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2005年 10月 08日
8 October 2005 / The Boy Who Heard Music - Chapter Four
[原文] 2005年10月8日の公式サイトの日記。
The Boy Who Heard Music - Chapter Four
Roger、Rachelとともにニューヨークを訪問中に書かれたものです。とりとめなく、わかりづらい文章ですが、創造的な気分は続いているようです。


こちらが第4章のPDFファイルになる。この日記はニューヨークからアップしている。Rogerと私はThe WhoのDVDを売り出す為にこの地を訪れているのだ。DVDについてはこのサイトのどこかに載っているはずだ。

雨が降っている。そしてプラズマテレビ
(※The WhoのDVDがホームシアターシステムの販促に使われることによる言及)や女性のオーガズムを我々に持たせたくないPlutonian(※単語自体は冥王星の、地獄の、といった意味ですが、どう訳せばいいかわかりません)達が我々の乗る地下鉄を爆破すると脅かしている。しかしこのワクワクする都市を訪れるといつでも素晴らしい気分になる。人生は幻想だとMeher Babaは私に教えてくれた。私はこの教えをどのように実践すればいいのかわからないが、きっと私はポイントを掴めていないのだろう。我々の持っている道具、我々に与えられた人生は、我々が必要としているものだ。我々は必要なものを手に入れている。勿論これは精神的な話だ。私は疑問に思うことを止め、不安を感じることを止め、幸せにならねばならない。

私はニューヨークを訪れなければならなかった。ニューヨーク訪問はいつも私を元気づけてくれる。昨日のDVDプロモーションのパーティでは素晴らしい人々に会ったし、誰もが親切にしてくれ、ありがたかった。

Rogerと私は飛行機で移動する間にじっくりと話し合う時間を持つことができ、将来についてのアイデアをたくさん交換した。私はThe Whoのための作品に対して迷いがあるようだ、それは認めよう。しかし挑戦することを望んでいるのは確かだ。

私は「In The Ether」
(※先日Poetry Olympicsで初披露されたPeteソロの新曲。連載中の小説と深い関わりを持つ)についてのことは大した問題もなく進めることができる。これは年を取ることを歌った曲だ。60歳になった時にエレキギターとシャウトによってむなしさを吹き飛ばそうと試みることはひたすらおかしなものだ。ブルースの世界の男たちが70代になっても活動を続けていることは知っている。だが、Muddy Watersの「Mannish Boy」をむなしいなどというのは間違っているだろう。この曲には威厳がある。私の大切な友人John Lee Hookerの後年の作品についても同様だ。私と同じ年代のロックミュージシャン達が懸命に探しているのは鋭さを伴った威厳というものだと思う。そして責任を伴った怒り、義務を伴ったアクション。もし同時に楽しみをも見出したいなら、このように手の込んだものになる。

私が5年前にフロリダのホテルの部屋で「The Boy Who Heard Music」を書き始めた時、現在の私がしていることを可能にしてくれるテクノロジーは存在しなかった。つまり自由に、全くコストをかけずに小説を発表することだ。当時私はこのサイトを持っていたが、数十万ドルもコストがかかったし、ホテルの部屋から映像や音楽を苦労せずにアップロードするのに充分な回線容量がなかった。現在ではそれができるようになったばかりでなく、配線すら不必要となった。無料でBlogを開設すればいい。私のblogはこちらになる。→boywhoheardmusic.blogspot.com

次は何が来るのだろうか?私の言うことに注目してほしい。「Vox Box」が次の大きなブームとなる。これはウェブに通じた箱で、人はこの中で真実を話すことができる。真実だけを。許可を受けた事実でないもののみ創造的な小説や詩やジョークとなる。Plutonian達はこの箱に手を焼くだろう。なぜなら彼らはウェブを通したエンターテインメントは現実の人々の頭を剣で切り落とすと考えているからだ。あまり創造的とは言えない。

誤解しないでほしい。確かに我々は怖がっている。これらの人々は頭がおかしい。彼らは強力に思える。しかし広がり始めたのはイスラムではなくイスラム教式ファシズムであることを思い出してほしい。我々白人は偉大な国ドイツがキリスト教式ファシズムとなるものを生み出したという事実と共に生きている。それに反対する力はアーリア人の階級から出てきた。
(?)Daniel Barenboimは素晴らしいドイツの音楽をナチの支配という汚点から守ろうとしている。彼はイスラエルにワーグナーを持ち込んだ。(※ワーグナーは反ユダヤ的だった為、ヒトラーは政治目的に彼の音楽を用いており、イスラエルでは現在でもワーグナーの作品は上演も演奏も行われていません。しかし数年前にアルゼンチン出身のイスラエル人であるDaniel Barenboimがイスラエルの首都テルアビブでワーグナーを演奏し、賛否の大論争が起こりました)

いつか敬虔なイスラム教徒のロックミュージシャンが私の『EMPTY GLASS』の音楽をイスラム神秘主義のように受け取り、私と同じようにモハメッドに近く感じ、ラホール(※パキスタンの都市)やバグダッドやテヘランで演奏してくれることを願っている。このような音楽を悪いものだというムッラ(※イスラムの学者)がいたら、その本人が悪い。無知で、視野が狭く、馬鹿げている。私はそのような無理解のもとに生きていくことはできない。そのようなものを相手に戦わなくてはならないなんて真っ平だ。そんな考えは消えてほしいが、そうなってはくれない。そのような馬鹿達は我々が愛する音楽は禁止されるべきだと信じている。彼等は神がそれらを禁止してくれると思っている。

