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2005年 08月 23日
23 August 2005 / The Endless Wire
[原文] 2005年8月23日の公式サイトの日記。
The Endless Wire
立て続けの日記更新です。今回はThe Whoに関する話題も多く、興味深い内容です。
2004年の来日についても少し出てきます。私達日本のファンはRachelに感謝した方がよさそうです。


奇跡的な時だ。Rachelが立派なblogを持っており、私はそれに少し嫉妬している。rachelfuller.blogspot.comを見てみてほしい。私は1971年には既にこのようなインターネットで交流する世界の到来を予見していたが、ほとんどの人々が私を変人扱いした。つねに実践を重んじる男Rogerは、「ネットで繋がることなんてできない」と言っていた。80年代に、私はロンドンのthe Royal College of Artで講義をして、音楽ダウンロードの隆盛と、同じネットという媒体を通してポルノグラフィという形で子供が性的に搾取される社会が訪れることを予言した。きっとその2つのテーマを一緒に語るべきではなかったのだろうが、わずかに集まった年若い学生達のほとんどは私を小ばかにして立ち去ってしまった。

Who関係のチャットルームにはRachelが私に何か悪い影響を与える存在だと考えている人々がいるようだが、忘れないでほしい。他の多くの人々と同じように、私が警告処分を受けた時、彼女は逃げ出したりしなかった。自分の身を守るように私が彼女を説得したにもかかわらずだ。よって、逆に私がRachelにとって良くない存在ではという少数派の意見の方がずっと信頼性があるのではないか。今の時代、誰もが無料でblogを持ち、画像や音楽やアイデアを提供でき、地球全体をカバーする創造的なコミュニティに参加することが可能になった。これらの全ては私が1971年に予測していたことだ。そして私たちの全てがアーティストな訳ではない。多くのblogがポルノ画像集めに利用されている(このことも私は80年代に予見していた)。しかし世界は狭くなったように思える。家族同士で休暇中に撮った写真をお互いに見せ合い、ティーンエイジャー達は学校での悩み事を語り合う。Marshall McLuhan
(※カナダの文学者・文明批評家。メディアを中心とした独自の文明論で有名)の産んだ言葉Global Village(※地球村)が現実化し、我々は世界共通語を得た。最新のアップル・コンピュータでは今や簡単な文章を何十種類もの異なる言語に簡単に翻訳できる。PCでも同様だろう。

私の創造的な波は止まってはいない。私は来る日も来る日も書き続けている。Mon écoulement créateur n'a pas cessé. J'écris chaque seul jour.
(※同じ意味の文章をフランス語で繰り返しています)
私は曲や歌詞、音楽をたくさん作っている。いくつかのスタジオを持ち、クリエイティブな生活を楽しんでいる。しかしこの日記を読んでいる人々の大多数が The Whoと呼ばれるグループの為に私ができることにしか興味がないことを私はよく知っている。そして彼らにとって、The Whoの活動以外の私が心配している全てのことは時間の無駄としかみなされない。
そうかもしれない、そうじゃないかもしれない。Peut-être, peut-être pas.
(※同じく、フランス語での繰り返し)

Rachelのblogがスタートしてすぐに1週間に1000以上のコメントを集めたのは驚くべきことだ。私が思いついた時にいつでも文章や画像や映像、PDFファイル、そして勿論音楽を載せることができる日記ページをこのサイト内に作るのに、Matt Kentと私は2年間かかった。ようやく日記ページが完成し、チャットルームが軌道に乗ったと思ったら、一時的にサイトを休止しなければならなくなった。単純にデータ転送量があまりに膨大になった為に金銭的負担が大きくなったのと、1981年以降創造的活動を止めてしまったバンドが永遠に続くと信じていたいWhoファンの怒りと欲求不満があまりに膨れ上がってしまったのが原因だった。
The Who est éternel.
(※フランス語、"The Whoは永遠だ")

