2005年 11月 25日
[原文] 2005年11月25日の公式サイトの日記。 I Have a Decent Job - Thank you for asking. PDFファイルで2ページ半ほどのエッセイ。 朝食前にひらめいたことをこちらにまとめたので見てほしい。 2005年11月25日(金) 小説「The Boy Who Heard Music」を書き上げてから長い時間が経った。私はこの作品の裏にある意図を40年も暖めてきた。時の経過により混沌としてきた私の様々な情熱がミックスされたものだ。それは現在2つのウェブサイトにおける連載小説という形で表現されている。私の小説が支えるテーマはシンプルで、芸術の分野において大きなグループの人々が集まって取り組むと、何か不思議なことが起こるということだ。最初の章のプロローグにおいて、語り手であるRay Highはあれこれと喋り散らす。この背景で私が重要な時期だとみなしている70年代と80年代の中間という落ち着かない時代から彼はぶちまける。彼が自分について熱弁をふるっていることの一部は60年代から持ち越されたものだ。ある箇所で彼は「グローバル化」という単語を使っている。彼が使っている言葉の全ては現在、インターネットに小説を発表したほんの短い間ですら、損なわれ破壊されてしまっている。「グローバル化」という言葉はかつては忌むべき言葉とされていた。今ではそれほど悪くは感じられないようになっている、少なくとも私にとっては。 私が支援してきたチャリティはTony Blair首相を批判している。彼が「貧しい国が前進するにはたった一つの道しか残されていない、それは富める国からの施しを受けることだ」という意見を推し進めてきた為だ。私も協力したLive8でも同様の主張がされていた。他方では、「豊かな」世界ではめちゃくちゃな考えと秩序なくごてごてした飾りに満ちている。昨日私のパートナーのコンピュータに「スペインの宝くじで貴方に60万ポンドが当たりました」という詐欺メールが届いた。彼女は馬鹿ではないが、そのメールがあまりにも真実味を帯びていた為、数時間の間は希望に満ちた気分で過ごした。ゴルフの教祖のように?(?)私の16歳の息子は初めてゴルフボールを打つことを学んでいる。彼はこう言う、「父さんがした方がいいと言ったことをしている限りはうまくいくよ」よくできた息子だ。Chopraの奴が彼を診る必要はないだろう。 我々のような西欧の真っ当なミドル・クラスの人間は、貧しい者が貧しくあることに憤り、イスラムに対して立場を濁し、テロについての答えの出ない問いに混乱し、薬物と毒物の治療に関して正しいモラルの周りに不可能の円を描いては関連本を読み漁る。(?) マスコミのsmart Alecs(※何かの固有名詞のようです)と違って、私は仲間のグループを嘲笑っているわけではない。私自身も様々な種類のビタミンを摂って、寂しくなった髪がまた生えはじめたり、右耳の耳鳴りがやんだりすることを馬鹿みたいに願っている。しかしどちらにも効果は出ない。それとも出ているのだろうか? 私は有名人だ。どうやら今のところは我々のような人間が世界を導いているらしい。有名人とは言っても、クイズ番組に出演したりパーティを開くようなことはしていないが、私がサインを走り書きしたギターが定期的にチャリティで高い値段で売れている。私は自分が周りの世界から大きくはみ出しているような気がよくしている。世の中には「Quadrophenia」のようなひどく悲観的な曲の集まりからもある種の希望を見出せる人々がいる。このことはいつも私を呆然とさせる。このような10代の不満と不合理、誇大感、無知を歌った希望のないリアリティー・ショーがどうしたら誰かを元気付けられるというのか?しかしそれは一部のとても賢い人々を勇気付けているようだ。Roger Watersと私は「The Wall」が映画化された時にこの件について話し合ったことがある。私達の世代のソングライター達はどんなメッセージを戦後の時代に持ち込み、存続させたのか?それは厳しい現実に満ちたメッセージだ。望みはほとんどない。皮肉ばかりだ。どこかにバーを掲げ、高くしていかない者は、ジョークを飛ばして地球上の全ての人は - 自分を含めて - 大うそつきだと宣言するべきだ。(?)きっと長い間不安な日々を過ごすことになるだろう。利口なアーティストは自分のできることしかしない。画家は絵を描くだけ、映画監督は映画を撮るだけ、作曲家は曲を作るだけ、演奏者は曲を演るだけだ。 私は自分が「音楽として知られている洗練された時間の区切り」以外の何かを伝えることができる人間としてみなされることに不快感を覚える。音楽は私が一番うまくやれることだ。私の仕事が言葉を使わなければできないものである為に、若者特有の圧倒的なパワーがない今、私は何かまともなことを言おうと言葉を探し、もがいている。誰かを勇気付けることは自分の仕事だと思っていない。それは思い上がりというものだ。しかし私は自分のような人間の言葉が一部の人々を勇気付けているという事実を受け入れなければいけない。私が他の何百万人ものブロガー達と同じように、本を出版するという虚栄心の元に(※?vanityは虚栄心、うぬぼれといった意味ですが、vanity press、vanity publisherでは自費出版請負業者になるようです)「私の永遠の余暇」(?)