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2007年 01月 24日
24 January 2007 / Hi Harold! Hi Tom! Let's Party!
[原文] 2007年1月24日の公式サイトの日記。
Hi Harold! Hi Tom! Let's Party!
2007年の冬に来日するのはほぼ確実、という驚きの内容です。


昨日Rogerと我々のマネージャーと共にミーティングを行い、この先2年間の予定について話し合った。「TOMMY」が40周年を迎える2009年は何か記念のイベントを行うべき年だと全員が考えている。50周年の頃には我々はもう居ないかもしれないのだから。今年はすでにスケジュールが一杯で、少なくとも夏まではぎっしり詰まっている。近々発表することになるヨーロッパツアーは、3月からスタートし7月のロックフェス・シーズンに終了する予定だ。2007年の冬には日本、オーストラリア、ハワイを訪れることがほぼ確実となっている。また、今年の終わりに計画されている新しいThe Whoの公式サイトの開設についても話し合った。新しいアルバム制作の具体的なスケジュールは設定していないが、きっと「ENDLESS WIRE」の時と同じ方法でいつのまにか手を付けはじめ、自宅での作業に入ることになるだろう。

(続きは現在翻訳中です)
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by yukie909 | 2007-01-24 10:09 | diary
2007年 01月 06日
6 January 2007 / Grasshopper Guido
[原文] 2007年1月6日の公式サイトの日記。
Grasshopper Guido
インタビュー掲載の13回目。全19問で、わりと当たり障りのない内容です。


(オーストリアの新聞Kurier紙のために答えた、Guido Tartarottiからの質問だ)

[Q1. 答えるのが難しい質問になってしまいますが、「ENDLESS WIRE」はどのような作品だと説明できるものですか?アーティストなら誰でも望むように、音楽的に新しい分野へと進んで道を切り開いていく一方で、逆にできるだけ昔と同じままでいる(それを望むファンも多いです)というのは難しいはずですが。]

その通りだ、そこにジレンマがある。新作はThe Who初期にレコーディングした楽曲が元になっている。何曲かは「WHO'S NEXT」絡みだし、他の曲はより内省的なアルバム「THE WHO BY NUMBERS」に関係している。しかし完全に新しい部分もある。Roger DaltreyとPete Townshendだけで演奏している「アンプラグド」という点だ。アーティストの作品から何らかの連続性を感じ取ろうとすることは大切だ。自分が厳しいラインをクリアし、The Whoのサウンドとして世に出る曲を作ることができる、それを人々が心に抱いている伝説を壊すことなくやってのけることができる、と考えるようになってから長い時間が過ぎた。

[Q2. ミュージシャンとして、バンドとして、また1人の人間として自分が成長したと思いますか?]

そう願いたいものだ。Rogerと私は今では物事がよりクリアに見えるようになったが、それぞれがThe Who以外の仕事にも多くの時間を割いている。ある意味で、The Whoの仕事に戻る時には自分達が成長していないような、ほとんど何も変わっていないような気分になることがある。現在の新しい音楽は60年代の楽曲をベースにしたものがかなり多く、顔を上げるといつでも心地よい音に囲まれているのを感じる。パンクがはじめて爆発的に広がった時代でさえそうだった。個人的に最も居心地が悪く感じたのは、ウッドストックのヒッピー時代と、やたらに時計のような規則的な音が刻まれるようになった80年代の奇妙な時代だ。

[Q3. Pete、今はRogerとの関係はどうですか?ベースにあるものは何でしょうか、敬意ですか?]

確かに紛れもない尊敬の気持ちが根幹にある、だが我々は観客に対する情熱というのも共有している。いくつかのThe Whoの曲、特に有名なものは、観衆のエネルギーを解き放つ力を持つようだ。我々には様々な違う面をずっと持っているが、ひとたびそのステージでそのような現象が起こると、いつだって2人の違いなどはどうでもよくなった。現在ではステージの外でも、我々の異なる部分ではなく、共通の部分に目を向けるようにしている。(それだってまだ沢山ある!)

[Q4. 貴方はこれまで何千曲も作ってきたと思いますが、何曲かわかりますか?貴方の作曲の原動力となるもの、意欲をかき立てるものとは何ですか?]

完成した曲は大体750曲。一部ができあがっていて完成させる価値のある曲が1,500曲前後。私が曲を作るのは、楽しみの為、またはリリースする為で、それが私のできることだからだ。ギターを手にのんびりと過ごす時間が何よりも楽しい。時には新しいコードが新しいメロディを生み、そのメロディがこの先採用するかもしれない新しいアイデアにうまくはまるということもある。また、短い曲を書くのもかなり得意で、その為1つのストーリーに沿って何曲も書くのを好む。予想もしないような曲ができることがあるからだ。

[Q5. 誰よりも成功し、尊敬を集める作曲者の一人となった今、曲作りに「正しい」方法や「間違った」方法があると思いますか?曲を作るということは、人から学んだり、誰かに教えたりできるものなのでしょうか?うまくいく法則を知ること、あるいはもしかするとその法則を壊すことは重要ですか?それから、「ヒット曲」が完成した時には即座にそれがわかるのですか?どうすれば名曲ができるのでしょうか?]

法則など何もない。だが今では積み重ねられた歴史があるので、ポップソングが生まれるプロセスを分析し、少なくとも作曲者が良い方向に向かうことができる様々な手法を構築していくことは可能だ。それについて教えることはできるが、ポップミュージックのおかしなところは誰かが創りだした手法を使う新しい方法をいつでも思いつけるような気がしてしまうことだ。従って、新しく登場した法則は瞬く間に壊されるか、修正されるか、もしくはあっさりと借用されるか盗まれ、誰も困っていないからと相手には何のお咎めもないということがよくある。

[Q6. 尊敬している作曲者はいますか?最近刺激を受けたのはどのような音楽ですか?普段色々な音楽を聞きますか?]

Bertolt BrechtやCole Porter、Ira/George Gershwinなど、私の父の時代の音楽は心から尊敬している。自分と同時代だと、特にBob Dylan、Bruce Springsteen、The Beatles、Brian Wilsonが崇拝の対象だ。最近ではWilly Mason、Joe Purdey、Alexi Murdoch、Regina Spektor、そして私のパートナーのRachel Fullerの音楽に刺激をもらっている。彼等は新しいものを生み出している若き作曲家たちだ。今では音楽を聞く場所はほとんど自宅で、その時間をできるだけ特別なものにするよう心がけている。これは私がDVDで映画を見る時に最大限に快適な環境を作り、ちょっとしたセレモニーのような気分で見るようにしていることから来ていて、今ではCDを聞く時にも同じようにするのが好きだ。今では気軽な形で、例えば旅行中などに音楽を聞くことはあまりなくなった。

[Q7. 貴方は一見相性の悪そうな(でも実際は良かった!)2つの音楽の形、オペラとロックンロールを見事融合させました。貴方が最初にオペラの魅力を見出したのはいつ、そしてなぜですか?オペラの作曲家では誰が好きですか?]

オペラに興味を持ったのはThe WhoのマネージャーのKit LambertがConstant Lambertの息子だったからだ。Constant Lambertは50年代にロイヤルオペラハウスとロイヤルバレエのディレクターを務めていた。Kitはロイヤルオペラハウスに自分のボックス席を持っていて、よく座らせてもらった。あらゆる種類のオペラを見た。クラシックオペラの作曲者で最も好きなのはVerdiだ。イギリス人で言うと、Benjamin Britten以上に大きな影響を与えた作曲者は他にいないだろう。彼の「Silas Mariner」は素晴らしい。最近の作曲者ではPhilip Glassが好きだ。60年代にオペラ座で過ごした夜の中で最も苦痛だったのは、とりわけ陰鬱な「Boris Godunov」のオペラをじっと最後まで見ていた時のことだった。今ではこの作品はお気に入りの一つになっているが、その時の私はボックス席でシャンパンを飲み、床に寝転んで眠ってしまった。

[Q8. The Whoというブランドネームを冠してアルバムがリリースされるのは1982年以来初めてのことになります。長く間が空いたことで、貴方にとって色々なことが簡単になりましたか?それとも余計難しくなりましたか?ファン達の期待にどのように応えるつもりですか?プレッシャーを感じたりはしますか?]

確かにプレッシャーを感じてはいるが、それに対して何ができるわけでもないので、あまり気にしないようにしている。我々がレコーディングしたものを皆が楽しんでくれることを願うだけだ。

[Q9. 貴方はインターネットのヘビーユーザーですよね。ウェブは人々を繋ぐと思いますか?それとも逆に人々を引き離すでしょうか?その両方ですか?貴方はどのように、そしてどれぐらいインターネットを使いますか?]

毎日使っている。インターネットは勿論人々を繋ぐものだが、一部の人は仮面をかぶることを選ぶだろう。ミュージシャンや映像アーティストにとってはウェブは大きな可能性を持っている。しかしそれを使ってアーティトとして生計を立てる方法を見つけるのは難しいだろう。何も今に始まったことじゃない、昔から簡単なことではなかった。

[Q10. 新しいアルバムが貴方の「LIFEHOUSE」プロジェクトの新しいバージョンのようなものという話は本当ですか?どのような新しいストーリーがこのアルバムの背景にあるのでしょうか?]

「ENDLESS WIRE」は「The Boy Who Heard Music」(私がウェブサイトで連載した小説)がベースとなっており、この小説のベースとなるのが「PSYCHODERELICT」(1993年発表の私のソロアルバム)の基礎部分で、このアルバム自体は「LIFEHOUSE」(1971年から続いている)が元となっている。私は無論このアイデアをとても気に入っているが、私が進むべき次のステップはそれが実際に起こるよう試みるということだ。私がThe Whoとして1972年に実現させたいと考えていたのが、コンピュータを使った真に内省的な音楽を発表するコンサートを行うという夢だった。

[Q11. The Whoは2006年の夏、オーストリアのザンクトぺルテンでフェスティバルに出演しました。とても感動的でパワフルなコンサートでした。ところが「My Generation」の時に音が止まった後、バンドのメンバー皆が別の演奏をして、曲がどう進んでいくか貴方を除く全員がわからなかったように思える瞬間がありました。偉大なミュージシャンやロックの象徴であっても人間だということが伝わってくるような、魅力的な様子に見えました。演奏に失敗した時、貴方はどのように対処しますか?その時のようなことが起こると貴方は腹が立ちますか?]

時々自分がKeith MoonやJohn Entwistleと演奏している訳じゃないということを忘れてしまう。彼等はいつもステージの上で新たな音楽の旅にしきりに出たがっていたし、その場で臨機応変に私の演奏に付いてきてくれた。私は確かに時々ライブ中に物事がうまく進まないと怒ることがあるが、怒りはすぐに消え、若い頃と違ってずっと不機嫌なままでいるようなことはない。

[Q12. 先ほど「ロックの象徴」という言葉を使わせて頂きました。貴方はもしかしたらこの言葉があまり好きではないのかもしれません。生ける伝説として見られるというのはどのような感じですか?]

