穏やかだった。「ただそれだけの理由だよ」

Peteの広報担当によると、今回の取材は英国の音楽メディアでは逮捕後初の直接のインタビューになるということだった。彼は落ち着いて対処できるeメールでの取材を好む。(我々が前回彼とコンタクトしたUncut誌68号のインタビューも同様だった)また、我々は「逮捕」について触れないよう事前に求められた。彼は2003年1月にポルノサイトにアクセスする為にクレジットカードを使ったことを認めてスコットランドヤードに取り調べを受けていた。

「2、3ヶ月待たなきゃいけないってことがわかっていた」彼は椅子にくつろぎながら言った。「警察が俺の家からコンピュータを12台持っていってしまった。彼らは1ギガ確認するのに1週間かかるだろうから、いつまでも終わりそうもないし、こっちは仕事にならない。クソ、何ができるだろう?って思ったんだ」

まるで運命のように、取り調べと「TOMMY」のリマスターの依頼が同時にやってきた。Townshendはただちに承諾して、警察がせっせとハードディスクから情報を取り出している4ヶ月の間作業に集中し、魔女狩りに沸き立つタブロイド誌の攻撃をかわすよう努めた。Townshendは自分が有害サイトにアクセスしたのは純粋に調査の為であり、インターネット上に児童ポルノが蔓延している危機感を伝える目的であったと常に主張してきた。裁判所は2004年5月にようやくその主張が認めて彼をホッとさせたが、法律の一環として警告が与えられ、彼の名は英国の性犯罪者リストに今後5年間登録されることとなった。レコード会社からの注意は別としても、私は今回Townshendに逮捕の件を持ち出してもらうつもりはなかった。その件は「TOMMY」とは全く関係がないのだから。少なくともインタビュー前にはそう考えていた。

「だから、リマスターに取り掛かった理由はそういうことだ」彼は続けた。「だが、感情の源泉に立ち戻らなくてはいけないと俺が考えたのもまた理由の一つだ」彼はしばらく黙り、慎重に言葉を選んだ。「TOMMYは俺の傷けられた子供時代の形跡を見つめ直す為のスタート地点だ。俺が目を背けて気づかないふりをしていた過去を」

それから彼はその後90分かけて、逮捕にまでつながってしまった自分自身の児童虐待の被害者に対する強いこだわりと「TOMMY」という作品とは、切っても切れない関係にあるということについて説明してくれた。ロックオペラというものを打ちたて、The Whoを破産から救いだし、それどころか大金持ちにし、ハリウッド映画やブロードウェイのミュージカルにまで広がり、そして彼の言葉を借りればこの素晴らしきイギリスのロックンロールバンドを結局は「破滅させた」アルバム。それが「TOMMY」だった。


(Chapter 1に続きます)
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# by yukie909 | 2004-04-01 03:36 | article