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2006年 10月 31日
31 October 2006 / Planes and Pains
[原文] 2006年10月31日の公式サイトの日記。
Planes and Pains
奥さんの病状が悪化したために、Rabbitがツアーメンバーから一時離れることになりました。PeteのRabbitとSueへの思いやりが伝わってくる文章です。「代役は迎えない」と断言しており、その言葉どおりこの後のツアーはRabbitの音響を担当しているBrianというスタッフが数曲で代わりに入っただけで、代役は入れずに続いています。


Rachelと私はThe Whoのツアーのセカンド・レグの為にロスへと向かった。今期は公演の合間に「In The Attic」のイベントがかなり入っている。我々は気分上々で、カリフォルニアの親しい友人達に会うこと、そして演奏することを楽しみにしている。だがRabbit (John Bundrick)のことを考えると痛ましい気分だ。

今朝、リッチモンドの草原にはさわやかな秋晴れの下で力強い風が吹き抜けていたにもかかわらず、未来には暗雲が立ち込めていた。Rabbitの妻、Sueは先日来病に臥せっていたが、昨日Rabbitが電話をかけてきて、どうやら彼女が最期を迎えることになりそうだと告げたのだ。Sueはとても特別な人だ。彼女は美しく、穏和で、心優しく、親切で、誠実な、ユーモアのある女性だ。私が彼女にはじめて会ったのは1979年にソロ作品「Empty Glass」をレコーディングしている時だったが、彼女と彼女の当時の夫Mike Vickers(Manfred Mannのメンバー)は、我々が使っていたスタジオの近くにあった自宅でRabbitと私をよくもてなしてくれた。

MikeとSueはそれぞれが魅力的で優しい人だったが、2人の結婚生活は危機を迎えていた。当時私はレコードのことで頭が一杯でそのことに気づかなかった。やがてRabbitとSueの間でロマンスが芽生え、Mikeは彼らの為に身を引いた。その時から2人は決して離れたことがない。彼らはイングランド西部で食べる分の野菜を自分で育てるようなとても素朴な暮らしを楽しんできた。彼らの娘Jackieと、ミュージシャンの夫Regも近くに住んでいる。Sueはいつもツアーの時にはRabbitに同行していたので、今のツアーでは彼女がいないことを皆寂しく感じている。

Rabbitはこんな時に彼女を置いてツアーに出る訳にはいかない。そこで我々はRabbit抜きでツアーを続けることにしたが、彼の代わりを迎えることはしないことを決めた。必要な部分だけカバーできるキーボード・プレイヤーならスタッフから探すことができるが、Rabbitのようにロック・ピアノとハモンドオルガンを弾ける者など誰もいない。彼の音が空の高みにまで輝きを放つ瞬間を今まで何度も耳にしてきたが、それを失うのはきっと寂しいだろう。先日ここロンドンで行われたRoundhouseでの「BBC Proms」のRabbitの演奏は特に美しいものだったと思う。もちろんその際も彼の心はSueと共にあり、Rogerが「See Me, Feel Me」を歌った時、Rabbitのキーボードは今まで私が聞いてきたどのアレンジ、どの演奏よりも愛情に溢れ、優しく、思いやりに満ちたものだった。

SueとRabbitについての続報は、ツアーの間もこのサイトのNewsページや他のThe Who関連サイトで伝えていく。Sue、Rabbit、そしてSueの家族と友達に皆の祈りと思いが届きますように。

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by yukie909 | 2006-10-31 00:47 | diary
2006年 10月 28日
28 October 2006 / Howard Stern
[原文] 2006年10月28日の公式サイトの日記。
Howard Stern
この日記については説明が必要です。
10/25にPeteはSirius Satellite Radioに出演し、インタビューに答える予定でした。それについては10/3付の日記でも触れ、ホスト役のHoward Sternに挨拶を送っています。しかし当日、Peteは直前になって出演を取りやめました。この番組はBBCのような堅い作りではなくゴシップ的な話題を好んで取り上げるタイプのもののようで、PeteとRachelがスタジオに入って出番を待つ中、番組が始まってHowardともう一人のパーソナリティRobin QuiversがPeteのことを紹介した際に、彼女はPeteの2003年の逮捕やゲイ疑惑などについて持ち出しました。Peteがインタビューでそれに対して反論することを期待したのでしょうが、それを聞いたPeteはRachelと共にスタジオを立ち去ってしまいました。
突然出演者を失ってしまった番組側は、最後に少しだけ出演する予定で待機していたRogerに急遽代わりにインタビューに応じるよう頼み、Rogerは全面的にPeteの味方に立ちつつ数々の質問に答えてうまくその場を収めました。
この件については翌日に「Townshend、Sternの番組を怒って飛び出す」「Townshendが番組をすっぽかす」といったタイトルでニュースになっています。
なお、番組終了直後しばらくは「Howard、ランチに行こう」という一行だけの日記がアップされていましたが、数日後削除され、この日記が上書きされました。