別に構わない。「生ける」と言ってもらえて嬉しい。

[Q13. 貴方の世代がこれほど元気なのはなぜでしょうか?The Who、The Rolling Stones、Bob Dylan、Paul McCartney、Neil Young……誰もが第一線におり、今も創造的で、大きな観客動員数を誇っています。]

それは我々がベビーブーム世代で、社会に占める人数が多いからではないかと思う。その為我々は大きな力を持っており、若いアーティストよりも集まる観客の数が大きい。しかし我々が恵まれている最大の理由は、ロックンロールとポップミュージックが最初に「重要なもの」になった時に幸運にも居合わせたということだ。戦後間もない頃は耳に心地よいだけのものだった音楽は、60年代により魅力的なものへと変化していった。若いアーティスト達は、昔と同じことを何度も何度も繰り返す為の新しい方法を探すことだけに甘んじなければならないだろう。

[Q14. ライブで演奏するのは好きですか?それともうんざりしますか?つまり、貴方が新しい作品を披露したいと考えているところに観客の誰もが「Substitute」や「Pinball Wizard」をやってもらいたがるというのは気分の良くないものですか?名曲が山ほどある中からセットリストを決めるのは難しいですか?ツアーの間にセットリストを変えたりしますか?]

若い頃よりはライブが好きになった。昔の曲も喜んで演奏している。簡単だし、演奏していて嬉しい。同時に演奏に全力で没頭するのも好きだが、観客をないがしろにするようなことはない。私がステージに立つのは観客の為、ただそれだけだ。私は自分自身の演奏に酔いしれるジャズミュージシャンではなく、観客に何を与えたかで自分も満たされる存在であるべきロックミュージシャンだ。  


(続きは現在翻訳中です)
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by yukie909 | 2007-01-06 17:55 | diary
2007年 01月 04日
4 January 2007 / Shouting Grasshoppers
[原文] 2007年1月4日の公式サイトの日記。
Shouting Grasshoppers
インタビュー掲載の12回目では、これまでのマスコミの取材と違ってファンからの質問に答えています。Peteの説明に出てくるtheShout.netは主にアメリカのThe Who(特にPete)のファンが集まる掲示板です。登録申請をして承認されなければ閲覧や書き込みはできません。


(Grasshoppers達の集まり「theShout.net」から寄せられた質問をDave Carterが私に送ってくれたので回答した。Daveも質問してくれた皆もどうもありがとう。普通のインタビューで聞かれる質問とはやや異なっており、Wise Oneこと私はご覧の通りいくつかの質問に答えるのに相当苦労した)

[Q1. 貴方のここ1年の写真の多くはにっこりと笑った表情をしていますし、これまでの人生の中でも良い1年だったという発言を何度もしています。Pete Townshendにとって2006年はかつてない良い1年だったと言えますか?]

(質問の内容とは正反対の表情で)ノー。私は幸せだが、The Whoや2006年について言えばそれほど幸せだった訳ではない。今のところ幸せな気がするというだけで、その気分を楽しんでいる。

[Q2. 「ENDLESS WIRE」のライナーノーツで、貴方はEric Claptonと電話で話したことについて触れていました。どのような心配事があって貴方は電話をかけたのですか?そして彼の「断固とした、揺るぎないアドバイス」とはどのようなものでしたか?]

もし彼が言ってくれた言葉を詳しく説明したいと思ったのなら、そうしていただろう。私は他人の好奇心をかき立てるつもりはなく、ただ彼に感謝の気持ちを伝えたかっただけだ。
(※ライナーノーツの翻訳はこちら

[Q3. 貴方が2006年のツアーの前にほのめかした「名案」とは何だったのでしょうか?]

あまりにもうますぎる方法で、どのようなものか忘れてしまった。
(※「名案」に関する日記の翻訳はこちら。cunningには狡猾な、抜け目のないといったニュアンスがあるようです)

[Q4. 新しいThe Whoのアルバムやシングルをリリースする予定はありますか?]

予定はない。何も約束できない。今回のツアーは来年までかけて様々な方向に向かう。80年代初めに私の頭がおかしくなりそうだった、終わりのないツアー地獄をまた繰り返す気はない。

[Q5. 「The Method」計画の進行状況はどうなっていますか?それにより最終的にどのようなライブ・パフォーマンスがされるのか、ビジョンを聞かせて下さい]

近いうちにベータテスト用のウェブサイトを更に拡大して立ち上げることを予定しているが、まだ具体的な日程は決まっていない。ウェブデザイナーがシステムを微調整しているところだ。このサイトの最初の集大成となるはずのライブイベントは、パフォーマンスというよりは祝いの会になるだろう。この計画は、個別の音楽の一片を数多く集め、しかるべき会場で映像(そして生の音楽)とともに演奏するというものだ。我々が採用した音楽を提供してくれた人々には、このイベントに出席して楽しんでもらいたいと考えている。
(※Methodに関する日記の翻訳はこちら

[Q6. 2002年のツアーではRogerと貴方の2人で「Naked Eye」をアコースティックで演奏しましたが、新しいCDに2人だけのアコースティック演奏による曲がいくつか収録されているのは、2002年の試みがうまくいったからですか?]

いや、違う。私が「In The Attic」で行ってきたことの方がより直接的に影響している。ロックとして名曲となり得た作品なら、勇気さえあれば本当にシンプルな形で演奏しても素晴らしい効果を生むことができるということを私は「In The Attic」で教わった。そのことはいつでもわかっているつもりだったし、Rogerも同様だったと思うが、自分達の持ち味を存分に引き出せるロックという決まった形に2人とも固執する傾向があった。我々は爆音を発するバンドの後ろに隠れていたのかもしれない。アコースティックではありのままの姿が見えてしまう。
それから、2005年にニューヨークで行ったチャリティ・イベント「Samsung's Four Seasons of Hope」で、Rogerが「Real Good Looking Boy」を演奏した。彼は1人でアコースティックギターを手にステージに立った。彼が私の曲を観客に聞かせる、その歌い方に私はとても心動かされた。しばらく頭を離れなかった。曲がRogerと一心同体となっていた。そこで私はこのような方法、特に自分1人での弾き語りという形でのステージをすることをRogerに勧めていこうと決めた。

[Q7. アルバム「QUADROPHENIA」に収録されなかった曲は一体どうなってしまったのですか?アルバムが4枚作れる程の曲があったと当時Rogerがマスコミに語っていたようですが。]

アウトテイクの一部はボーナストラックやデモの形でリリースされている。アルバム4枚分の曲があったかもしれないが、Rogerがそう言っていたのはアナログレコードの時代だったということを忘れてはいけない。そのことを考慮したとしても、Rogerが本気でそう言った訳でも、自分の言葉を信じていた訳でもないのは確実だ。そういえば私は少し前に「QUADROPHENIA」のリミックス作業をスタートしたのだが、その時に新しい曲を追加することを検討した。しかしすぐに「完成作業」が不要なことに気がついた。このアルバムに手を加えるところはなかった。完全な作品だったなどというつもりはない、だが楽曲を加えたり、物語を変えたりして「改良する」必要性は感じなかった。この作品は物語性のあるロックオペラというよりも、The Whoによる詩という意味合いを持っていた。女の子とうまくいったかどうかではなく、はじめての挫折を味わったときに我々が感じたことに目を向けた作品だ。

[Q8. The Whoの残した最も大きな功績とは何だと思いますか?]

「TOMMY」。全ての元となったデモ、アートワーク、オリジナルアルバム、バレエ版、映画版、オーケストラ版、マーチングバンド版、ブロードウェイ版……その全てが素晴らしく、制作に関わっていて楽しかった。同じことをもう一度やれと言われたらやれるし、死ぬまでにきっとあと何回かはできるだろう。

[Q9. 今回のツアーでは、貴方はこれまでになく愛想が良く、近づきやすくなっているようです。とうとう貴方自身が人々の人生に大きな影響を与える存在だということ、貴方の曲にこめられた痛みが彼等の多くを救ったということを受け入れたのですか?]

質問の意図がわからない。私が人々の人生に多くの影響を与えてきたことは確かだし、そのことについては受け入れている。質問者を傷つけたくはないが、それを受け入れたからといってなぜ私がより近づきやすい人間になったという考えに至るのだろう?つまり、私のプライバシーが確立され、容易に近づけない状態にあるということは、ファン達と私の仕事とのかかわりという面で重要なのかもしれない。私の曲にある痛みが誰かの心を動かしたのだとしたら、それはきっと本人の痛みがそうさせたのであって、私自身の痛みによるものではない。私を実際に知っている訳ではない人々に、どうやって私の痛みがわかるというのだろう。私は痛みを感じているか?これまで痛みを感じたことがあっただろうか?それについてはイエスだ、しかし私は自分の作品の中でその痛みをはっきりと表現することをずっと苦手としてきた。私が得意としているのは、他人の痛みに触れることだ。それができる自分を、解放と喜びを生み出すことができるということと同じく時々心から誇りに感じている。プライバシーの問題というのは全てのアーティストにとって悩みの種だが、特に曲を作るものにはそれが顕著だ。私は過去のインタビューではとても愛想良く振る舞い、ライブの後にバーで愛想良く会話を交わすのはJohn Entwistleに任せてきた。現在、私は彼が担ってきた役割をささやかにでも引き継ぐよう努力して人々に会うようにしているが、それが良いことかどうかはっきりとはわからない。私のパートナーRachelはとても社交的で、彼女が主催している「Attic Jam」のライブではできるだけファンにとってより身近な存在になれるようにしている。「Meet & Greet」チケット
(※通常のチケットより高い、PeteやRachelと直接話すことができる限定のチケット)は、将来のリリースに備えてライブの撮影とレコーディングを行うコストをカバーする方法として私が提案したものだ。その為に大きな時間を割くことができるとは思えないので、ファンと直接会うことを心から望んでいる訳ではないことを認めなければならない。

[Q10. 最後に「Mirror Door」について伺います。貴方はバッハ、モーツァルト、ベートーベンの名を「あちら側にいる」魂として挙げました。ロックンロールは175~200年後も消えずに残るでしょうか?貴方や貴方の仲間が創りだした音楽は、現在におけるクラシック音楽と同じようにその頃もライブで演奏されていると思いますか?]

もちろんロックンロールの一部は残るだろう。このことについては私はあまり興味をそそられない。「TOMMY」は残るかもしれない、それがどうした?日中に携帯充電器のコンセントを抜くことの方が未来の子供達にとってもっと意味があるだろうということは明らかだ。
(※携帯充電器についての参考記事はこちら

[Q11. もう1問だけ遊びのつもりでお願いします。インターネットが普及したおかげで「史上最高のロックバンドは何か」といった議論がより白熱しました。次のアーティストに対する貴方の率直な意見は?「Spinal Tap」「The Rutles」「Tenacious D」]

それらのアーティストは皆なくてはならない歴史的文書で、彼等なしには我々はロックスター達が持つうぬぼれや尊大さ、馬鹿馬鹿しさを見て笑うことができなかっただろう。
(※それぞれパロディ・バンドや架空のバンド。詳しい説明は以下のリンク先をご参照下さい。Spinal Tap / The Rutles / Tenacious D
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by yukie909 | 2007-01-04 11:22 | diary
2007年 01月 03日
3 January 2007 / A French Grasshopper
[原文] 2007年1月3日の公式サイトの日記。
A French Grasshopper
インタビュー連続掲載の11回目。あまりに増えた為かこのエントリーから通し番号が入らなくなりました。22の質問に答えています。


(これらの質問はFrance MetroのTaliaによるものだ)

[Q1. The Whoが前回アルバムを作ったのは四半世紀も昔だなんて信じられないような話です。貴方は今回の新作に収録された曲を自分の中にストックしておいて、再び作り直したのですか?]