Rachelの存在は私の人生においてとても重要な役割を果たしてきた。私がRogerの強い要求でJohn Entwistleの経済状態を助ける為にThe Whoとしてツアーを行ってきたのは、彼女の励ましがあったからだ。QUADROPHENIAなどの大掛かりなテーマ抜きのツアーにしたのも彼女の勧めだ。また、『LIFEHOUSE CHRONICLES』のリリースにあわせてSadlers Wellsでソロライブができたのも彼女のおかげだ。ここ数年The Whoが再びツアーに出られたのは彼女が私に多くのチャリティ・ライブに出演することを勧めてくれたからだ。昨年日本をはじめて訪れた時にも彼女は一緒に来てくれた。彼女がいなければ、私はRogerと日本に行くことも、オーストラリアを再び訪れることもなかっただろう。彼女はずっと私のプロフェッショナルな支持者でいてくれている。

私は彼女の曲を手伝うのは簡単にこなしているのに、自分の曲作りに悪戦苦闘しているさまを見ているのは彼女にとってつらいことだと思う。だが私が苦心しているのは、Whoファン(その中には私も含まれている)がThe Whoと呼ぶものの為に曲を書くときだけだ。人々は「いいからとにかく曲を作れ」と言うが、私はまさしくその通りにしている。しかし最終的にはWhoらしい曲ではなく、Brecht
(※おそらくドイツの劇作家Bertolt Brecht。三文オペラ等が有名)やWeil(※フランスの哲学者Simone Weilのこと?)やSerge Gainsborough(※作曲家、歌手、画家、俳優、映画監督等として知られたフランスのアーティスト)のような雰囲気の曲になってしまう。人々が何を求めているかはわかっているし、私の中の一部は喜んでそれを差し出そうとしている。だがどうやら自分の創造的な部分を制御できそうもない。私は私のやることをやるだけだ。もしそれが「俺はアーティストだ、俺の曲が気に入らない奴は消えろ」という風に見えたとしても、私にはそうすることしかできない。

Lackaddady。
(?)若い頃はある程度の量をまとめて書くのがよい効果を生んだ。「卵子」となる曲を10曲作ると、私はその中からたったの1曲だけ、Rogerとの受精に成功しそうなものを選ぶ。自宅で10曲デモをレコーディングして、使いものになるのはそのうちの半分。そうして集めた 10曲をRogerに演奏してみせると、彼はその中の6曲ほどにOKを出す。つまりレコーディングした10曲のうち4曲は悲しいことに生まれる前に死んでしまうことになる。つまり、The Whoの曲としてひとつの曲を完成させる為に私は50曲の「卵子」を作り出す必要がある。アルバムの形でリリースできるように15曲を揃えるには750の曲、もしくは何らかの曲の断片を用意しなくてはならない。卵子ひとつひとつに金がかかるわけではなくても、それを受精させるための行為は安くはない。 Rogerが実際に歌えるかどうかを判断する最初の選別作業が重要なものになってくる理由はそこにある。

卵子の受精を促すにはまずひとつひとつのデモを作らなければならないが、1曲につき£500
(※約10万円)かかり、作業に4日間必要となる。19歳の頃の自分はひたすらライブとデモ作りに明け暮れていた。家に帰っても朝から晩まで曲作りをしていた。子供が産まれても自宅のスタジオで作業を続けていたので、線路の近くに住んでいる人が夜行列車の音がしなければ眠れなくなってしまうように、私の子供達は私がいつものように真夜中まで同じ曲を何度も何度も演奏する音が聞こえなければ眠れない体になってしまった。

信じられないかもしれないが、それまでに10年間ひたすら曲を書きためてきて、1996年にはデモ・レコーディングをするばかりの作品(卵子)が1400曲集まった。私の計算ではその曲でThe Whoのアルバムが少なくともあと2枚作れるはずだ。しかし1曲につき£500かかることを考えると、その全てのデモを完成させるには£700,000 (126万ドル)
(※約1億4000万円)と15年の期間が必要になる。現実に、この無茶な計算結果に実際に近づきつつある。いくつか持っているスタジオは毎年大きな維持費がかかり、96年とはほとんど10年前のことだ。終了予定まであとたったの5年しかない。

この選別作業にはうんざりだが、もしかしたらこれがThe Whoの新作をまだリリースできない理由かもしれない。もう自分達のやりかたを今更変えるのは難しい。

実際のところ私の作業が遅れてしまうのは、生産性や努力や選別のせいではなく、私の芸術家的繊細さに原因がある。卵を宿すアーティストとして、私の作った音楽が何であれ選別の過程で「却下される」のは我慢ならない。たとえそれがいままでずっと、特にThe Whoの全盛期に数え切れないほど経験してきたことであったとしても。