私はHoward Sternのインタビューを「怒って飛び出した」訳ではない。ただ関わり合いにならないようその場を離れただけだ。私はHowardや彼のチームに対して怒っていないし、彼等はいつでもしたいときに私の性的な過去の事件について話題にする権利を完全に有している。私は公人なのだから。私のその場の判断は、真面目に取り上げない限り多くの人に不快感を与えてしまう性的な話題について、軽々しく質問されることになりそうな場に参加するのはやめようというものだった。私の人生がどういうものかはまだちゃんと語られていない。自伝を書き上げるまでは、私は家族、友人、ファンや仕事仲間たちに、私を無条件に信じてくれることを期待するしかない。真実が記された私の自伝が手元に届き、判断を下せるようになるまで気長に待ちたいと思う人はいないだろう。私は全ての容疑について潔白が証明されている。私が義務的な警告を受けたのは、調査活動の一環としてクレジットカードを使用したことを認めた為だ。その調査は、数多くの金融やインターネット関係の会社に対し、ポルノ業界で子供が利用されることを阻止する努力を惜しまないように促す為の証拠を集める目的で行っていたものだった。これが真実だ。

念のために言っておくと、私はこの問題について公的に働きかけを行う気は今やもうない。しかし児童虐待の「生存者」である大人をサポートする団体への支援は続けていくつもりだ。

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by yukie909 | 2006-10-28 14:45 | diary
2006年 10月 23日
23 October 2006 / Experience Burka - here I come......
[原文] 2006年10月23日の公式サイトの日記。
Experience Burka - here I come......
環境破壊について憂いつつも、複雑な心境を述べる日記。全体的にあまりうまい訳ができませんでした。なおタイトルのブルカとは、伝統的にイスラム世界で用いられている女性がかぶるヴェールのことです。


私はここイギリスで、最近は毎回気の滅入るような統計リストが1面を飾っているIndependent紙を毎日読んでいる。またアメリカの大手新聞数紙の主要記事を載せているInternational Herald Tribune紙にも目を通している。週末にはSunday Times紙を読む。他にも何紙か読んでいるものがあり、時にはGuardian紙やTelegraph紙を手に取ることもある。

それらの新聞を楽しんで読みつつも、自分が怪物か何かだと言われているような気がして最後にはぐったりしてしまうことがよくある。私は毎晩携帯電話の充電器をコンセントから外すとは限らないし、燃費の悪い車を毎年数マイル走らせるからだ。

作品を売る為にどうしても新聞を必要としている、後悔に押しつぶされた有名人の一人として、私はその2つの点において自分が怪物であることと、自分が変わろうとしていることを認めなければならない。もし私がその悪癖のうちどちらかをしているところを見かけたら、公衆の面前で制裁を加えてもらって構わない。私の車のフロントガラスに充電器を貼り付けるのでもいいし、私の手によるあらゆる汚染やエネルギーの無駄遣いを制することができるならどんなことでもいいだろう。

私が毎年処分している、何百ポンドの重さにもなる新聞紙は環境にどのような影響を与えるのだろうか。私は新聞と雑誌をそれぞれリサイクルに出している。そうしながら、仮説に基づくIndependent紙の1面の警告でそれが時間の無駄だと言ってくれるのを待っている。いつか読むことになるのを私が期待している見出しはこういうものだ。
「リサイクルに出される新聞紙のほとんどは必要性が無く、シュレッダーにかけられ埋め立てられている」
そのような統計は決して新聞には書かれないような気がするが。

新聞記事を必要としない手段として日記を書くことにより、私はしばし自分を慰めている。だが勿論問題は起こる。私が日記を書くのに使っている電気と、それを読む為に人々が使っている筈の電気の量は、私が書いている文章の価値とは不釣合いだ。毎日新聞に書かれている内容のほとんどと同じように、我々は子供達の未来のための明るい希望を与えてくれるような価値あるものを探し続けている。