ストックしてあったのは「The Boy Who Heard Music」(以後TBWHM)の脚本だ。2004年から2005年の間にそれについて何度かRogerに話したが、彼はほとんど興味を示さなかった。いずれにしても私はその脚本がThe Whoのアルバムのしっかりとした土台となり得るかどうか確信が持てなかった。2005年のはじめには既に物語に沿った歌詞とデモをいくつか作っていた。「Fragments」の大まかな歌詞と「In The Ether」のデモが出来上がっていた。

しかしRogerと私が常に考えていたのは、2人で作ったアルバムは全てどんな種類のコンセプトとも結びつけるべきではないということだった。我々はどの曲も単独で成り立つことを望んでおり、たまたま何かのコンセプトに基づいたものになったということなら問題ないが、無理やりコンセプトにこじつけるような真似はしたくなかった。今年(2006年)になって、1曲ずつを独立させるこの方法では私の作業がうまく進まないことに気づいた。「TBWHM」に取り組みはじめてから既に長い時間が経っており、もうこのアイデアを手放す訳にはいかなくなっていた。突然私の頭に閃いたのは、このプロジェクトともっと軽めのコンセプトとを組み合わせ、新しいアルバムの一部に取り入れてはどうかということだ。ミニオペラを作るというアイデアが一旦浮かぶと、私はすぐさま行動に移った。ミニオペラについては我々の初期の2枚のアルバム「A QUICK ONE」(1966年)と「RAEL」(1967年)で既に取り上げている。私は数多くの考えをストックしていたし、それに関連するアイデアもまた多かった。そのため「WIRE & GLASS」は難解な作品になった。もし作品を深く理解したいと思うなら、私のウェブサイトに掲載されている「TBWHM」を読む必要がある。そこに見られるのは、完結した本というよりはまだ未完成の作品と言える。

それ以外の曲はただアイデアが浮かぶに任せて作ったものだ。何曲かは2002年に作り始めていたが、その頃はまだJohn Entwistleが生きており、彼はいつも沢山の曲を用意していた。当時はRogerもまた作曲をするという話になっていたので、明るい曲はJohnとRogerに任せるつもりで、私は歪んで陰鬱な、インパクトのある曲を作ろうと試みていた。こうして「Black Widow's Eyes」や「In The Ether」といった曲が生まれた。

[Q2. 新作を出した今、それをライブで演奏することはなおさらエキサイティングでしょう。演奏するのに飽きた曲というのはありますか?]

昔の曲の数々を演るのは楽しい。曲に力があり、まるで曲そのものの力で演奏されるようで、さらに観客が盛り上げてくれる。新しい曲があるというのは嬉しいし、それを演奏するのもいいことだが、我々全員にとって昔の曲よりも難しい。もし私が何かの曲に飽きたとしたら、Rogerと話し合って、代わりにどの曲を入れるか考えるだろう。そんなことはめったにないが。

[Q3. 昔の曲の中で、貴方にとって以前ほど意味を持たなくなったものはありますか?]

もちろん。どうしてその曲を書いたのか、またはどんな意味を含めて書いていたのか、時々思い出せないようなことがある。自宅でレコーディングを行っていた為、何かのレコーディング作業を楽しみたい、もしくは新しい機材や技術を試したいばかりに大急ぎで曲を仕上げてしまうことがよくあった。「Drowned」もそのような形で生まれた曲だが、今でも精神的に何かを強く求めること、宇宙の虚無に身を委ねたいと願うことをテーマに書いた作品の中で最もパワフルな曲の一つとなった。

[Q4. 一部で囁かれているように、これが最後のアルバムなのですか?]

ノー。Rogerと私は今では共に音楽活動を続ける方法がわかったし、それを手放すつもりはない。ただ問題となっているのは、我々2人がまだきちんとしたバンドの形ではないということだ。2人のうちどちらもバンドを組む余裕がなかった。昔のようにアルバムが売れていない今、我々がバンドを作る為の唯一の方法は新しい協力者を受け入れるということだ(昔のThe Whoも同じことをした)。それには、新しいバンドに招き入れた者を心から信頼することが必要となる。我々がどちらも敬愛しているZakについては、既に彼自身から自由な立場でいたいという意向を聞いているし、彼はThe Whoと共に働くことをとても愛してくれているが、まだ若い彼にはRogerと私が活動できる範囲以上に働く必要がある。よって彼は恐らく2007年~2008年の間は再びOasisと共に活動することになるだろう。私は新しいアルバムについてのアイデアがいくつか浮かんでいる。まずは2007年7月のデンマーク公演でラストとなる今回のツアーを無事終わらせなくてはならない。日本とオーストラリアを訪れるのはその後に延期した。

[Q5. 新しいアルバムはミニアルバム「WIRE & GLASS」に端を発していますが、このような物語を音楽的に語るような手法の良い点とは何ですか?それぞれの曲が一編の小説のようなものなのでしょうか?]

Q1の回答を参照のこと。

[Q6.新しいアルバムは貴方の小説「The Boy Who Heard Music」に関連したものですか?]

Q1の回答を参照のこと。

[Q7. Ray Highというキャラクターは貴方自身が投影されたものですか?]

ある程度はそうだ。Ray Highはそれ以外にも、Roger DaltreyやRay Davies、Lou Reedなど、ミュージシャンであり思想家でもあるような人々の姿を部分的に映している。私がRayに重ねた自分自身のイメージとは、希望に満ちた、若さ溢れた夢の数々だ。年老いて落ちぶれた彼の姿は幸いにも私とは異なるものだが。これまでの24年間、私がアルコールを口にしたのは1993年の数ヶ月の間だけだ(自分がうまく酒とつきあっていけるかどうか試すための束の間の体験だった。そしてそれは無理なことだとわかった)。The Whoファンで興味のある者は私のソロアルバム「PSYCHODERELICT」を聞くと良いのではないかと思う。私はこのアルバムの物語を通して、ロックンロールがこの先どうなるかを知ろうと試み、私のようなアーティスト達が普通に働くには年を取り過ぎてしまった時にどのようなことが起こるかを示したと考えている。起こりそうでまだ起こっていないことは、ポップミュージック界での芸術のあり様を劇的に変える、新しい種類の集まりがインターネットによってもたらされるということだ。少なくとも今まではまだそのようなことは起こっていない。広告主は顧客に対して、時差の問題なしに好きな時に好きなものをダウンロードできるようにさせたがる為に、インターネットがリアルタイムで機能することは許されていない。「PSYCHODERELICT」では、私は2006年にはポップミュージックが完全にコンピュータによって広められていると想像していた。だがそれは間違っていた。そうなることに対する反発は続いており、現在の音楽の多くが心のこもった、温かみのある、エレクトロアコースティックなものだ。Sigur RosやSufjan Stevensのような先進的なアーティストであっても同じことが言える。彼等の音楽にはインターネットが利用されているかもしれないが、決してそれに依存している訳ではない。「PSYCHODERELICT」で、私はRay Highのようなアーティストがインターネットを使うことを強制され、それができなければ死ぬしかないというような世界を心に描いていた。だが現在の私の考えでは、彼が死ぬのはインターネットに全てを任せようとして他に表現手段を持たなくなってしまった時だろう。

[Q8. この作品を(ロング・バージョンで)ロックオペラとしてステージで演奏することは考えていますか?]

考えていない。この音楽(いくらかは追加して)を使ってアニメ映画の制作ができたらと思っている。

[Q9. 他にも音楽制作が進んでいるストーリーはありますか?]

今のところはない。現在進行中の作業は回想録を書き上げることだ。65歳を迎える2010年には完成させたい。
(※Peteによる脚注:2007年元日の時点ではこの本をどこかから出版する話はなく、またそれを進める予定もない)

[Q10. 「通常の」オペラは聴きますか?]

聴いている。特にMozart、Philip Glass、Benjamin Brittenが好きだ。

[Q11. ブルーグラスは好きですか?The Whoの曲にはブルース的な部分があると思います。つまり、それこそがロックンロールの源泉となるものですよね?]

良い音楽は何でも好きだ。Alison Kraussのバンドは特に気に入っている。ロックンロールはブルースとカントリーの融合から始まった…Hank WilliamsとLeadbellyの間のどこかの地点で。60年代の英国のロックやポップスは、更に広い範囲から影響を受けて生まれた。アイリッシュ、スウェーデン・フォーク、フラメンコ、デキシーランド・ジャズ、バロック等、様々な音楽だ。

[Q12. ロックンロール、又は広い意味でのポピュラーミュージックは、人々の関心を高める為の抗議の声という役割をこれまで持ってきています。アーティストは自分が有名であることを利用して人々の意識を高める「義務」または「責任」すら(強い言葉になってしまいますが、他の言葉が思い浮かびません)持っていると貴方は考えていますか?]

アーティストのするべきことは、観客に作品をもたらす、ただそれだけだ。The Whoにとっては、それは主に男性のファンに自分の過去の失敗に対するやり場のない怒りのはけ口を与えることが中心となってきた。時には何かに抗議しているように見えることもあったが、実際には我々は保守的で、自分達が個人的に正しいと考えている方法で生きていく権利を確保していた。「Won't Get Fooled Again」がそのいい例だ。

[Q13. 自身の音楽活動を振り返って、こうしていれば良かったのにと考えることはありますか?]

1981年に私が挫折を味わっていたからと言って、ロックンロールのせいにするつもりはなかった。自分自身が引き起こしたものだ。今ならそれがわかる。当時私は自分の生活に空きスペースを作る必要を感じて、その頃自分の中で最も大きな場所を占めていたThe Whoを終わらせようと決意した。1982年のThe Whoの解散については後悔はしていないが、解散した理由を悔やんでいる。私はあまりにも扉をかたく閉ざしてしまい、The Whoは1981年の時点では創作上のトラブルに見舞われていたとはいえ、ボロボロになっていた訳ではないということを受け止めることが難しかった。我々はバンドを続けていくこともできたかもしれない。

[Q14. 現在のロックのあり方についてどう考えていますか?我々ロックジャーナリストにとってはあまりにも大き過ぎるテーマとなってしまいました。60年代、70年代、80年代のバンドでさえも、現在のバンドには欠けている輝きを放っていたと思いますか?]