John Entwistleが亡くなる少し前に私にいった言葉によると、彼にとってThe Who用にレコーディングする曲を提供するのはきつい作業だったそうだ。なぜなら、内容はどうあれ曲についてRoger(や私)がつべこべいうのがどうしても我慢できなかったからだ。彼の親しい友人に聞いてみるといい。これが彼の率直な意見だった。彼はその気持ちを乗り越えたかもしれないが、やはりあまり進んでThe Whoの曲を作ろうとはしていなかった。

この問題は、まずRogerがThe Whoのメインヴォーカルとしてごく普通のことのように彼の流儀の選別作業を始めたことから始まった。もし、幸運にも、彼が最初に聞いた曲を気に入ったとしたら、残りはうまくいく。彼が「却下した」曲は作業の最後に再び検討されるが、もう誰もその曲のことなど気にかけていない。そういった曲はシングルB面や無料配布やセルフリリースなどで陽の目を見る。しかしもし彼が最初の数曲を聞いてそのほとんどを却下したとしたら、全てが台無しになる。先ほど提示した計算は適用されない。なぜなら曲を作る「アーティスト」がかつてJohn Enwtistleが言ったのと同じようにこう言うからだ。「ふざけるな!俺が必死の努力で生み出した曲(既に前もって慎重にふるいにかけ、費用と時間の制約を何とかくぐりぬけて作り上げた)をどんな基準だろうが却下するなんて受け入れられるか!」

だがこの頃は反対意見の一部は受け入れられるようになった。私はものすごい量の曲を作り続けなければならない。もしそれができて幸運に恵まれれば、私が死ぬ前には素晴らしい仕上がりのThe Whoの新作が誕生することだろう。心強いことに、私はRogerを好きだし彼は私を好いてくれ、私達のどちらも働く気、そして待つ気がちゃんとある。

もうひとつ役立っているのはインターネットだ。セーリングに出るか釣りをするか本を読む以外、私はいつでも人に連絡ができる。私の作業はゆっくりで、費用もかかるが、待つ価値のあるものができることを願っている。少なくとも私はただ8月に2週間の休暇を取っているだけで、それ以外の時は働いて働いて働いて働いて働いて働いているのだ。

私達は誰もが今日旅に出た。たとえそれが「endless wire」であっても。
(?)
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by yukie909 | 2005-08-23 14:44 | diary
2005年 08月 21日
21 August 2005 / On The Silver Road
[原文] 2005年8月21日の公式サイトの日記。
On The Silver Road
Jack Kerouac作の『ON THE ROAD』(路上)からの引用のようです。現在書籍を確認中。
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by yukie909 | 2005-08-21 14:42 | diary
2005年 08月 20日
20 August 2005 / The Bay of Angels
[原文] 2005年8月20日の公式サイトの日記。
The Bay of Angels
フランスからのエントリーです。U2のAdamと食事を共にした話からはじまり、様々なことを考えの赴くまま、時に詩的な様子で綴っています。現在はひたすら自伝執筆に勤しんでいる様子です。
今回のタイトルはイギリスの女流作家Anita Brooknerの2001年の作品『THE BAY OF ANGELS』から取っているようです。


満月だ。私は南フランスの海のほとりで、銀色の月の光が水面に反射してきらめくまるでポストカードのような風景を眺めている。今私がいるところからは入り江の向こう側で子供たちが手でドラムを叩いている音が聞こえてくる。私はここで数日間の休暇を過ごし、本の執筆に戻る。本、つまり自伝は順調に進んでおり、私は今も毎日の執筆を楽しんでいる。

今日はU2のAdamと昼食を取った。私達はまるで自分達の今の立場がいたって普通のものであるかのように語り合った。2人とも、大半の人が天国みたいだと感じるようなことに対して不平を言い、大半の人が退屈に思うほど些細なことに対して興奮して話した。これは私達の人生が何かに勝っているということではなく、それぞれ若い頃にバンドを始めて、それ以来ロックンロールの世界にずっと住み続けているというだけの話だ。だから毎日机に座り本を書くということが私をどれほどわくわくさせるか話したとき、彼は理解してくれた。