そして現在、希望とは我々が既に手にしているものだ。なぜなら悪夢にうなされずに済むよう、我々がすぐに変わることができる見込みは全くないからだ。この10年という短い間に我々は家中を電気製品でいっぱいにしてしまった。それらの器具はいつでも使えるようにスタンバイ状態で、そうでなければ時計をリセットしなくてはならないようになっている。我々は最低3個の携帯充電器を常時電源に繋いでいる。眠りにつく時には暖房を入れっぱなしにする。未来への不安感のために夜中に叫びながら目を覚まして、キッチンに座りこみ、必要な分だけのお湯をきっちりと沸かして念入りに淹れたカモミール・ティーを飲みたくなるかもしれないからだ。我々は混乱している。「省エネ・カー」を新しく買うことによって環境資源を更に無駄にするのと、古い車に乗り続けて使う時間を減らすようにするのと、どちらを選ぶかというのも難しい問題だ。我々が何をするかではなく、我々がどんなことをするように見られるかが最近では大きな意味を持つ。

10年かけてこの変化が起こった。86歳の私の母でさえ仕方なく携帯電話を持つようになっている。母の住む部屋には恐らく彼女が調節できないほど操作方法が難しい暖房機器が入っているだろう。母が電源を入れたことも、もしくは切ったこともないようなビデオデッキもある筈だ。なんと皮肉なことだろう、多くのメーカーや業者にとってはそれらは既に「時代遅れの」ものになっているのだから。そしてよく「強欲」と責められる私の世代は、北極・南極の氷が溶けていくことや気候が変化していることについて、1967年には既に語り始めていた。何にもなっていない。1959年に反核について何にもならない活動をしていたのと同じだ。正に反ユートピア的な私の作品、1971年の「LIFEHOUSE」(そう、私はこの作品をまだ諦めていない)では、ひどく汚染されてほとんどの人が家に閉じこもっている世界が舞台となっている。物語中の民衆は「グリッド」に繋がったスーツを着て生活する自由によってもたらされる恩恵を享受する。彼等はそれさえあれば食事や飲み物、充分な娯楽を受け取り、平穏な生活を続けていられる。1971年当時、私は今になって「未来への恐れ」と名づけた精神状態に苦しんでいた。その頃は2人の小さな子供がいたが、私はまだ若く、それまで起こったことは全て自分の責任ではないと信じていた。

現在私ははっきりと変わることができたし、もし変わっていないとしたらそれは私の落ち度で、自分に責任があり、責められるべきことだ。すると、「何とかして新しい音楽を観客に届けたい、そうすれば環境問題に目を向けることも人々に希望を与えることもできる」と考えている私のような現代のミュージシャンにとって、(自分のすること全てに巨大なエネルギーが必要となることを考えて)世間から完全に姿を隠してしまう方が意味があるのだろうか?それとも自分がどれほどつつましく暮らしているか、どれほど自分がこの問題について意識しているかを声高に言い立てるべきなのだろうか?私がそのどちらかの方法を実践して、誇らしげにそれについて語ったとしたら、私は瞬く間にマスコミの人間達に笑われるのではないか?

新聞紙をリサイクルに出して、広過ぎる家を不要な照明がつけっぱなしになっていないか見回った後、暖房もろくにつけない暗い部屋で貧弱なアームチェアに座り、買いこみ過ぎた新聞を読むという週末をもう一度過ごした後、私は自分の置かれた状況そのものについて正しい判断ができる人間がどれほどいるものだろうかと疑問に思った。優れたバランス感覚を持つことは可能なのだろうか?

論点がすりかわっていることはわかっているし、イラクからサダム・フセインが排除されたことに対する他人とは異なる自分の意見を正当化しようとしていると非難されるだろうが、1991年に彼がクウェートから撤退した時、油田に火をつけた為に空は光を失い、その幼稚な行動によって取り返しがつかない程に地球全体の温度が上がった。またそれにより発生した毒素で、同地域やその周囲では数え切れない程の人々が癌をはじめとする医学的な問題に苦しめられることになった。

我々は大きな視点で見るべきだろうか、それとも小さなことに目を向けるべきだろうか?なぜなら、健気な民衆は神様の役を演じるメディア王たちの指図で自分から墓に入ろうとしているが、欧米社会が彼等に対してしうる最もひどい仕打ちとは、自分達の生活様式を恥じる感覚を失った状態に彼等を追い込むことだからだ。