新しい音楽にも好きなものは沢山ある。今の質問の中では、もしかしたら「バンド」という言葉が君たちジャーナリストの間の持つ問題を生んでいるのかもしれない。バンドを組んで続けていくには途方もないほどの強さと集中力が必要となり、同時にお互い干渉せずにうまくやっていく覚悟を決めなければならない。バンドはかなり金もかかる。良いバンドには大抵強情なリーダーが存在するものだ、例えばRazorlightのように。私の好きなアーティストの多くがソロで活動している。Martha Wainwright、Sean Lennon、Willy Mason、Joe Purdey、Alexi Murdoch、Ed Harcourt、Foy Vanceなど。
新進アーティスト達が向き合わなくてはならないのは、革新的でいることは難しいという現実だ。あまりにも多くのことが既に他の誰かによって成されている。だが目の前に広がる景色は無限だ……何だってできる。

[Q15. 現在貴方が好きなバンドは何ですか?]

Shack。Kooks。Fratellis。Razorlight。Red Hot Chillie Peppers。Raconteurs。Flaming Lips。

[Q16. 音楽業界は貴方が登場した頃と比べるとかなり変化しました。多くのバンドが「使い捨てバンド」(ミリオンヒットを3曲飛ばした後に姿を消してしまい、2年後にテレビ番組に出演するだけのバンド)となっていますし、貴方がこれまで全面的に受け入れてきたテクノロジーの進歩もあります。この変化によって貴方の音楽制作へのアプローチや音楽の見方が違う形になるようなことはありましたか?]

いつの時代も1曲のヒットで消える者たちは多かった。この業界で生き残るには溢れるほどの才能が必要となる。その上必死になって働かなくてはならない。批評家というものは往々にして目に入るものだけで判断しがちで、その背景で起こっていることについてはあまり理解しようとはしない。だがたった1曲を当てただけでも大金が入ってくる。例えば私が1969年にプロデュースしたThunderclap Newmanの「Something In The Air」がいい例で、少し前に英国の航空会社ブリティッシュ・エアウェイズにより驚くほどの金額で買われた。そして当然費用も一切かからず、ツアーも、ドラッグも、マスコミも、レビューも、ラジオも、テレビも関係なしにその支払いが行われ、作曲者とバンドに利益がもたらされた。まさに天からの恵みだ!現在のテクノロジーが進むスピードはアーティスト達にとってあまりにも速過ぎる。時代を先取りする感覚を持っている我々ですら取り残されてしまう。1971年に私が予測していた通り、金持ちになるのはネットワークとソフトウェアを操作する「大物」達だ。彼等は芸術の屍を餌にしているインターネット関連企業の虫だ。彼等に対して惜しげもなく、無条件に創作物を提供している芸術の創造者たちは、次から次へと襲い掛かる砲撃の中に身を投じた第一次世界大戦の歩兵隊に似ている。1人1人が自分だけは例外となりたい、生き残り、成功し、人々に注目されるようになりたいと願っているところが。「大物」達はそれを眺めて鼻で笑い、200メートルものモーターヨットをコートダジュールの美しい港に浮かべるのだ。(昨年の夏、マイクロソフト社を設立したPaul Allenのヨットの汽笛がフランスのアンティーブでずっと鳴り響いていた。その音は地面が揺れるぐらい大きく、市長がそのモンスターヨットを移動させるよう彼に命じたほどだった)

[Q17. 現在は違法ダウンロードが蔓延し、お金を出してCDを買うのを渋るファンが数多くいるという風潮があります。貴方は自分の音楽がインターネット上で「盗まれている」ことに対して怒りを覚えますか?]

私の音楽はこれまでずっとブートレグ化されてきたし、ラジオやテレビで使用料も無しに、もしくはタダ同然で使われてきた。我々は今ではそれについてプロモーションの一つの手段として考えている。もし人々がアーティストの人生に入りこんできて、作品を好き勝手に持っていってしまうことを別に問題ないと感じるとしたら、アーティスト達は死んでしまうだろう。ただそれだけのことだ。作業1時間あたり5,000ポンドを請求する金持ちの配管工だらけの世界がすぐにやってくる。アーティストや職人達はまるで乞食のようになるだろう。世間は我々の芸術を盗むのを断じてやめるべきだが、それを止められる者は誰もいない。彼等は道徳に反した、無分別な軍隊のようなものだ。彼等に対して怒ったりはしない、なぜなら私は金に困っていないからだ。これはフランス革命の再来とも言える。今度の革命では私のような「貴族の」アーティストだけではなく、アーティスト全てが苦しみに耐えている。

[Q18. 何か成し遂げたいことはありますか?音楽に関する計画でも、もしくは例えばケーキを焼くといったような意外なことでもいいのですが。]

今フランス語を勉強している。ドイツ語は少し話せるが、フランス語は学校で授業を取っておけばよかったと後悔している言語だ。音楽の面で言えば、インターネットを利用して音楽を通じたリアルなコミュニティ、社会、共通性、集まりのようなものを創造する道を探してみたいと考えている。

[Q19. The Whoの歴史の中で最も良い時期はいつですか?]

「LIFEHOUSE」のアイデアをどうにか形にしようと試みて、必死にあがいた末の挫折感を味わった後、1972年に「WHO'S NEXT」をリリースして賞賛を浴びた時だ。

[Q20. できれば立ち会いたかったロック界の出来事は?]

1963年にBob DylanがDave Van Ronkと共演したニューヨークのTin Angelのライブ。

[Q21. 最高にロックだと感じる存在は?]

ライブ前にウォーミングアップしている時のRed Hot Chillie Peppers。子供のようにジャンプしたり駆け回ったりするのを何度も何度も繰り返している。彼等が大好きだ。Steven Tylerが曲の合間に酸素を吸入している姿も格好良い。木から落ちたKeith Richardsはどうだ?ギターのトレモロアームを右手に突き刺したこの私も負けてないが?

[Q22. 貴方自身が音楽界に残してきた影響力について自覚していますか?貴方の昔からのファンは自分の子供をライブに一緒に連れてきています。それを聞いて驚きますか?]

これまでとても面白い経験を山ほど味わわせてもらった。私はツアー続きの「ポップ」ミュージシャンの息子で、父から優れたジャズや40~50年代の名曲の数々を聞かされた。それらの全てから観客の為に尽くすという方法を学んだ。私の世界には音楽的、芸術的に気取ったようなところはほとんどなかった。私は11歳の時にBill Haleyの生演奏を見た。初めて自分のギターを手に入れたのが12歳の時だった。素晴らしいアートカレッジに通い、コンピュータについて学んだ。そこでアメリカ人の写真家Tom Wrightと出会い、1日でマリファナとR&Bがどういうものか同時に教わった。それから自分が曲を作れるということがわかった。私はアートスクールに通う前のもっと若い頃にジャーナリストになりたいという夢を持っていたので、言葉の使い方を訓練していたのが役に立ったのだ。アートカレッジで受けた最後の授業で教わったのは、全てのアーティストはそれぞれに後援者と声明が必要だということだった。私の後援者はバンドを見に来てくれる観客だろう。私の声明はその観客に向けられるはっきりしない言葉を指すだろう。私が育ったのはイーリングで、ニューヨークでもリヴァプールでもなかったが、Rolling Stonesがロンドンでの最初のライブを行った小さな郊外の街だ。若い頃にそこでBert Janschにも会ったことがある。私は何度も休みを取ってきた。だから驚いたりはしない。第二次世界大戦と核兵器が出現した後、ポップミュージック(そして全てのポップカルチャーとそれに続く全てのアート)には役割が課せられたが、それにはじめて大きな変化をもたらしたミュージシャン達の波の中に私もいたということを人々はわかってくれていると感じている。当時世界は変化を求めており、当時若かった我々がその変化を起こすために取った方法は、新しい言語を生み出すことだった。

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by yukie909 | 2007-01-03 10:27 | diary
2006年 12月 04日
4 December 2006 / Zak and the Revision of History
[原文] 2006年12月4日の公式サイトの日記。
Zak and the Revision of History
何度もPeteが繰り返してきた「ZakがOasisのサポートをした為にThe Whoの仕事が遅れた」件について、改めて「Zakは2005年にThe Whoと仕事をする態勢を整えてくれていたのに、自分の準備ができていなかった(だからZakは悪くない)」と断言しています。また、ZakにオファーのあったThe Whoの正式メンバーの座は、Zak自身が望んでいないということです。
中盤に「2007年秋まで続く予定だったツアーが7月で終わりそうだ」「その結果、計画していた日本とオーストラリアでの公演が先送りになるかもしれない」という、日本のファンには悪いニュースとなる文章があります。


Zakがボストンで私の元を訪れ、ボストンの新聞に私の言葉が掲載されてからThe Whoのファンが彼に対して腹を立てているようだと告げた。その内容とは「2005年にZakがOasisのサポートをしたことにより、Rogerと私は2006年の春までレコーディングの計画を進めるのを延期せざるを得なかった」というものだ。「2004年末にアルバムをリリースし、2005年にツアーを行う」と発表していたのに実際にこれほど遅れた理由として、曲のイメージが私の元へとやってくるのがゆっくりだったという事実もあったということを、私は他のインタビューではっきりさせておくべきだったと考えている。

Zakは2005年初めに何曲か聞かせてほしいと頼んできており、私はまだ自分で納得のいっていない曲を彼に聞かせるのは不安だった。彼がOasisとの仕事を引き受けた時、それはRogerと私にとって決して良いニュースではなかったが、新曲の用意もないのにZakに「確かなことは決まっていないがこれからの時間を我々に預けてくれ」と言う訳にもいかなかった。その時我々は彼のOasisのサポートドラマーとしての前途を祝福し、彼がOasisとの仕事を終える前にツアーを始めなければならなくなったとしたら違うドラマーを頼む必要があるかもしれないと考えた。

最終的には全てはうまく運んだ。OasisはZakをドラマーに据えて長いツアーを行い、私は今年の夏までThe Whoの新作用の曲作りに打ち込む時間を取ることができた。Zakと私がもっとスタジオで仕事する時間があれば良かったのだが、我々はツアーでずっと一緒に過ごしており、ツアーこそZakがThe Whoを照らす灯台の明かりのように輝く場所となっている。

ZakほどThe Whoのドラマーの座を立派に務められる人間は他に誰もいない。彼がThe Whoと過ごした長い歴史(まだ若く、Keith Moonの一ファンだった頃から彼は常にそこにいた)とBeatlesのメンバーの息子としての経験によって、彼はThe Whoとの仕事を堂々たる態度でこなす為の資質や落ち着き、説得力を得ている。

The Whoのファンは新作のリリースの遅れを責める相手を探すべきではない……特にZakを責めないでほしい。The Whoが彼の時間に機能している限りは、Zakは持てる時間全てをThe Whoに費やしてくれるだろう。我々はコンスタントにツアーを行うバンドだったことはなく、特にJohn Entwistleが欲求不満を起こして結局自分のバンドで色々とツアーを回るようになってしまったようなバンドだ。