本を書いていない時には読書をしている。いつもならJeffery DeaverかPaul Auster、又は似たような作家で、まだ読んでいないものを探して読むようにしているが、今はJack Keroac
(※正しいスペルはJack Kerouac)の『ON THE ROAD』(路上)を読んでいる。私のボートが2002年にアンティグアから戻ってきた時に誰かが忘れていった、古びた本だ。60年代に読んでいるべき本なのに、どういう訳か未読だった。Burroughsの『NAKED LUNCH』のような陰気な本だと思い込んでいた。ヤク中の若者達が身を売りながらヒッチハイクでアメリカを横断し、健全さとモラルを失って、殺人まで犯してしまうといったような。もしくは『FEAR AND LOATHING IN LAS VEGAS』(※Hunter S. Thompsonの1972年の作品、1998年にJohnny Depp主演で映画化。邦題は『ラスベガスをやっつけろ』)みたいに、同じく解放を謳って堕落していくというような。実際にはどちらでもなく、ジャンルも全く異なっていた。 BurroughsはKerouacの大ファンではあるが。

青春時代の情熱への賛歌、そして見知らぬ人と会い煙草をあげたり貰ったりして、名前を訊ねあうような、そんなささやかな喜びを伴う冒険に対する賞賛だ。誰かと長い間一緒に過ごして、車に同乗させてもらい、彼らの話に耳を傾け、彼らが抱く夢を深く知るような、そんな物語だ。もし君が短い人生で私のように長い間この本を読まずにいたとしたら、今すぐ読むべきだ、絶対に!
(※ここはWord!と書いていますが、訳がこれでいいのかわかりません)

ヒッチハイクはただの旅ではない。もし君がはじめて長いセーリングに出るとしたら、セーリングはボートや、風や、海だけのものではないことに突然気づくはずだ。もちろんセーリングはある部分でそれらの事柄と関係しているが、そういった表面的なものを超えた部分でなされる会話が重要なのだ。ボートの操縦室で、君は1人の男性クルーが子供達に愛を注いで離婚した妻を恋しく思っていたり、又は他の男性クルーが秘書と秘密の恋をしていたり、1人の日焼けした女性クルーがずっと年下の男としか寝たがらなかったりということを知るだろう、また君自身も同じように欲しいものや失ったもの、熱望や野望などを他の人に語り、特にどこを目指すわけでもなく地球の表面を旅しつつ、時がゆっくりと、また早く過ぎるのを感じながらもっと話したい気持ちになるのを感じるだろう。信じた相手は絶対に自分の話を漏らしたりしないし、またその機会もないことを知るはずだ。沈黙には絶対的真理が必要であり、真理が現れるまで沈黙は旅行者に付きまとい続ける。
(?)

つまりセーリングや、ヒッチハイクや、公園のベンチで浮浪者達と酔っ払うことでさえ、全てが何かの真理へと繋がっている。少なくとも真実を語ろうという情熱がわいてくる。

この8月、少なくともそのうち2週間の間は、私にとって何の決断もしないということを必死に試みている時期だ。しかしそれは不可能だし、仕事を抱え込みすぎてしまった。今の時期は新年と同じぐらい重要で、翌年の計画を立て、物事がよい方向に進んでいくよう心を決めなくてはならない。8月、夏の終わりは、我々西洋人で学校に通っていた者なら誰でも秋学期の始まりを思い起こす。勉強方法が新しくなり、突然回りに新入生が現れ、自分達は1つ上になる……1年大人になるかもしれないが、審判の時に1年近づいたとも言える。夏はまだ終わりの時には遠く、私は9月に学校に戻る必要はない。しかし毎年計画を立てなければという必要性に駆られる。木の葉が落ち、雪が舞い、冬の花火が上がった後に素晴らしい新年が迎えられるような、必ず実現する計画を。