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by yukie909 | 2006-10-23 00:03 | diary
2006年 10月 22日
22 October 2006 / It gets worse... in Rolling Stone
[原文] 2006年10月22日の公式サイトの日記。
It gets worse... in Rolling Stone
Rolling Stone誌のインタビューでCrosby, Stills and NashやBob Dylanを貶めたことにつき、慌てて弁明しています。相変わらず、懲りないPeteです。
該当部分はRolling Stone誌の公式サイト内インタビュー抜粋ページで読むことができます。


(まずはRolling Stone誌記事から)
RS:貴方はインターネットでの情報発信にかなり熱心ですね。当初はチャリティの為に今回のツアーの全公演をウェブキャストすることも計画されていました。
Pete:ウェブキャストを進められなくなったのが残念だよ。The Whoがこの10年これほどまでに精力的に活動してこれたのウェブサイトやインターネットのおかげだ。ツアーをしたくなったらいつでもツアーをして、チケットをソールドアウトさせることができた。それが可能だったのは観客がRogerの胸板を見たいと望んでいたからとか、奇跡の天才Pete Townshendが生み出す音楽をもう一度聞きたいと願っていたから、などともしRogerが心の底から信じていたとしたら、それは間違いだ。私の考えでは、それは驚くほどにしっかりと繋がりあったファン層のおかげだと思う。私が運営している公式サイトはファンクラブに似ている。そしてファンクラブというものは、かつてはアーティストが売れることを保証してくれる確実な方法だった。もし40万人のファンがいて、その全員が同じ日にアルバムを買ってくれたとしたら、そのアルバムがナンバーワンヒットになることは間違いないだろう!
ファンの力はとても大きい。一躍脚光を浴びたバンドがその後も長くファンの心を掴み続けられるとは思わない。絶対に無理だ。我々がそうしてこれたのは本当に幸運だったが、これ以上長くは続かないだろう。私はBob Dylanのライブを見にいきたいとは思わない。Stonesのライブを見にいきたいとも思わない。新曲があったとしても、The Whoのライブを見るのに金を払ったりしないだろう。Crosby, Stills and Nashを見るのに金を払うのもご免だ。彼らを見ていると気分が悪くなる。言っておくが、私は年齢差別主義者なんだ。彼らのような年寄りが自己満足にひたっているのを見たくはない。



(この内容を踏まえ、次にPeteの日記本文)
まだその記事は読んでいないが、確かに私は「Crosby, Stills and Nashを見ていると気分が悪くなる」と言ったようだ。何てことだ!!!私がそんなことを言えるはずがない。もしそう言ったのだとしたら、何を伝えたかったのだろう?思い出すことができない。Jools Holandの音楽番組でDavidがDave Gilmourと共に胸をさすっている(?)のを見たときは心底不快だったが、同時にとても魅力的でもあった。私はDavid Crosbyを心から好きだし、彼のバンドのことも愛している。私はGraham Nashとは彼がイギリスを離れてCrosby, Stills and Nashに入るという決心をした頃に仲良くしており、その後完成したファーストアルバムはそれまで聞いた中でも最も見事な出来栄えだった。つい最近もガールフレンドのRachelに「私達の時代の優れたクラシック」として演奏して聞かせたところだ。

また私は「Bob Dylanのライブを見にいきたいとは思わない」なんてことも言ったということだ。ああ、神よ。私はまたしてもDylanに喧嘩を売ってしまった。
(※以前にもMOJO誌のインタビューでDylanを悪く言い、後からサイト上で謝罪文を出したことを指していると思われます。その時のいきさつと日記翻訳はこちら

記者と顔をつきあわせてインタビューを受けている時には、私は酔っ払っているような気になって、よき昔の思い出をべらべらと喋ってしまっているに違いない。だがどうして最も愛する人達の悪口を言ってしまうのだろう?もしかしたら嫉妬だろうか?そうさ、今や我々は皆老いぼれだ……そして他の皆に代わって自分にこう言おう……口を閉ざして、せいぜい頑張ってギターを弾いていろ。逆立ちしたって彼らにはかなわないさ。
(?)
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by yukie909 | 2006-10-22 13:48 | diary
2006年 10月 20日
20 October 2006 / SuperAmanda
[原文] 2006年10月20日の公式サイトの日記。
SuperAmanda
Rolling Stone誌最新号に掲載されたPeteのインタビューの中に特定のファンを傷つける表現があったとして、その本人に宛てて謝罪しています。インタビューの該当部分を読んだ後に翻訳するつもりでしたが、本誌を入手できなかったので、とりあえずそのまま訳しました。
文中のAmanda(=SuperAmanda)はPeteのブログにも繰り返しコメントしていた米国の女性The Whoファンで、この日記のアップ後に自身のブログに「Pete、貴方を許します」という内容の文章をアップしました。