今回のツアーは2007年秋まで続けるつもりだったが、7月に終了しそうな雰囲気になってきた。それにより、予定されていた日本とオーストラリアでのライブもしばらく先送りになるかもしれない。その結果の一つとして、Zakは来年の終わりに再びOasisの為にスティックを持つことになるかもしれないと私は考えている。今回のツアーでZakが我々とステージに上がっているのをNoelとLiamが応援してくれているように、もしZakがOasisとツアーに出るとしたら、Rogerと私は快く送り出すだろう。我々は皆友人だ。人生は短いのだからくだらない仕返しをする暇はないし、Zakは申し訳なく思うことなど何もない。彼は2005年初めに我々と仕事をする態勢ができていたのに、私の方の準備ができていなかったのだ。

この先7ヶ月間、Zakと一緒にライブができることを楽しみにしている。彼は本当によい演奏をしていて、バンド全体が申し分のない状態になっている。

些細なことをひとつ。私の最近の日記にZakをThe Whoの正式メンバーとして迎え入れたいと書いてあるのに気づいた人もいるだろう。彼にとってそれは必要としていることでも、そうなりたいと望んでいることでもない。ただこの素晴らしいミュージシャンに対して扉はいつでも開かれているとだけ言っておこう。そして我々は可能な時はいつでも、将来ZakがThe Whoと活動できるよう常に努めようと思う。

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by yukie909 | 2006-12-04 01:09 | diary
2006年 11月 28日
28 November 2006 / PSR Time Rates.
[原文] 2006年11月28日の公式サイトの日記。
PSR Time Rates.
インタビュー掲載は一回休み。こういった「いかにもPeteらしい」日記は久しぶりです。自分達の為に頑張ってくれているスタッフ達に対する感謝の気持ちを表しています。


夜によく眠れなかった。なんとか眠ろうと努め、結局午後3時までベッドの中にいた。

今は午後3時40分だ。

起きてから現在までの40分間は、それが時間というものの不可思議な性質の一つだが、いつのまにか過ぎ去ってしまった。たとえほとんどの人が今の時間を昼下がりと呼ぶとしても、私にとっては夜明けに他ならない。私が起きてからの時間は、親が自分の子供達に学校に行くための支度を全て済ませてやり、スクールバスに乗せるか車で送っていくかする時間と同等の長さと言える。そして、そう、私のアインシュタイン的理論に従えば、この時間は1日のうち他のどの時間よりも速く過ぎ去っていく。少なくとも3倍は速いだろうし、時にはそれより速く過ぎることすらある。

まず目覚まし時計の鳴る音が聞こえる。例えば午前6時30分に。目覚ましを止め、うめき声を上げる。ベッドから体を起こし、ばかげた不合理さを感じながらスリッパに両足を突っ込んだだけでもう時刻は6時35分だ。なぜそんなことになるのだろう?トイレに入り、歯を磨いて、ガウンを羽織る。それで6時45分。もしここまでの全ての行動をゆっくりと時間をかけて行ったとしたら(まるで王子様がウィッグか何かにパウダーをふりかけて整えている時のように)、この大切な15分もの時間のロスにも納得がいくだろう。だが実際に起こっていることは何かというと、目覚ましの音を聞くと同時にとにかく歯だけは磨いておくというだけだ。それだけのことに15分もかかるはずがない。しかし証拠はすぐそこの時計盤に残されている。ただ時間を確認したというだけでまるまる1分もかかってしまうらしい。6時46分だ。

飼犬に餌と水を与えるのにさらに15分が必要となる。やかんのお湯が沸いている。7時1分には事態は少しはましになったように見える。子供たちを起こし、朝食を作り始める時間だ。ちょっと待ってくれ、ほんの少しでいい、紅茶を一口飲んで、犬を手荒く撫でてやり、新聞の見出しをチェックして窓の外を眺めたい。そうしているうちに30分が経った。これこそ人間の理解を超えている。子供たちはまだ眠っている。トーストは冷めつつある。時計は7時31分を示している。全く!

現在私が感じているのはこういうことだ。「たとえ午後であっても、時はPSR時間で進んでいる」(PSRとはPre-School-Run、学校の前の慌しい時間を指す)我々はマンハッタンから今夜ライブを行うブリッジスポットまでの長い距離を車に揺られることになるが、ちょうど通勤時間にあたるので、その「早い」時間を大事に使って頭を冷やしたり、私自身や、私の睡眠や、私の失敗や、私の功績や、そして私の薄くなった髪が全てではないということを心に刻んだりしようと思っている。学校に連れていかなければならない子供もいないことであるし。

今の状況においては、私にとって「学校」とは今まで演奏したことのないライブ会場と、素晴らしいプロダクション・クルーによって運び込まれ、設営され、我々の為に準備された見事なステージの上だ。スタッフの皆が充分な睡眠を取っているとはとても思えず、トラックやバスに乗っている間を除いて眠る暇などほとんどないと言える。このアメリカ中を回っている大昔のロックンロールの奇妙な移動式学校で、もしRogerと私が共同で校長を務めていたとしたら、我々は最初のホームルームとお祈りの時間のチャイムを午後8時45分ぴったりに鳴らすようにするだろう。そして勿論、PSR時間のあまりにも信じがたい速さにそのまま匹敵するような奇跡的な努力によって、スタッフ達はなんとか仕事をやり遂げている。

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by yukie909 | 2006-11-28 14:42 | diary
2006年 11月 28日
28 November 2006 / Syndicated Grasshoppers - 10
[原文] 2006年11月28日の公式サイトの日記。
Syndicated Grasshoppers - 10
インタビュー連続掲載の10回目はあまりにも長くまとめようがありませんが、インタビューの最後を見ると、2006年9月の時点ではロシアや中国にまで世界ツアーを拡大したいという構想があったことがわかります。


(このインタビューは9月の北米ツアーがスタートする前にwww.newhousenews.comのKevin O'Hareにより行われた)

[このUSツアーでどんな曲を演奏したいと考えていますか?新しい曲と昔の曲とをどのように組み合わせるつもりですか?]

我々の最初の課題はファンが「マイナー曲」と呼んでいる曲、つまりこれまでめったにライブで演奏してこなかった曲を数多くリハーサルすることだった。Rogerは新作のヴォーカルをレコーディングしている間に喉の感染症にかかってしまったので、小さなリハーサル・スタジオでのセッションをすることができず、すぐにUSでのツアーで導入される照明やプロジェクター機器の計画を進める為の大部屋でのリハーサルに入らなければならなくなった。それでも我々は何とか良い新曲をいくつかリハーサルした。「Cry If You Want」はヨーロッパ公演で何度か演奏した曲で、前回のThe Whoのアルバム「IT'S HARD」の中でしっかり生き残った曲だ。また、新作のミニオペラ「WIRE AND GLASS」のショートバージョンもリハーサルした。USツアーでは全10曲を完奏するバージョンも時々セットに入れるつもりだ。

(※Peteによる脚注:我々のライブに足繁く通っているファンなら、完奏バージョンは未だに演奏されていないということをよくご存知だろう。残念だ)

[ライブでの新曲の評判はいかがですか?]

かなり良い。だがこれまでは若い観客が集まるフェスティバルに出演することが多かったので、大事を取って彼等の両親がベッドで愛し合っている時に聞いていたような曲を中心に演るようにしていた。

[The Whoの初期の頃から現在まで、貴方のライブ活動におけるステージ上での最も大きな変化とは何でしたか?]

The Whoはその長い歴史の中で様々な段階を踏んできた。今の状態はこれまでの我々の姿が根底から覆るような思い切った変化を経て辿りついたものだ。我々は今も昔の曲を演奏しているし、そのうちのいくつか、例えば「Won't Get Fooled Again」や「Baba O'Riley」のような曲は力強い音楽的バックボーンがある為に現在でも35年前と全く同じように響く。だが今のThe Whoのサウンドは以前ほどヘビーメタル的ではなくなり、パワーコードも雷鳴のようなドラムやベースも少なくなった。今のサウンドはいわば落ち着いたものになり、私もシングルラインを使ったリードギターを弾くように心がけ、現在もその技術を学び続けている。我々のサポートメンバーは人並みはずれた才能を持つ腕利きのミュージシャン揃いだ。我々が彼等に自分のしたいことを自由にさせるという珍しい機会があった時には、彼等はまるでロケットのような勢いで飛び立っていってしまう。

[今のThe Whoは昔のThe Whoではなく、何かが違うと貴方は言っていました。どのように違うのでしょうか、そして貴方は何を成し遂げたいと考えていますか?]

2002年にJohn Entwistleが死んだ時、我々は「2人のWhoではThe Whoにはならない」という真実と向き合わなければならなくなった。残ったメンバーがたまたま「フロントマン」だったことには助けられたが、The Whoのファンなら誰でもわかっているようにJohnとKeith Moonはバックバンドのミュージシャンなどという存在ではなかった。しかしRogerと私は、The Whoの昔の作品を演奏すること、それをうまくこなすことにかけては地球上の他の誰よりも長けている。我々は自分達がかつての姿とはもう違うということを知っているし、昔と変わらないふりを装うこともしない。その代わりに我々が行っているのは、昔の作品、そしてそれらの曲をこれまでの人生で聞いてきてくれたファン達を称えるということだ。

[貴方のウェブサイトの日記で今回のツアーの無料ウェブキャストに関して貴方とRogerが「戦争状態」にあるかどうかということが取り上げられた時、貴方はそれに対するマスコミの反応に気分を害されているようでした。実際にはこの時は何が起こっていたのでしょうか?]

日記の中のたった一文を取り上げ、一つの物語をひねりだしてしまう記者達のやり方には腹が立つ。しかしそれがインターネットというものだ。Rogerと私は戦争していたのではないが、The Whoのヨーロッパ公演をウェブキャストすることについて私はほぼ自分一人で関わっていた。それがこの先USツアーでも行われることになり、私が自発的に行っていたのと同じぐらいRogerに投資してもらおうという段階になった途端、Rogerが渋ったんだ。それが私には気に入らなかったし、Rogerと私はいつでも何に対しても意見がまとまるという訳ではない。この件は未だに我々の間で合意がなされていない事柄だ。

[マスコミについてですが、貴方はここ数年間で、特に英国のタブロイド紙において正しい扱いを受けてきたと感じていますか?]

イエス。何も文句はない。私は著名人であるし、レコードやライブのチケットの売上を伸ばしたい時にはいつだって新聞を利用している。その為に犠牲になるものがあるということをわかっている。私は英国の新聞業界に素晴らしい友人が何人もおり、もしミュージシャンになっていなかったとしたら新聞でレビューを書いていたはずだ、それは確信できる。2003年はじめにイギリスで私が児童ポルノ調査の為に逮捕された時、あれほど大きく報道されたことに驚いたが、それもあっという間に消え去ってしまった。全体的に見て、マスコミの私への対応は正しかったと考えている。

[貴方とRogerとの関係はどのようなものか聞かせて下さい。ビジネス・パートナー?古い友人?生き残った同士?]

