2006年 05月 27日
[原文] 2006年5月27日の公式サイトの日記。 Won't Get Judged Again 「Won't Get Fooled Again」の意味が曲解され「イギリスで最もコンサバティブな曲」と新聞で評されたことに対する反論。元々の曲の持つ意味がまずRogerが歌うことによって変えられ、さらに聞く人それぞれが求めているものによって形が歪められていくことについて語っています。 「Won't Get Fooled Again」がイギリスのIndependent Newspaperで - 私が理解するところでは - 政治的メッセージはよく誤解されるものだが - 「conservativeなメッセージを持つ曲」のナンバー1に選ばれた。「conservative」という言葉は、イギリスとアメリカでは意味合いが異なる。(※conservativeは通常は「保守的な」と訳されますが、ここでは原語を残しました) もちろんこの曲には何らかの政治団体に属するような政治的メッセージなど存在しない。革命を非難する曲でもない。我々は実際にストリートで戦うが、革命とは他の全ての行動と同様に予測できない結果を生むことがあるということを示唆する曲だ。見たいと思っているものを必ず見られると考えてはいけない。何も期待しなければ得たもの全てを喜べるのだから。 この曲は、私の人生の中心にあるものは売り物ではなく、勝手に利用されるべきものではないということを政治家や革命家たちに知らしめる為に作られた。 これは音楽とそれを求めて集まる人々の持つ力として私が信じるものと深く関わっており、個人的な見解を表現するのに近代的なロック・ミュージックやポップ・ミュージックを利用しようとする特定の個人とは一切関係しない。私はロックの背後にある「普遍的な」テーマというものを常に取り入れてきたが、それは空虚で、曖昧で、ぼんやりとした、表面だけのものに自然に見えるようなものだと考えている。しかしそのいい加減さ、堕落さ加減にもかかわらず、ロックは存続し、希望に胸を膨らませる若者達の素朴な不平不満が生意気な形で代弁される場所として今もなお広がっている。 私が「Won't Get Fooled Again」を書いた1971年から1985年まで、私の中でひとつの変化があった。活動家に利用されることへの拒絶から、サッチャー首相時代のイギリスにうんざりして不満を募らせた人々に判断を下されることへの拒絶への移行だ。当時Peter Gabrielと私は、Nelson Mandelaを南アフリカの刑務所から救う為に、David Astor、Neville Vincent、Donald Woods、Lord Goodman等と共に行っていた基金集めについてよく電話で話していた。我々はすぐに自分達の行っていた活動がANC(※アフリカ民族会議)に武器を買い与えることになるということに気づいた。ANCの一部の極右の人間の考え方はIRA(※アイルランド共和国軍)と同じようなものだ。Nelsonが釈放されて、全ては良い方向に進んだ。しかし90年代半ば、最後のIRAの爆弾のひとつがロンドンの劇場で爆発した。私のミュージカル「Tommy」が上映されるすぐ近くだった。その時私は、自分の宿命がぐるりと一周して戻ってきたのだと強く感じた。 世界を変えるための活動が、すべてIndependent紙を編集しているBonoによって屋上からトランペットを吹き鳴らして喧伝されなくてはならない訳ではない。(しかしそれはそれで素晴らしく、また大胆不敵な試みだったが。1985年にLord Matthew Evansが私にFaber and Faber社の編集者の仕事を与えてくれたことに匹敵するほどだ)(※U2のBonoは5/18発売のIndependent紙の1日編集長を務めました。エイズ対策をはじめとするアフリカの諸問題を大きく取り上げ、1面はエイズ撲滅に向けたRED運動にちなんで赤く塗りつぶされ「今日ニュースはない。ただアフリカでエイズで6500人が死ぬだけだ」と記されるなど、異例の紙面になったとのことです)Roger Daltreyは実際にRichard "Dirty" Desmond(他の会社とともに何紙かの大手新聞の出版社も所有している人物)とロックンロールを演奏しているが、彼自身もまた胸を痛め、基金の対象となっている10代の癌患者たちが生き延びようと必死に努力している病院を数多く訪ねている。彼は患者達を抱きしめ、患者達とともに笑い、患者達に希望を与えている。これは相手とマンツーマンで対する形であり、私が自分には不可能だとわかっているやり方だ。私は性的虐待や薬物乱用、あらゆる種類の家庭内暴力の被害者と会ったり話したりすることはできる。しかし私が今自分でわかっていることは、突然病院やクリニックやホスピスで死んでしまうかもしれない人にとってはよくある問題だ。(?) 私はただの作曲家だ。私の行う活動は私自身の為のものであり、誰か(?)がやり方を疑問に思うまでは通常は個人的なものだ。私が書いたものには別の解釈が入る。まず最初にRoger Daltreyによって。「Won't Get Fooled Again」は当時「…俺を放っておいてくれ、家族とともに自分の人生を過ごさせてくれ、そうすれば自分の方法で変化を起こすために何かできるから…」と嘆願する歌だった。しかしRoger Daltreyが曲の終わりに胸が張り裂けんばかりに歌い上げる時、数多くの人々にとってこの曲はそれ以上のものになった。そして私はその事実を受け入れなければならない。映画「Summer of Sam」(※邦題『サマー・オブ・サム』。Spike Lee監督による、ニューヨークで実際に起こった連続殺人事件を背景にしたサスペンス)の中で、この曲は白人の少年の「ストリート的な」(※形容詞streetには粗野な、下卑たという意味があり、Won't Get Fooled Againに出てくるstreetとかけているように見えます)馬鹿な振る舞いを表現する為に使われた。ファシストのような乱暴な動きで、男たちはエア・ギターで腕を振り回し、家具をめちゃくちゃに壊していた。Spike Leeは私のマネージャーに「…彼はThe Whoの音楽を深く理解している…」と語っていた。彼が理解していたことは - 他の多くの人たちと同じように - 彼自身が作り上げたことだ。彼は激しい怒りとフラストレーション、審判や告発までも、実際には存在しないものをこの曲の中に見出した。この曲に実際にあるのは祈りのみだ。
by yukie909
| 2006-05-27 14:28
| diary
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Things He Said Todayについて
ピートの考えが伝わってくる文章を翻訳しています。現在のところは過去の日記を訳した文章のアーカイブが中心となっています。
翻訳のプロでもなんでもない、そこらへんにいるただのザ・フーファンが英辞郎とGoogle等を頼りにちくちくと訳しているだけなので、「ここに載っている訳文=ピートの言いたいこと」と思い込むのは大変危険です。一つの参考としてどうぞ。以下備考など。 ★最初に必ず原文へのリンクを明記しています。(ただし、現在はそのほとんどがアクセス不能となっています) ★青い文字の部分が訳文です。文中に黒い文字で(※○○)とあるのは、原文にない説明をこちらで付け加えたものです。 ★意味がよくわからなかった部分はとにかく無理やり訳した上で「(?)」をつけています。 ★あとから読み直して変えたくなった部分はばんばん修正します。 ★ずっと人名やバンド名を英語で表記してきましたが途中からカタカナ表記に変えました。過去の分まで遡って直すのはもう諦めたので統一されていないのは大目に見て下さい。 (姉妹サイト) WHO's Generation カテゴリ
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