親愛なるAmandaへ。

Rolling Stone誌に掲載されている私のインタビューには、私が君と私の友人Justinとの関係について「ブログのもたらす幻想」だと語ったと書かれている。Justinはすぐに私が間違っていること、出会ったきっかけはブログでも、その後君とはちゃんとした関係を築いてきたことを指摘してくれた。

君たち2人にこんな形で恥をかかせてしまい、心の底から申し訳ないと思っている。Amanda、君が「In The Attic」に出演してくれた時のことはとても印象的で、私は何度も君について訊ねられている。多分私は君のことを仲間内とみなし、からかってもいい相手だと考えていたのだろう。だが君のプライベートな生活は君自身のものであり、いくら信頼している者だったとはいえジャーナリストの前で君について喋りすぎてしまった。

私が「The Boy Who Heard Music」を発表したときに、君は私のブログの献身的なサポーターでいてくれた。そのことをこれから先も決して忘れない。私が君や全てのブログ読者に知っていてほしいのは、私が「ブログの世界は嫌な奴ばかりだ」と語る時、それはブログを荒らす奴等を指して言っているということだ。勿論、ブログは我々の一部が幻想の世界に住むことが可能な場所であり、Amanda、君について話したのはそのような文脈の上でのことだった。私はしてはならないことをしてしまった。心から君に謝りたい。

Pete

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by yukie909 | 2006-10-20 01:50 | diary
2006年 10月 16日
16 October 2006 / Kingfisher Blues
[原文] 2006年10月16日の公式サイトの日記。
Kingfisher Blues
ツアーの中休みにイギリスに戻って書かれた日記。新しいソロアルバムは今のところ作る予定はないということです。


私は今イギリスの田舎で池のほとりに座り、サギとカワセミの姿を眺めている。ロンドンにある自宅では、今朝は6羽の明るい緑色のオウムが木に止まり、ベリーの実を食べていた。スズメではない。目の覚めるような美しい緑色のオウムだ。「Boids. Dirty, stinkin' boids.」ってやつだ。(The Producersより)(※同作品には映画やミュージカルなど3種がありますが、Peteが引用しているのが具体的にどの作品からかは不明です。boidというのは鳥のことで、物語中では鳩を指しています。1968年の映画に「He keeps boids. Dirty... disgusting... filthy... lice-ridden boids」という台詞があるようで、美しいオウムとの対比として持ち出したものと思われます)

イギリスに戻る間にTom Wrightの自伝の初稿をちょうど読み終わった。きっと良い本になるだろう。恐らくロックンロールについて書かれた本の中で最高のものの一つになると思う。彼は文章が上手く、また時には自己批判的になるだけでなく、容赦なくおかしいことも書く。しかし彼の視点は鋭く、オリジナルで、決して他人にはないものだ。全てのストーリーには勿論彼の素晴らしい写真が添えられている。完成するのが待ち遠しい。
(※この本は既に完成し、発売されています。関連記事はこちら

Hamish(このサイトのウェブマスター)より、私がソロアルバムの制作を計画しているという話が出ていると聞かされた。過去に検討していると言ったかもしれないが、今のところはそれについて考えてみる予定すらない。「ENDLESS WIRE」のレコーディング中、Rogerは私にクリエイティブな部分を多分に任せてくれたので、曲作りやレコーディングの作業を通じて、「QUADROPHENIA」制作の時と全く同じ満足感を得ることができた。もし我々がいつかまたアルバムを作るとしたら、私はそれを何よりも優先させるだろう。

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by yukie909 | 2006-10-16 13:46 | diary
2006年 10月 03日
3 October 2006 / New Life - No Freebies
[原文] 2006年10月3日の公式サイトの日記。
New Life - No Freebies
ツアー中のPeteの様子がよくわかる長い日記です。気楽な雰囲気の文章ですが、Peteはライブ以外にも色々な仕事に追われ、忙しく過ごしています。新作のボーナストラックとなる2曲のミキシングも行われたようです。
中盤には来年2月からのthird legの話題があり、日本の名前も出てきます。