私は過去に警告しただろう?私の最も希望に満ちた予言に立ち戻ろう。私のパートナーであるRachel Fullerはこれら全てのことについて私にひらめきを与え続けてきた。毎週水曜日に彼女がWHO TVで流すウェブ放送を見てほしい。プログラムは「The Attic」と名づけられている。私は本当は出演しないつもりだったが、彼女がそうはさせてくれなかった。容量の制限がある為、今のところclean feedsの最高数は88となっている。
(※clean feedという言葉は映像・音響に関するもののようですがどう訳せばいいかよくわかりません)これはMTVではない ─ 今のところは。だが我々は現在ペイ・パー・ビュー方式で音楽イベントを行うことを考えている。それによって更に大きな容量を長期間使えるようにして、無料のVox Boxイベントを開き、さらに多くの視聴者を集めることができるだろう。現在はショーのDVDをループさせて流しているので、ログインして以前のイベントを見ることが可能だと思う。高尚な芸術や情熱的演奏などは期待しないでほしい。これは真実であり、反乱ではない。現状を受け入れることだ。それもまた楽しい。


「Plutonian」と「clean feed」について、どうしてもわからなかったので、知り合いの英国人にdiaryのリンクと共にメールで意味をたずねてみました。その回答を下記に載せておきます。(結局よくわからないままですが)

Plutonian is a very rare word, used once by Edgar Allen Poe (a bit of a dark - satanist - insane poet). He may mean to refer to something hellish, relating to the underworld, the devil... I think it is also a bit of a reference to where some producers are heading towards showing things like executions live on reality TV (not that he actually says this).

A clean feed is a technical term usually used by video /audio people relating to a connection that carries only one stream of data. Even though I am quite technical, and I am sitting here with two expert programmers, we don't know what he means in this context.

ちなみにポーが「Plutonian」という言葉を使っている詩はLou Reedも作品の題材に取り上げている「The Raven」(大鴉)です。こちらで読めます。

(追記)「clean feed」は後のdiaryにも度々登場し、文脈から察するに「途切れたりせず、快適に見られる映像」ということのようです。しかしこのdiaryにおける「the maximum number of clean feeds has topped at 88」の88がどういう数字なのか、やはりよくわかりません。
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by yukie909 | 2005-10-08 02:24 | diary
2005年 10月 02日
2 October 2005 / My friend Louis
[原文] 2005年10月2日の公式サイトの日記。
My friend Louis
日々の生活とクリエイティビティとの折り合いについて語っています。


今日、息子のJoseと一晩を過ごしたホテルの駐車場からAirstreamのキャンピングカーを運転して戻ってきた。古い車で、はっきりとはわからないが 1991年ごろに製造されたものだと思う。Airstreamの車はどれも美しく、車体は100年にわたり銀色に輝き続けるが、私の車の車内設備はややおかしい時がある。今回の旅行では問題なかった。灯りも、暖房も、トイレも、お湯もベッドも無事使えた。私は朝食にパンケーキを焼き、息子を時間通りに学校に送り届けた。

家に戻る道でLouisが電話をかけてきた。彼に会ったのは10年ほど前、ロンドンでのことだった。彼はアイルランド人で、現在妻のJaneと3人の娘達とともにアイルランドに住んでいる。今はJaneが働きに出て、Louisが子供達の世話をしている。Louisは広い分野をカバーするカウンセラーであると同時に、俳優であり、劇作家であり、演劇の指導員でもある。しかし我々が話すときには創造的システム設計の話題になることが多い。

私は自分の内からわきあがる創造的な声を無視するのはとても危険なことだという自分の信念について話した。いかに毎日の生活が(Louisのように)幸せで、満ち足りていて、経済的にも安定していようとも。これは男だけの話ではない。私は同じことを自分の時間を全て子供の為に使っている女性達にも言ったことがある。家族を育む為に自分の時間と愛とエネルギーを使うこと以上に創造的な、より良いことは他に無い。しかし家族を支える為には、自分自身を支えなければならない。

長い間、自分達の自由を求める女性達は何もかもを欲しがる「新しい女」として見られてきた。しかし、「全てを自分のものにする」のではなく、「完全に自分のものである何か」を持つ権利を求めているということもあるのではないか。

もし子供を寝かせた後ベッドを離れる時に、胸のうちで「さて、私には?」という小さな声が聞こえたとしたら、問題かもしれない。このことは時々私にも起こる。

私は、その為に自分に割り当てた時間を無駄にしたとしても、自分自身の創造的な余裕を必ず確保しておかなければならない。もしそれをしなければ、私は最も愛する者たちにつらく当たってしまうかもしれない。とてもめまぐるしい毎日だ。まるで「Calvin and Hobbs」
(※漫画のタイトル。こちらで読めます)のように。しかしそれも悪くない。忙しい日々。その為私は一日を無駄にしたと感じることはほとんどない。だが逆に、考えたり、祈ったり、瞑想したり、歩いたり、休暇の予定を立てたり、どんな服を買い足そうか考えこんだりというような、大きなことから小さなことまで含めた自分の為の時間をたった30分すら取ることができなかったと感じる日がよくある。

そこでLouisと私は我々の責務である、それぞれの子供達の幸せと安全に気を配り、パートナーに労わりと感謝の気持ちを表すことを決めた。しかし同様に、もし自分達に時々「どうしたらいいんだ!」と叫ばなければなることができるはずの、2人の手のかかる若造にも特別に気を配ることもまた決意した。
(?)
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by yukie909 | 2005-10-02 15:44 | diary