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2007年 12月 21日
21 December 2007 / The Japan Times: 'I carry The Who brand with pride'
[原文] 2007年12月21日のジャパンタイムズ紙記事。
'I carry The Who brand with pride'
最近行われたeメールによるインタビュー。文中に出てくる「ドキュメンタリーの日本でのプレミア上映が決まっている」という部分は、事実かどうか未確認です。
記事を書いているローランド・ケルツについてはこちら参照のこと。ピートはリンク先で紹介されている彼の本の広告にコメントを寄せています。


私がザ・フーのピート・タウンゼンドに最初に会ったのは10年前のことで、その時はロンドンの彼の家に近いホテルにてインタビューを行った。彼は1階のスイートに元気よく現れた。椅子に腰掛け、組んだ足を揺らして、彼は情熱をほとんど抑えることなくそれぞれの質問に答えてくれた。

インタビューは2~3時間で終わるだろうという私の予想に反し、昼食を共にして語り合うことになり、最終的にはタウンゼンドが出かけなければならない午後8時まで1日中話は続いた。彼は帰り際に私にこう約束した。「もしまだどうしても聞きたいことがあるなら、1時間ほどで戻ってくるよ」

当然ながらタウンゼンドはロックの世界で伝説的な人物だ。しかしロックの殿堂入りした自身の仲間達と違って、彼は人並外れて自己批判的な人間で、誰よりも強い信念を持っており、幅広い分野で大きな成果を挙げている。ブロードウェイでの仕事ではトニー賞を獲得し、自身の短編集を出版して、80年代にはイギリスで最も格式ある出版社のひとつであるフェイバー&フェイバー社で編集者としても活躍した。2003年にはインターネットで児童ポルノのページにアクセスしたとしてイギリス警察に逮捕されるという出来事もあった。彼の容疑はその後すぐに晴れ、今となっては彼を標的としたおとり捜査だったのではないかという疑いの声も挙がっている。タウンゼンドの活動にずっと注目してきた私達のような人間にとっては、彼が幼児虐待の恐ろしさについて書き続けていたことや、ずっと昔からその関連のチャリティ活動に後援者として尽くしてきたことはよく知られた事実だ。

ステージ上においては、タウンゼンドはギターを何本も破壊してきた(最後に壊したのは偶然にも横浜でのことだ)。スタジオでは、ザ・フーが誇る2つのロックオペラである『TOMMY』(1969年)と『QUADROPHENIA』(1973年)、また哲学的なソロアルバムの数々によって音楽の既成概念を壊してきた。彼のバンド仲間は、ドラマーのキース・ムーンが1978年に、ベーシストのジョン・エントウィッスルが2002年に亡くなった。1979年には、オハイオ州シンシナティでライブ会場での圧死という事故により11人のファンを失っている。

簡単に言えば、ロック界のスターとしてのタウンゼンドは近寄りがたい人間だ。しかしパンクの先駆けとなったザ・フーという並外れたバンドと同様に、ありのままで生身の、身近な人間としての姿もまた持っている。

1ヶ月前、もう1人の残存メンバーであるロジャー・ダルトリーが来年に日本で初のツアーを行うと発表した。ポール・クローダー、そしてオスカー獲得経験のあるマレー・ラーナー監督によるドキュメンタリー『Amazing Journey: The Story of the Who』は、2008年に日本の映画館でプレミア上映が行われることが決まっている。アメリカとヨーロッパのファンには、クリスマス向けに既にDVDが発売されている。

しかし日本へ行くという話は初耳だ。62歳になるタウンゼンドはしきりにこの国を再訪したがってはいるが(『ぜひとも近いうちに日本で演奏したいと願っている』との発言あり)、今回のeメールでのインタビューでは具体的な日程についての話を出そうとはしなかった。かつて、ザ・フーは常に考えが食い違うバンドだった。メンバーのうち2人しかこの世に残っていない今でも、意見が一致しないことにかけては昔と全く変わっていない。


[Q. 2004年に横浜でのフェス、ロック・オデッセイの為に初めて短期間で日本を訪れた時のことを振り返って頂けますか?2008年の来日についてはどうですか?]

初来日は素晴らしい経験だった。(フェスのメインだった)エアロスミスのゲストとして、我々はVIP扱いをしてもらった。ここまで我々がパワフルだったとは誰も思っていなかったんじゃないかと思う。自分でも目を見張るほど良い演奏ができた。
私は日本をとても好きになったし、そのことに驚いた。ここまで日本を気に入るとは想像していなかったんだ。勿論私には日本人の知り合いも多く、皆良い人ばかりだ。だから彼らの国を好きになることは予想できたはずだった。

[Q. 新しいドキュメンタリーでは、貴方とヴォーカルのロジャー・ダルトリーはバンド仲間としての未来に対して固い決心があるようでした。キース・ムーンを失った30年よりも、今の方がバンドの未来に胸を躍らせていますか?]

かつてのロックはもう長い間死んだままでいる。ロックというものは実に発見の連続だった。一度発見されたものはもう一度再発見されるのを待つしかない。新しい若いファンの目には素晴らしいものに映るだろう。古いファンにとっては昔を懐かしむものとなるだろう。
私は1978年に燃え尽きた訳ではない。キース・ムーンにはうんざりしていた。彼が亡くなり、もうこれ以上彼のことで頭を悩ませずに済むようになって、ある部分ではホッとしていたのも事実だ。私はいつも彼はもう2度と良いライブができないんじゃないかと心配ばかりしていた。しかしまた彼の死はあまりにも痛ましいことでもあった。彼はようやく自分の弱い部分を他人に見せるようになった所だったし、あんなに魅力的な男はいなかったから。彼は親切で、愉快な性格は昔と変わらなかったが、破滅そのものに夢中になる度合いは減ってきていた。
現在、ザ・フーはロジャーと私が大きな誇りを持って維持しているブランドだが、ある程度の不安もまた抱えている。我々の作る音楽は一筋縄ではいかない。

[Q. 昨年ザ・フーの24年ぶりとなる新作『ENDLESS WIRE』が発売されました。貴方自身と聴き手が長年にわたって求め続けてきたものがようやく形になった訳ですが、これで自由になったと感じていますか?]

我々が完全に自由になるということは起こり得ないし、そうなりたいと願ってもいない。たとえそれがある程度は計算の上だったとしても、我々は古いサウンドを再現することができる。私がザ・フーのソングライターとして、これまでずっと受け入れざるを得なかったことは、イーグルスがやったのと同じことをして、ザ・フーのスタイルでアルバムを作り、それを売るというのはできないという事実だ。誰もが我々に新しい姿でいてほしい、賭けに出てもらいたいと期待している。そして同時に、始末に負えない矛盾と言えるのが、彼等は我々が昔のままで変わらないこともまた望んでいるんだ。それほど多くの部分が変わった訳ではない。私の書く曲の幅が広がったというぐらいだ。


(以下翻訳略)
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by yukie909 | 2007-12-21 00:03 | article