何年も昔、確か1981年だったか、Mick Jaggerが開いたJerry Hallの誕生祝いのパーティに出席したことがあるが、その時にMickは素晴らしいブルースのレコードを何枚もかけていた。それらのレコードは大きな旅行用トランクに詰め込まれていた。私がMickになぜレコードをトランクに入れているのか尋ねると、どこにでも持っていけるようにさ、と彼は答えた。ツアーで泊まるホテルの部屋にまで?そうだよ、と彼。じゃあ随分たくさん持っていくんだな、と私が言うと、彼の答えはこうだった。いや、持っているレコードを全部持っていくんだ。何もかもさ、どこでも一緒なんだ。

それを聞いて、私はかつてMeher Babaが信者の一人に語った言葉を思い出した。その信者は、Meher Babaが「新しい人生」と呼ばれる時代を過ごしていた時に同行したインドでの長い旅路で、自分が持っている物のほとんど全てを山のように抱えて運ぶことに疑問を感じ、なぜそうしなければならないのか質問したのだった。彼等はロバや小型車で引く小さな青いキャンパーバスまで使っていた。それは「Magic Bus」ではなく、小さな「Blue Bus」で、後に僧院で輪止めをかけられた。Meher Babaの答えは「身軽に旅をするのは旅慣れない者だけだ」というものだった。おかしな答えだと私は考えた。誰しも、修業をする人間はほとんど何も持たずに旅をするものだと思うだろう。しかし、それから私はMeher Babaこそ神の現れであることに気づいた。我々は皆さまざまな姿をしているではないか?神は宇宙を旅する時、可能な限りの重荷を背負って進む。例えば、神はなぜ火星を捨てないのだろうか?そうしない方がいい、いつか必要になるかもしれないから。

よって、Mickや神を見習って私自身もかなり旅の荷物ガ多い。沢山の本、アップル・コンピュータをベースにした簡単なレコーディング・システム、キーボード、ギター4本とウクレレ、機材(はんだごてを含む)、何着もの同じ黒いスラックスとジャケット、黒と白のストレッチTシャツ、ステージ用のシャツ、パソコン用プリンタ、様々な用途のケーブルを山ほど、車や飛行機で使えるように超広角のレンズを搭載したミニDVカメラシステム、やかん、トースター、ティーバッグ、ビスケット、パン、マーマイト
(※イギリスでポピュラーなイーストを発酵させた塩辛いペースト)、マーマレード、マグカップいくつか(どういう訳か多くのホテルのメイドがそのうち盗んでいってしまうため)、小さなデジカメ、予備の携帯電話、私は決して聞かないがiPodを数種類。それに加え、Rachelが持ち込んだのが彼女が食べ物と呼ぶドロドロした液体を作る為のフードミキサーと、コーヒーをがぶ飲みする彼女の必需品であるコーヒーポットだ。それらが何個もの大きなロードケースに詰められ、我々が飛行機で飛び回る間中どこにでも運ばれることになっている。従って、我々がまだホテルにいる間も荷物だけが輸送中ということもよくある。シカゴで過ごしている今日もその状態なのだが、そういう時には自分がどれほどこの荷物を身の回りに置いておきたいと願っているか思い知らされることになる。それら一つ一つのおかげで、私はまるで家にいる時のようにくつろぐことができるのだ。

どの公演でも、私は楽屋の代わりに外か地下に自分の立派なバスを停めておき、午後のサウンドチェックが終わるとそこで自分用にシンプルな食事を作り、イングリッシュ・ティーを飲んで、本を読み、DVDを見て、軽く一眠りまでする。ライブが終わるとシャワーを浴びることもできる。だがもっとも気に入っているのは、この長いツアーの間中、自分のステージ用楽器や機材のほとんどをそこに置きっぱなしにできるということだ。

シカゴに到着した時、私は30日分のパンツと靴下を洗濯しなければならなくなった。それ以外の服はプロの手でクリーニングされたが、下着類は私のセキュリティーを担当しているMarkがツアーに同行している女の子Whirlyに渡し、なぜか彼女がツアー中の洗濯を担当することになった。バスルームは干された靴下とパンツでいっぱいになり、乾燥に3日もかかった。ぜひ写真を撮っておきたかったが、こんな時にAndy Welchが私のメイン・カメラをウェブ掲載用のステージ写真を撮る為に持っていた為、せっかくのチャンスを逃してしまった。