私は執筆を続ける。それが私がわかる全てで、私が果たせる全てだ。そしていくらか音楽も作るかもしれない、そう願っている。(昨日は一つとてもいい歌詞ができた)また小説も書くかもしれない。もし人に必要とされているなら私はここにいよう。この日記は他人が返事やコメントをつけられるblogではない。「アンプのボリュームをあげた方がいい」「またWon't Get Fooled Againみたいな曲を作るべきだ」という小言でも、「今のままでいればいい」という言葉でも何でも、私に届くことはない。いつかはその中のどれかには手をつけるかもしれない。私がこのウェブサイトを立ち上げた時、そのうち誰もが同じようなサイトを持つ日がくるだろうと予想していたが、その頃blogのようなものはなかった。blogは驚くべき発明だ。それにより世界が狭くなった。我々は操縦室でセーリングができ、ヒッチハイクで平台型トラックに乗り込むことができ、酒を飲み煙草を吸って身の上話をしてお互いを覚えておくことができる。100万の名前を聞いて100万の顔を見たとしても(これは本当だ、なぜならそれは私の経験上知ったことだからだ)その全てを、そしてその内の一部の人々については更にはっきりと覚えていることができる。ブログが世界を狭くした。全ての人がblogを良いものとは考える訳ではないだろうが、私はそう思っている。

時々、道を歩いていると知っている顔に出会う。私は笑顔で立ち止まり、「やあ、元気か?」と尋ねる。「最後に会ったのはいつだっけ?」時々、声をかけた相手は困惑した顔をする。「あなたは私を知らないはずだ」彼らはそう言うだろう。私はこう答える、「君と会ったことはない。だが私は19XX年にニューヨークのXXXXの人ごみにいたんだ」……

どうやって私がそれらの人々の顔を覚えているか?それは、私はその場ですぐに相手の名前を聞くようにしている。何年も経った後に再び顔をあわせる機会があったとしたら、記憶力の悪い私でもその名前が頭の中に浮かんでくる。そして自分の記憶を信じてその名前で呼びかけると、相手の顔がぱっと明るくなるのだ。うぬぼれでも有名人気取りでもなく、ただ人間の脳の力には驚くばかりだ。特に私のような人間の、10年近くもコニャック漬けで混乱した脳が、人々のことや、彼等の人となり、顔立ちや本質を忘れずにいられるとは。

先日古い友人Nik Cohnから連絡があった。彼は1968年に、精神的な階段を上っていくTOMMYの物語に色とポップさに彩られた活気を与える曲、Pinball Wizardを私が書くきっかけをくれた人物だ。つまり私の「Stairway to Heaven」になる筈の曲がおかげで「Stairway to Soho」に変わったといえる。彼はここ数年ニューオーリンズに住み、まずニューオーリンズ・ラップに関する本を書き、後にラップをプロデュースするようになった。彼はニューオーリンズを「ニュアンス」と発音する。音楽と魔法と謎とムード、そして神秘的雰囲気で溢れる驚くべき街、ニューオーリンズ。街にあるもの全てはその街の持つニュアンス、人々の名前、物語、過ぎた時間のリズムに繋がる。絶対に!
(?)
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by yukie909 | 2005-08-20 14:26 | diary
2005年 08月 06日
6 August 2005 / Partly Naked Lunch
[原文] 2005年8月6日の公式サイトの日記。
Partly Naked Lunch
少なくとも2006年の2月までThe Whoには何も動きがなさそうな雰囲気です。後からこの日記の内容をもとに「The Who、2006年2月からツアー開始!」と勝手に書きたてた記事が出回りましたが、文章を読む限りはそのようには思えません。
なお日記タイトル「Partly Naked Lunch」は、50年代アメリカが生んだビート・ジェネレーションの代表的作家であるWilliam S. Burroughsの長編小説『THE NAKED LUNCH』(裸のランチ)からきているものと思われます。ランチの場所が海辺のレストランで、Rogerが上半身裸にでもなっていたのでしょうか?


この時期、学校に通う子供を持つほとんどの人々と同じように、私はすっかり夏休み気分に浸りきっている。先週Roger Daltreyと昼食を共にし、この先の半年間に可能な仕事について話し合った。我々は先の見通しについてはっきりと2つに分割した。過去の賞賛と、創造的な未来と。前者についてはZakがOasisとの仕事を終えるのを待たなければならない。しかし未だにどんなことができるか、どこでできるか、はっきりとしたことがわからない。後者については完全に私次第だが、進行状況は遅く、一進一退だ。我々は来年2月にもう一度集まることにした。
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by yukie909 | 2005-08-06 14:20 | diary