その3つ全てだ。だが一つ足りないものがある。我々は高校時代からずっと一緒にやってきた、つまり我々は同じストリートから出てきた者同士なんだ。ステージでRogerと一緒に立っている時、私は彼が自分の親友だというような振りはしないし、彼が私の曲に敬意を表してくれるのと同じぐらい彼が私を好きだという振りもしない。しかし我々はお互い愛し合っているし、支え合っている。だから色々な意味でRogerと私は友人以上の関係だと言える。

[新作について。新しいアルバムに対して貴方ができたことを教えて下さい。この作品は貴方にとってどれほどエキサイティングでしたか?]

それについては言いたいことが山ほどある。恐らくRogerは私よりもずっと前から新しいCDを作りたいと考えていただろう。2000年ぐらいに彼がニューヨークのマスコミにそう発表したことを覚えている。その時彼が言っていたのは、彼とJohnは既に曲を作っていて、後は私の参加を待つばかりだということだった。しかし当時の私にとって問題は自分の意志だけで解決できるものではなかった。正解だったのは「The Boy Who Heard Music」を書き、連載小説としてインターネット上で発表したことだ。物語が発表されると400人ほどのグループの人々がフィードバックをくれた。連載が終了する頃には新しい作品の中心となるものが完成したとわかった。アルバムのうち12の曲がこの小説に関連したものだ。残りの曲はより新しい時代についてのものだが、作品にとてもよく調和している。このアルバムはシンプルな方法でレコーディングがされている。制作はヴィンテージのミキシングデスクと昔ながらの8トラック・テープマシーンで構成された私のホームスタジオで行った。いくつかの効果を大きなスタジオで追加したが、全ての曲はシンプルなオーディオ構成となっていて、派手すぎたり、独りよがりになりすぎたりしないよう努めた。新しい試みというのは実はほとんどない。「Fragments」という曲はややエレクトロニック風なサウンドになっているが、これは私のライフワークである「Lifehouse Method」計画の中でいつも私が行っていることの延長に過ぎない。
特に熱を入れて取り組んだのは「A Man In A Purple Dress」や「In The Ether」などのアンプラグドの曲だ。「~Purple Dress」はBob Dylanが昔歌っていたような曲で、「In The Ether」はStephen Sondheimの一連のオフ・ブロードウェイ作品のような雰囲気になっている。

[Rogerの言葉によると、貴方たち2人は強い力を持つ作品を生み出すことができなかったとしたらリリースはしなかったとのことです。貴方が「これはいける」と考え、世に出す価値があると判断したのはどの時点でしたか?作品の全てが一つにまとまる瞬間や曲というものがありましたか?]

私にとってそれはミニオペラ「Wire & Glass」となる曲のアイデアが浮かんだ瞬間だ。多分Rogerにとっては元々彼がとても気に入っていた「Mike Post Theme」「Black Widow's Eyes」に加えて、「A Man In A Purple Dress」と「Two Thousand Years」が生まれた時じゃないかと思う。

[「WHO2」アルバムの中心にあるものだと思われる「The Glass Household」について教えて下さい]

「WHO2」アルバムには現在ちゃんとしたタイトルがついている。「ENDLESS WIRE」と呼ばれることになるだろう。「The Glass Household」は「The Boy Who Heard Music」に登場する若者が組んでいるバンドのことだ。彼等は自分達にとってのロックの英雄である、年老いてみすぼらしい姿になったRay Highがかつて持っていた構想や野望を復活させることを決意した。

「The Glass Household」は1990年に長編小説の形で執筆が開始された。私は1986年にFaber & Faber社から短編小説集「Horse’s Neck」を出版しており、ぜひ次の作品を発表したいと考えていた。完成する前に私は交通事故を起こし、右手首を骨折してしまった。怪我が完治するまで長い時間がかかることになり、再びギターを弾ける保証もなかったので、私は劇場作品の計画をいくつか進めることにした。まず1991年に「TOMMY」をサンディエゴのLa Jolla Playhouseで上演する企画からスタートした。1993年にはそれがブロードウェイ作品へと広がり、私はそのことに後押しされて「The Glass Household」をベースにした物語「PSYCHODERELICT」を生み出すこととなった。同年の暮れにはロンドンのYoung Vic theatreで「THE IRON MAN」の新バージョンの上演も行った。

その年から、私は新しい物語仕立ての音楽作品を創り出そうと努力し、あれこれ試行錯誤を繰り返してきた。私はいつでも決まったテーマに何度も何度も繰り返し立ち返っている。戦後の英国社会に育った若者たちを取り巻く問題と、それにより生まれた拒絶と反乱が響き渡る様子、というテーマだ。1996年になって自伝の執筆に取りかかったが、すぐに気づいたのは「PSYCHODERELICT」で触れられていない素晴らしい物語がまだ自分の中に眠っているということだった。そこで私は小説「The Glass Household」に再び立ち戻り、異なる信仰の元で育った3人の子供達を見出した。彼等はバンドを組み、まるで自分達の体が粉々になってしまう程に衝撃を受けた昔のバンドを見にいくのだが、その昔のバンドというのは多くの部分がThe Whoに似通っている。

「Wire & Glass」のストーリーは私が昔から追い続けているこのテーマに根差したものだ。私は音楽(当然私の携わっている種類の音楽ということだが)と観衆(ライブを楽しむ為に集まった人々)が我々の根深い感情的・精神的な問題を全て解決してくれる、もしくは少なくとも解決への道を示してくれると信じており、この先もその信念から離れていくことはないと考えている。

[「Sound Round」の起源は1971年までさかのぼると聞いています。その他にも新作の中に過去のThe Whoもしくはソロ活動用に作られた作品はありますか?]

「Pick Up The Peace」も(「Sound Round」と同じく)私がThe Whoの「Lifehouse」プロジェクト用に作った曲が元になっている。私がソロを取る曲「God Speaks」も「SCOOP」シリーズのうちの一つにギター・インストゥルメンタル作品としてリリース済みだ。それ以外は完全に新作となる。これまで答えてきた10の質問への私の回答を聞いた後でも私のしていることが全く新しいことだと見なしてもらえたらの話だが。

[Johnが亡くなった後もThe Whoはツアーを続けましたが、中にはThe Whoはその素晴らしいキャリアに終止符を打つべきではないかと問いを投げかけている人たちもいます。貴方は活動を続けることに疑問を持ったことはありますか?また、ツアーを続ける原動力となったものは何ですか?]

続ける以外に選択肢はなかった。Johnが死んだのはツアー開始の1日前だった。Rogerと私は2人とも悩みに悩んだ。Rogerは続行と中止どちらになったとしても同意しただろう。私はいつでもセーリングに行く口実を探していて、この時は良い機会と言えた。しかし私は一緒に働いている人々、チケットを買ってくれた人々、そしてJohnとその家族に対する責任を果たさなくてはならなかった。そうすれば彼等が向き合わねばならないのはJohnの死と寂しさだけで済む。もし我々がツアーをキャンセルしていたら、Johnの葬儀が行われているところにThe Whoの財政危機という新たな伝説が刻まれてしまっていたことだろう。

[The Whoの初期の曲の中で、最も時代を超えて生き続けている曲とは何でしょうか?]

「Behind Blue Eyes」だ。年が経つにつれて評価が高まり、意味するものの深さも増している。しかし「TOMMY」の最後の部分、「Won't Get Fooled Again」、そして「My Generation」など、The Whoのライブのフィナーレを飾る為の存在感のある曲には事欠かない。

(※Peteによる脚注:このダイアリーをアップしている現在の時点では、観客の反応が最も大きい曲は「Baba O'Riley」だ)

[2006年7月、The Whoは最も有名なアルバムの一つ「LIVE AT LEEDS」の会場であるリーズ大学に再び登場しました。1970年のライブでの思い出はありますか?そして今回のライブはその時とどのように違いましたか?]

1970年の時はかなりクールなものだった。我々は週末という短い時間でライブアルバムを制作することに決めて、実際にそれをこなした。ミキシングは私がホームスタジオで行った。パチパチ、カチカチという音の混ざったレコードが完成し、そのレコードをボール紙のジャケットに入れてリリースした。2006年のライブはエキサイティングなイベントとなり、Rogerと私はまるで戻ってきた学者のような大歓迎を受けた。この日は心から楽しませてもらった。だが気温は一時40度にまで上がり、本当に暑かった。そしてこのライブがツアーの最初の公演だった為に我々の演奏はやや冴えないものとなったが、私はとても気に入っている。

[貴方のソロ活動の全アルバムがボーナストラックや追加曲付きでこの秋に再リリースされます。それらを聞いたり、当時のことを思い出したりする時、貴方が自分で最も気に入っている作品は何ですか?また、人々はリイシュー盤のどんな点に惹かれるでしょうか?もし1~2枚だけ買いたいという人がいたとしたら、貴方はどのタイトルを薦めますか?]

私のお気に入りは「CHINESE EYES」だ。私のソロ作品を既に手にしているファンの人たちは、もう聞いているかもしれないボーナストラック目当てに再び買い求める必要はない。だがThe Whoが遺してきたものを全て揃えたいと考えているなら、私やRoger、そしてJohnのソロ作品も必ず聞いておかなければならないだろう。

[新作に収録されている「They Made My Dreams Come True」では、貴方は「私が演奏した場所で人々が死んだ」と歌っています。明らかにこれは忘れがたい思い出と言えます。この一節について、またこの曲について教えて下さい。]

物語の中のこのパートは、ヴォーカルを取る年老いたナレーターが2つの悲劇について言及している。ひとつはRolling StonesのオルタモントやThe Whoのシンシナティのような、観客が亡くなった事件のことだ。もう一つは物語に登場する若者達のバンドで1人のメンバーが殺されたと思われる事件で、犯人は同じバンドの仲間と考えられるが、全てがはっきりとはわからない。彼が歌う夢とは彼等がコンピュータによって作られたオーダーメイドの音楽をインターネットを通じて広めるという内容で、これは近々私自身が「Lifehouse Method」のウェブサイト上で行おうとしていることと同じものだ。

[Keith MoonとJohn Entwistleが亡くなって、貴方はロック界の最高のリズムセクションを失いました。Pino PalladinoとZak StarkeyはThe Whoに何をもたらしてくれていますか?]

彼等はKeithとJohnとはまた別のロック界の最高のリズムセクションと言える。2人とも素晴らしいプレイヤーだ。

[貴方の公式サイトのバイオグラフィを見ると、貴方は「大規模な」ツアーに出るのを好まないとあります。もしそれが当てはまるなら、なぜ貴方はその大規模なツアーを再び行うのでしょうか?]