それから、私の隣の部屋の写真も撮っておくべきだった。2部屋から成るスイート・ルームだが、ほとんどの家具は運び出されている。1部屋はDarren Westbrookのオーディオ・ミキシング用の部屋となっており、そこにあるのはSolid State Logic社製AWS 900+ワークステーションのミキシングデスク、ProToolsを搭載したコンピュータ、高さ1.5m以上にもなるオーディオラック2つ、一通りのスピーカーとアンプ(そのうち400ワットのManley社製チューブアンプはニューヨークでホテルの電気技術者に壊された)、そして46階から見下ろすシカゴの街の圧倒的な眺めだ。特に先日の激しい雷雨の様子は圧巻だった。もう1つの部屋はJustin Kreutzmanが映像機材を置いている。我々はそこでテレビ用と近く予定されている授賞式での上映用にいくつかインタビューを撮った。才能あふれる新進アーティストWilly Masonを招いて「In The Attic」の放送も行うつもりだったが、南部から来る彼の到着が遅れてしまった。(彼は先週シカゴのHouse of Bluesで行ったAtticライブで見事な演奏をした。全て映像に残っているが、素晴らしいライブだった)

このようなホテルの部屋の状態についても写真に撮り損ねてしまった。よって、皆にはこの風景がどれほど印象的か私の説明から想像してもらうしかない。これら全ては私の修業の旅である「New Life」(私のOld Lifeとかなり似通ってはいるが、今の方が格段に設備が整っている)を彩る私なりの形であり、ややクレイジーに感じられるかもしれない。山のような荷物があり、それを持って世界中飛び回るのには多くの助けが必要だ。私の場合もまた火星を残してこなければならなかった。
(?)だがもしイギリスに帰る時に6ヶ月かけて検疫を受ける必要がなかったとしたら、我々は多分小型犬を何匹か連れていくだろう。犬たちに早く会いたい。

USツアーの第1レグはもうすぐ終わりを迎える。あとほんの10日だ。写真や映像を用意し、ここでアップしようと考えている。私がこのサイトを更新しても、それほど多くの人は気づかないかもしれないが、新聞社とラジオ局から2~3件電話があった以外は2日間完全にオフとなったおかげで、リラックスする時間をしっかり持つことができた。だから私はこの日記ページに戻ってこれたのだ。USツアーの第2レグは6週間かけて行われる予定で、細かい日程はサイト内の他のページに掲載されている。2月には第3レグも計画されており、今年行けなかった場所を選んで回るつもりだ。その次に考えられるのは日本、南アメリカ、オーストラリア、そしていくつかのヨーロッパの公演となる。10月にはほんの短い間イギリスに戻るが、その間にParkinson Show出演、授賞式のライブ数件、セットリストに新しい曲を加える為の短いリハーサル、RoundhouseでのBBC Pop Proms出演、Sirius Satellite Radioの高給取りHoward Sternの番組でのライブなどをこなす。(Howard、君のかわいい愛娘Bethによろしく伝えてくれ。気をつけろよ、私のかわいいRachelは君の仕事を横取りしようとしているぞ)

できることなら巨大なヘリコプターに住み、ライブの時だけステージ上空にやってきて、それ以外の時間はどこか美しい土地に飛び去ってしまうような過ごし方をしたい。スタートレック風に仕立てたRonnie Laneの「Passing Show」ツアーのように。
(※The Passing ShowはRonnieが1975年頃に行ったツアーの名前で、バンド仲間やダンサー、劇団、その家族などを含む一団がトレーラーに乗り、イギリスの田舎を回りました)だが、ホテルで世話をしてもらうのはいい気分だし、シカゴにいくつかある趣味のいい店をRachelと一緒に回って、お互いやホテルで待っている仲間の為のプレゼントを買うのも楽しい。避けて通れないのは、eBayで儲けようとしている奴らか、たまにはThe Whoファンのコレクターの為に、一つの都市に滞在するごとに400~500枚の古いアナログ・レコードにサインすることだ。これは我々皆が地道に行うべき仕事だ、チームの中で私しかしていないが。

ニューヨークでは、「In The Attic」のスタッフが滞在しているミッドタウンにある中級ホテルの小さな部屋にミキシングデスクが無理やり押し込まれた。私はそこであと2曲のミキシングをしなければならなかった。そもそもはラジオ用の曲だったが、アメリカとヨーロッパのレコード会社がボーナス・トラックを入れたがった為にそちらに回されたのだ。ミニオペラの中の短い曲、「Endless Wire」「We Got A Hit」のロング・バージョン(ノーカット版)で、「Endless Wire」にはミドルパートと曲の最後にリピートが追加され、「We Got A Hit」には新しいミドルと最後にこれまでには全くなかったヴァースが入っている。もう何曲かデモをレコーディングしたり、「The Boy Who Heard Music」を演劇のような形で視覚化することを試みたりできたらと思っていたのだが、どうしても時間が足りなかった。

時間さえあれば、意欲もエネルギーもあり余っているのだが。Rachelと行っている「In the Attic」やラジオのインタビュー、The Whoがらみのマスコミのインタビュー、ラジオ出演、eメールでのインタビュー、撮影依頼など、本業の周囲に立ちはだかる多くの仕事のせいでずっと忙しく、おかげでライブをするという、自らの基本に立ち戻った仕事が楽しみになっている。Rogerが喉を休める為に定期的なオフを求めている為、私は彼の考えとは違うのだが、かなりゆったりとした日程の組み方となっている。

最新ニュースとしては、次期のUSツアー中にRacelが3回の「Attic Jam」のライブを予定しており、我々はその時に楽屋で「In the Attic」の放送をしたいと考えている。特にその仕事をしてもらう為にMikey Cuthbertを連れてきているのだが、まだやっと2回実現できただけだ。また、MTVと提携して何か「Who TV」のイベントをすることも話し合っている。

大体こんなところだ。もう朝の5時なので、もうベッドに入らなければ。明日はカナダのウィニペグ公演で、それから美しいアメリカ大陸北東のバンクーバー、カルガリー、エドモントン、シアトル、そしてポートランドでのライブが続く。その後はしばらく母国へと戻る。

今日の日記は写真なし。ホーム・ムービーなし。音楽なし。無料のおまけもなしだ。

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by yukie909 | 2006-10-03 18:24 | diary
2006年 10月 01日
1 October 2006 / Summer's End.
[原文] 2006年10月1日の公式サイトの日記。
Summer's End.
約1ヶ月ぶりとなる更新。9/12にスタートしたThe WhoのUSツアーで、18日間で12公演を終わらせた後に書かれました。ハードスケジュールにもかかわらず、Peteは元気に過ごしているようです。


ハードなライブ日程を長期間こなし、やっとシカゴで2日間のオフとなった。私はほんの数時間眠っただけで明け方に起き出したが、すっかり元気が回復していた。Justin Kreutzman監督の映画を何本か見て、Ros Halfinの写真と、TheWhoTour.comのスタッフAndy Welch、William Snyderの写真を確認した。素晴らしい写真が何枚もあった。Carrie Prattも彼女のサイトLong Live Rockで良い写真をアップしてくれている。ツアーは街から街へと進み、パートナーのRachelはSirius Satellite RadioのThe Who専用チャンネルでインタビューや貴重な音源を放送している。彼女との仕事では、ニューヨークとバルティモアで「In The Attic」のスペシャル番組を2回行い、Rachelが新しいCD「Shine」をリリースしたBarnes & Noble bookshopのライブに2回出演した。そして最高のイベント「Attic Jam」を2回開催した。1回はニューヨークのJoe's PubでMartha Wainwrightと共に出演し、もう1回はここChicagoのthe House of Bluesで、Willy MasonとRose Hill Driveと共に演奏した。

よって、6月にツアーがスタートしたThe Whoの公演の数に全ての「In The Attic」を合わせると、私は60のイベントに出演したことになり(ラジオで演奏した「Endless Wire」、テレビ番組Letterman showでの「Man In A Purple Dress」を含める)、また様々なレコーディング・スタジオで1年ほどにも感じる長い時間を過ごし、楽しんだ。インタビューも少なくとも30件は受けた。今数えてみたところ、息子と愛犬、ロンドンに住む友人達に会いに戻るこの10月の休暇まで、あと6公演を含む11日だ。その後、またここアメリカでクリスマスまで続く残り6週間のツアーをこなす。

とても充実した時を過ごしていると言うべきだろう。もうすぐリリースとなる新作(10/30発売)を引っさげてツアーができるのは嬉しい。これまで深刻な天候のトラブルもないし、旅はつつがなく進んでおり、私の体調も万全だ。ツアーの反響や、ライブで披露される新曲の評判も好意的なものとなっている。

今日はいい天気だ。アメリカの中でも好きな街の一つであるここシカゴで、本を読んで休息を取る予定だ。もし次回更新が今回と同じぐらいスローペースになるとしたら、次にこの日記で皆に会えるのは1ヵ月後になるだろう。

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by yukie909 | 2006-10-01 18:23 | diary