得るものが大きいからだ。我々はこれまでスペインでライブしたことがなかったが、マドリッド公演では1万人の若者の大観衆が我々を迎え、私がほんのわずかなギターのフレーズを鳴らす度に大喝采を送ってくれた。彼等の支えによって私の調子はどんどん上がり、まるでJimi Hendrixのような演奏ができた。実は今のは地元の新聞数紙のレビューに書かれていたもので、私が自分で言った訳じゃないが。我々にはそのような行くべき場所がある。私は自分の友人達や自宅、近所の人達、子供達や愛犬と離れ離れになりたくはない。しかし人生のほとんどの時間をただの月並みなミュージシャンとして過ごしている人間にとって、あのような瞬間を味わえるなら大事なもの達と離れるという代償を払うだけの価値はある。実のところ、この夏のヨーロッパツアーはとても楽だったし、楽しんで回ることができた。しかし数年前にイギリスで短いツアーを行った時はひどい悪天候で、私の小さい飛行機はまるで渦の中の木の葉のように風にもまれ、疲労困憊してしまった。このように、ツアー中というのは苦難に見舞われる可能性が常につきまとっている。なぜ人はそのような苦難を自ら進んで求めるのか?それは頭がおかしいからでもあり、また義務感に駆られているからとも言える。ほとんどのミュージシャンは「頭がおかしい」と言われることを喜ぶものだ。それに私は戦後のイギリス空軍内でミュージシャンを勤めた者を含む家庭で育ったことによる義務感を感じている。

[ファンが高い期待を寄せる中でThe Whoの新しい作品を作るというのは大変でしたか?]

そんなことはない。ファンの期待が高いからといってアルバム作りの何が変わる?何も変わりはしない。大変なのは作品の素材が自然に動いていく方向に沿うよう努めること、他の誰でもないこの私がThe Whoと呼んでいる存在にその作品がうまく合うかどうか見極めることだ。それができるようになったと自分で感じられる地点にたどりつくまで、長い間待たなければならなかった。辛抱強く待つことができたこと、時が来た時にすぐに制作に取り掛かることができて嬉しく思うし、生きてこの瞬間を味わうことができたことに感謝している。

[George Harrisonがよく語っていた言葉で、The Beatlesのライブ活動のピークは1960年のハンブルグ時代であり、彼等が存在していること自体を世界中が知るよりもずっと以前のことだったというものがありました。The Whoのライブ活動のピークはいつだと考えていますか?]

不思議な話だがかなり遅く、恐らく1975~76年前後だろう。Keithは昔ほどは元気ではなかったが、メンバー皆がその時の自分に満足しており、楽しんでいた。Keith Moonと共にステージに上がり、何か私がしたことや言ったことに対して彼が急に大笑いするのを見るのは本当に楽しかった。彼が死ぬ前にはそういうことが何度もあった。

[数年前、貴方は聴覚障害に悩まされ、ライブでほとんどアコースティックギターを弾いていました。今では耳にダメージを与えずにフルボリュームでエレキギターを弾く方法を会得できたのですか?]

ああ!フルボリュームで演奏したりはしていない。時々古いハイワットの機材を使おうとしてみることがあるが、あまりにも音が大きすぎて今ではとてもアンプの前に立っていることができない。危ないところで爆音で演奏することをやめ、今になってわかったことだが、この年までやってこれるだけの聴覚を保つことができた。いい時期に危機感を感じることができたと思う。私はこの件についてうるさく騒ぎ過ぎだったかもしれないが、John Entwistleは死んだ時にほとんど聴覚を失っていて、他人と話をする時には補聴器を2つも付ける必要があった。

[貴方のウェブ上の日記は有名ミュージシャンの誰よりも興味深い内容で、また率直に書かれています。インターネットを通じてファンと直接的なコンタクトを取ることができるということは、貴方にとってどのような意味を持ちますか?]

ありがとう。私の公式サイトは一方通行のコミュニケーションしか取れないが、自分が感じていることを伝えられ、それだけではなく真実を述べることができるのは良いものだ。また、ファンが言葉を返すことができるブログの運営も面白い。現在は私のブログは休止中だが、いずれ必ず再開しようと考えている。

[これまで質問になかったことで、貴方が伝えておきたいことはありますか?]

今回のツアーが事実上The Whoの初めての世界ツアーとなる。USツアーで得た利益はメキシコや南アメリカ、ロシア、もしかすると中国にまで至る新しい地域へとツアーを延長する為の資金にさせてもらうつもりだ。これほど大きなスケールで、新しい国へとツアーを続けるからといってこれが最後のツアーにしようというつもりなのではない。私はただRogerと私が健康で元気なうちに、何とかしてできるだけ多くの人達に我々の新しい曲を聞いてもらい、そして昔の曲を楽しんでもらいたいだけだ。可能なうちは、我々はどのような形であれつねに2人一緒にライブを行っている。我々にとってこれは終わりではなく、むしろ始まりだ。この年老いた2人の男共はロックの歴史に残る素晴らしい旗のひとつを掲げており、その旗を振っていこうと決意している。それには先にさっさと逃げ出した2人の仲間を追悼するという意味もある。Rogerと私にはお互いの存在があり、そのことは46年も昔の1960年、アクトンに住むガキだった我々が道ではじめてすれ違った頃よりも、今の方がずっと深い意味を持っている。

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by yukie909 | 2006-11-28 02:10 | diary
2006年 11月 27日
27 November 2006 / A Grasshopper, his party, and a sceptical wife - 9
[原文] 2006年11月27日の公式サイトの日記。
A Grasshopper, his party, and a sceptical wife - 9
インタビュー連続掲載の9回目。饒舌なPeteです。


(今回の「Seeker」は米国の都市デモインの地方紙、Des Moines RegisterのKyle Munsonだ。私はインタビューの冒頭からおだてられて自分の賢さを誇示するような態度になっており、今見ると恥ずかしい。だがこれは昔からの私の短所でもあり、またこれらの興味深い質問に答える為にはいくらか偉そうな態度を取る必要があった)

[最近リマスターされた貴方のソロ作品の中では、澄んだメロディ、エレガントなストリングスアレンジ、貴方のユーモアのセンスが表れた生き生きとした歌詞に彩られた「Street In The City」がベスト・シングルだと思います。その次に来るのが「Rough Boys」と「The Sea Refuses No River」でしょう。(「Pure & Easy」も入れたいところですが、よりパワフルなThe Whoのバージョンの方が私は好きです)リマスターにあたって、自身のソロキャリアを振り返る時に誇りに思うこと、恥ずかしく感じること、またその他の気持ちを感じることなどについて教えて頂けますか?]

ソロ作品に本格的に取り組んだのはRonnie Laneとの共作「ROUGH MIX」からだ。私のデモ(ホームレコーディング)には、それを元にして作り上げられたThe Whoの作品とは違う魅力があるとRonnieはいつも言っていた。私は自分のデモの価値をよく知っていたし、彼の言葉が正しいということもわかっていた。しかし、私が家でレコーディングした曲とThe Whoとしてレコーディングした曲の違いとは、The Whoはプロフェッショナル・スタジオを使って頼りになるプロデューサーと共に作業しているというだけのことだと考えるようになった。ソロ作品でプロデューサーと共に仕事をするようになって(「ROUGH MIX」でのGlyn Johnが最初だ)、私のデモ制作でのスタジオ演奏はThe Whoの場合と同じように自分の曲を再び解釈するものになり得るとわかった。ステージで演奏した時と同様に、自分の作品に新しい「瞬間」をもたらすことができた。君が名前を挙げた曲を自分で聞くと、作曲者としての自己と同じく演奏者としての自己を感じる。私は歌い手としてその頃自分が残した仕事にとても誇りを持っている。

[これは決して誇張ではありませんが、BeatlesのLennon/McCartney、StonesのMickとKeith、KinksのDavis兄弟など、イギリスのクラシック・ロックの中心人物達の間において、貴方の数々の曲は崩壊した精神というものを徹底的に掘り下げたという点において傑出しています。例えば、Lennonは「Cold Turkey」を書きましたが、「Imagine」のような作品も作っています。ところが「My Generation」から「TOMMY」、そして現在に至るまで、貴方の作品は様々に形を変える、まるで精神のジェットコースターです。貴方がこれほど自伝的で、不安定な、繊細な曲を作るロックスターとなった元々の理由は何でしょうか?貴方は同年代の仲間の誰よりもインターネットの世界で生き生きと活動してきましたね]

彼等が掘り下げてきた崩壊した精神というのは私は持っていない。それは君たちのものだ。私が自分自身の精神を一つのモデルとして作品に取り入れているのは確かだが、作曲家としてまた演奏者としての私の役割は、刺激を与える者、思慮深いカウンセラー、擁護者、質問者、調停役、主戦論者だ。私は創造的なアイデアを自分の内側から引き出しているが、観客から受けるそれらの性質を元にした職人技を使ってアイデアを集めることもする。私にとって観客は私に仕事を与えてくれる貴重なパトロンだ。その仕事は私には難しいと感じることが何度もあるけれども、彼等は私がよくやっていると思ってくれているらしい。私は自分のやり方をもう長いこと変えておらず、未だに子供の頃のトラウマの償いについてくどくどと繰り返している。そのトラウマは70年以上にわたる戦後の拒絶の結果として我々全て(多種多様な人達)に教え込まれているものだ。50年代以降のポップミュージック(そしてそのマッチョな兄弟、ロックミュージック)は全く新しいものとして見出された。これらの音楽には創作する喜びと忘却という効能があるに違いない。我々は両親や祖父母がしてきたのと同じようにダンスをした。彼等の時との違いは、人と一緒に踊らなければいけないという必要を感じなかったということだ。我々のダンスは楽しむ為にではなく、セラピーの一環として行われるものだったからだ。

[貴方はパワーコードやウインドミル、ギター破壊などをめっきり見せなくなりましたが、ギタリストとしてのPete Townshendが広く誤解されている、又は見逃されていることとは何でしょうか?]

ウインドミルとパワーコードは大好きだ。訣別や力強さ、リーダーシップを求める観客の気持ちを代弁しているから。パワーコードを鳴らすのは、曲が始まる前に人々の注目を集める為にも必要だと考えている。

[最近では貴方はほとんど耳が聞こえないのではないかと思い込んでいるファンが多いようです。耳の調子はどうですか?]

全く見当違いな考えだが、彼等がそう思うのは無理もない。私は70年代はじめに早期の聴覚障害があると診断されたが、その時にはほんの軽いものだった。しかし私はそのことを周りの人に話し、症状と真剣に向き合った。そうしたことによって、私は自分の聴覚を守ることができた。今ではこの年齢にしてはかなりよく聞こえている方だ。

[The Whoの新しい曲についてRogerと言い合いをする時と、その曲をファンに聞いてもらう時とではどちらが神経がすり減りますか?]

どちらも神経をすり減らしたりはしない、なぜなら私にはすり減らす神経などないからだ。恐れを感じることはほとんどない。それは私が肝が据わっているからというのではなく、自分がすることの何が重要かについてよくわかっている為だ。Rogerはやけに私を褒めることが多いので、私は時々(自分のウェブサイトで)Rogerの私に対する態度について書かなければならないと考える。彼はまるで私の才能が神から与えられたものだと信じているようだ。それは確かに私が生まれた時に持っていたものをベースとしてはいるが、素晴らしい先生や名マネージャー(特に私が音楽活動を始めた頃のKit Lambert)、最高の友人達、そして勿論Roger本人によって更に磨かれ、支えられてきている。

[ツアーには何の本を持っていきましたか?]

Umberto Ecoの「The Name of the Rose」、Rolan Keltsの「JapanAmerica」、そして推理小説を沢山。

[セックス、ドラッグ、精神性、ロックンロール……これらの物事に対する貴方の確固たる見解は、The Whoの前回のアルバムの頃とは一変したようですが?]

それらについて、私は今もなお日々の暮らしの影となるものとして見ている。つまりそれら全てはそれら自身の姿を反映しているが、最も重要なのはロック・オーディエンスに対してどのような働きをするかだ。自分の人生に迎え入れたアーティストに対してどのようなものを求めるかは人によって全く異なる。私は自分をセックスやドラッグ、精神性、ロックの権威に仕立て上げようとしている訳じゃない。ただ人生において多くのThe Whoファンにとってはそれら4つの面が政治よりも重要だということを知っているというだけだ。

[私のブログ(DesMoinesRegister.com/Munson)に寄せられたアイオワのファンからの2つの質問のうち一つ目です。「Keith Moonがこの世を去って数年経った頃、貴方は『The Whoは最後のツアーを行って解散するべきだったと思う』と語ったと聞いていますが、現在John Entwistleが亡くなってもなお貴方とRogerはバンドを続けています。その原動力は何ですか?創造性の面で言えば、貴方もRogerもソロ活動として新しい作品を作ることもできたはずですが。(デモイン在住のSteveより)」]

Steve、その質問はRogerにしてくれ。ある意味では、彼はポップ界やロック界の優れたアーティストは死ぬまで音楽活動を止めてはならないといつでも考えている。彼は今までその考えが正しいと証明してきた。私としては我々自身が疲れ果て、うんざりして、あるいはただみっともなく感じる前に止めるべきだと信じていた。私は新しいThe Whoのアルバムをソロアルバムとしてリリースしなかった、そんな図々しいことはできなかったからだ。規模がはるかに違うのだから。

[他のファンからの質問です。「ベテラン・ロックバンドの中で、聴衆が今もなお興味を持てるような活力に満ちた新しい音楽をリリースしているアーティストはどんどん少なくなっているようです。(Bob Dylanは60年代にデビューして現在も興味深い新作を発表している良い一例と言えます)大きな観衆を集められるような作品を作るのは難しいですか?また貴方と同時代のアーティストで、最初に大きな人気を得た時と変わらず時代に即した作品を作っていると感じる人はいますか?(デモイン在住のMikeより)」]

それを実現させるのはより難しくなっていると思う。The Whoが有名になるきっかけとなった昔の曲達はまるで巨大な壁のようなもので、それに太刀打ちできるような曲を作ることができるようになるまでに私は24年間待たなければならなかった。その間に私は何百もの曲を作ってアルバムを数枚制作しており、自分が行ってきた音楽活動に誇りを持っているが、その「時代に即した」という言葉はとても重要だ。「時代に即しているかどうか」は観客によってのみ判断されるからだ。私が時代に即していると思うものでも君にとってはそうじゃないかもしれない。だが新しい時代についていく為には、Flaming Lips、Eels、Sigur Rós、Sufjan Stevens、Martha Wainwright、Rufus Wainwright、それ以外にも多くのアーティストの作品を聞いておかなければならない。

[次の質問はZzz Records (www.zzzrecords.com)の経営者であり、デモインのイースト・ヴィレッジ地区で中古レコード店を営んでいるNate Niceswangerからです。「やあKyle、僕の妻がTownshendに質問があるそうだ。『The WhoのメンバーはTV番組CSIのファンなのですか?それとも、彼等のレコード会社が曲を売り渡したのですか?』」
(※アメリカのTVドラマ「CSI」ではBaba O'Riley、Who Are You、Won't Get Fooled Againの3曲が主題歌に使われています。この質問の後半はこれで意味が正しいかよくわかりません)

私は「CSI」の熱烈なファンだが、そうなったのは最初のシリーズで我々の曲が使われてからのことだ。私は単純にTVドラマが大好きで、そのテーマ音楽の魅力を見い出すのも大きな楽しみの一つだ。例えば「アライアス」のオープニングでのイレブンビートのリフレインは特に気に入っており、それが聞こえてきた時には興奮のあまり文字通り飛び跳ねてしまう。ところでこの質問の陰には次のような一癖ある意見が見て取れる。「Who Are You等の曲は私達のものではなかったのですか?曲の持つ意味を変えるのは許されることでしょうか?これらの曲を私達に売った後にまたTVドラマにも売るなんて、貴方はIndian Giverと言えませんか?」
(※Indian Giverとは「一度あげたものを取り返すケチな奴」を意味する俗語です。Indianとは貨幣を持たなかったアメリカ原住民を指しており、彼等が贈り物をする時にはそれと同等の価値のものが贈り返されることが当然となっていて、もし相手が同価値のものを提供できない場合には贈り物は持ち主の所に戻された為にこのような言葉が生まれたそうです)それに対する私の回答はこうだ。「君が正しいのは正しいことを言っている時だ。残念だが君は無力でもある、だから諦めなさい」

[(インタビュアーKyle自身の質問)「私自身は彼に対して良い質問が思い浮かびません。唯一持っているThe Whoのエピソードでは、私は子供の頃に父のEP盤をよく聞いていました。特にお気に入りだった曲が確かEP盤「Pinball Wizard」のB面に収録されていた「Dogs, Part Two」です。この曲こそは昔も今も名曲だという私の意見を皆にわかってもらいたいです。」]

「Dogs, Part Two」は「曲」ではない。Keithは時には厄介者だったが、ほとんどの場合は彼がそこにいると楽しかった。その時は彼がB面曲を「作る」番で、この作品が彼が思いついた曲だった。彼はご親切なことに我々にもこの曲の印税を分けてくれた(我々の犬の鳴き真似が実に上手だったからだ)。

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by yukie909 | 2006-11-27 14:18 | diary
2006年 11月 26日
26 November 2006 / Grasshopper 8 - IBC Studios
[原文] 2006年11月26日の公式サイトの日記。
Grasshopper 8 - IBC Studios
インタビュー連続掲載の8回目。The Whoが「TOMMY」のレコーディングにも使用しているロンドンのIBC StudioのスタッフBrian Carrollから送られてきた質問に答えています。


[IBC studioでの最も古い記憶は何ですか?]

Shel Talmyのアルバムのセッション(1965年)だ。
(※ファーストアルバム、「MY GENERATION」のこと)

[その時に一緒に働いたエンジニアやスタッフを誰か覚えていますか?]

ShelとGlyn Johns。それからDamon Lyon Shawを覚えている。

[私は貴方のトゥイッケナムの自宅にお邪魔したことがあり、貴方がデモを録音した場所を見せてもらいました。エンジニアリングに興味を持つようになったのはいつ頃ですか?]

アートカレッジ時代だ。学校で組んでいたバンド(The Detours)が私の初の自作曲をレコーディングしないかというオファーを受けた。レコーディングの場所は映画音楽制作で知られたBarry Grayのホームスタジオで、私は彼が自宅でEMIの機材を使っていたことに衝撃を受けた。

[貴方は「TOMMY」のレコーディングの為に数ヶ月間IBC studioで過ごしましたが、セッション代を捻出する為にツアーに出て、そのせいでレコーディングが中断されるのにはイライラしていましたか?]

そうだ。嫌で仕方なかった。定説では確かに「セッション代を捻出する為」となっているが、どうしてそうしなければならなかったかはよくわからない。当時我々はトラック・レコードに所属しており、トラック・レコードがセッション代を払うべきだったはずなんだが。

[IBC studioで曲を書いた記憶はありますか?]

1曲も書いていない。

[IBC StudioでJimi Hendrixに出会ったという話は本当ですか?(私の記憶では彼がIBCに来たのは「Hey Joe」をカッティングした日だけで、それは彼がこの曲をKingsway Studioでレコーディングした翌日の筈ですが)]

本当だ。コントロールルームでJimiに会った。アンプについてのアドバイスを求められた。彼は髪がボサボサで、くたびれ果てていて、埃まみれだった!その後ステージに立つ彼を見た時、その驚くべき姿と私がIBCで会ったあのシャイで汚らしい若者とが同一人物だとわかるまでに少し時間がかかった。

[The Whoの曲について、CDとアナログ盤とでは大きな違いがあると思いますか?]

違いはある。44.1kHzのCDの音は最悪だ。自分のアナログ盤に全て傷がついてしまったので、最初はCDを歓迎していた。だがすぐに44.1kHzの音には角があって、私には耳障りだと気づいた。もしかしたらその時既に私の聴覚が損なわれていたせいかもしれないが。

[The WhoとThunderclap Newmanのレコーディング以外で貴方がIBC Studioを使った時はありますか?]

ないと思う。

[私がマスタリングに関わった曲「Happy Jack」では貴方は「I saw ya」と言っています。その時貴方が見たものは何だったのですか?]

それはIBC Studioでの話ではない。その時我々はCBSにいた(当時はBond Streetにあったかな?)。Keithは皆が(コーラスを)歌うのを邪魔するなと釘を刺されていた。それで彼はコントロールルームの窓ごしにこちらを覗き見ていたんだ。

[最後の質問です。The WhoはIBC Studioに新しい風を吹き込んでくれ、John Adamsの下で多くの優れた曲が生み出されました。IBCでレコーディングした曲の中で貴方が気に入っているものは何ですか?]

「My Generation」。それから「Anyway Anyhow Anywhere」。そして勿論「Something In The Air」も好きだ。Brian、君も大きな力となってくれた。君にはアナログ盤のマスタリングについて色々教えてもらったし、一緒に働いていて楽しかった。

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by yukie909 | 2006-11-26 17:32 | diary
2006年 11月 23日
23 November 2006 / Thanksgiving - Thanks Rachel
[原文] 2006年11月23日の公式サイトの日記。
Thanksgiving - Thanks Rachel
インタビューは一回休み。前回の日記とあわせて「I love Rachel」特集となりました。

今回のツアーにRachelを連れていけるのは本当に嬉しい。ツアーはいつも気楽な気分でいられる訳ではない。日程はタイトで、私はThe WhoとしてまたRachelと2人で様々なライブを合計80公演ほども行っており、来年も同じぐらい多忙になる予定だ。しかし我々は今感謝している……楽しい毎日や、素晴らしいファンや、良い友人や、ツアーを共にしている頼もしいスタッフやクルー、そしてお互いに。ああ。

船の準備は万端で、私はライブ前や終わった後にレコード会社やラジオ局の人々、サポーター、何かのコンテストの優勝者などと挨拶を交わす(ミート&グリート)のを楽しんでおり、時にはRachelもそれに加わっている。現在はツアーにThe Pretendersが参加しているので、この挨拶回りをベジー&グリートと呼ばなくてはいけないだろう。
(※The PretendersのヴォーカルChrissie Hyndeはベジタリアン。meetとmeatを掛けたジョークです)

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時にはこの年寄りは疲れ切ってしまうことがある。こうなっているのはサングラスが重いせいだ。

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by yukie909 | 2006-11-23 12:59 | diary