を展開しているブログ、boywhoheardmusic.blogspot.comでは、読者がコメントをつけることが出来る。このことは皆が小説家としての私をサポートしようと手を差し伸べてくれていることになるので、とても嬉しく思っている。彼等の援助は無制限でも、符号化されたものでも、生のものでもないが、9割は肯定的だ。彼等が思想家としての私をサポートしていると感じていないことを願う。私の思考はつねにこんがらがっているからだ。どのみち政治的な問題や社会道徳は日々変わってゆく。私は何ら伝えるべきメッセージを持っていない。答えもない。 私は一つのことを知っている。そしてそのことのみが絶対的に確かだ。The Whoが活動のある時期に大観衆の前でライブをしていた時、客席にいた人々からその時トランスしていたと後で聞いた。私はそのようなトリックを使うのは - それがトリックであるなら - ステージ上にいるアーティストではなく、客席にいる観客自身だということがわかるぐらいには分別がついている。これは素晴らしい仕事だ。我々はステージに登場し、演奏し、観客は「(※精神が体を)抜け出て」いく。それとも彼らは「自分を見失って」いつのだろうか?どちらにしても、良い解放だという人がいる。私はそうは思わない。私には仕事が必要だ。キャリアのずっと初期、もし私がそれに加わり、我を忘れてトンでしまう状態に自分を持っていこうとしたとしたら、たとえ観客やレコード会社やマスコミからそうするように急き立てられてのことであっても、長い目で見ればほとんど感謝を受けることがなかっただろう。どんな場合でもそれは痛みを伴う。 ブログに寄せられるコメントの数々は、名声、つまり私にはそぐわない立派な名誉が私に与えられてきたことを表している。それは私がアーティストとして行うことに彼等が関わって、その結果自分自身を見つけたり、失ったり、自己から脱したりしたというシンプルな理由からのことだ。私はそのことに満足している。恐れているのは、私がただ仕事の一環として受け入れることを選んだというだけのものについて、私が彼等が知っているよりも多くのことを知っているのではないかと思われることだ。多くの人に知られた私の作品の多くは、政治的・社会的な内容は含まないという考えを基本としている。私は自分が知っていることだけにじっくりと専念するようにしている。 そして最も肝心なのは次のようなことだ。60年代後半からの全ての作品で、私は精神的問題というものを取り上げてきた。私は自分の作ったストーリーの登場人物に、Roger Daltreyと私が観客を前に歌う時に使っていたハードなロックンロール・ヴォイスによって、怒り、わめきちらすことを許した。そのような声は必ずしも自分自身の声とは限らない。多くのファンが喜んで聞いてくれるような、よりソフトな声で歌っている時も、私がどういう人間であるかを完全に表しているとは限らない。The Whoのライブで、マシンガンのようにギターを抱えてRoger Daltreyの隣に立っている時でも同様だ。私がそのようなものから自分自身を解放するよう努力していたとしても、この文章は自己愛の方法に向かってしまう。 重要なのは、現実から非現実へ、科学的に検証されたものから楽観的に希望をつないだものへ、政治の歴史から混乱した世界管理へ、ライブの真実(又は君のカーステレオに入っている新しいCD)からフィクションへと我々が道を外れていった時、責任のバトンはマスコミから個人へと渡されるということだ。アーティストにはこれ以上できることはない。ひとりひとりが民主主義か否かを選ぶことができる。先に言っておくが、私は自分が関わっている精神的問題について何も知らない。何ひとつだ。立派な理論なども一切持ち合わせていない。最近のステージでEric Claptonモデルのフェンダー・ストラトキャスターをFender VibroKingのスタックアンプに差して使った時、特に私がサングラスをしていると、ギターがひとりでに音を奏でるように思えることがあるように思うのは確かだ。しかしこのことにまつわる謎や神秘主義、空想などは、私が何をするかではなく、観客が何を耳にするかによる。私は私のやるべきことを続けるのみで、それが私にできる全てだ。 この文章を書いている今、ある曲を作っている。後でもう一度腰をすえ、歌詞をじっと見つめて良い曲か駄目な曲か考えるつもりだ。とてもシンプルな曲で、こんな風にはじまる。「あなた自身が自分を救おうとしていないのに、どうして私があなたを救えるというのです?」 The WhoのPete Townshendとして知られているソングライターが、一見Tony Blairがグローバル化の良い点について語った最近のスピーチの内容に似かよった歌詞を書きはじめる時、私に希望を持たせてくれる唯一のものは、前述のもののうちのひとつがアーティストで、もうひとつはシッターだということだ。(?)最近のばかげたお遊び、UK Rock and Roll Hall of Fameにこの2人が同時にテレビに登場したという事実とは何の関係もない、何らかの公正な命令があったようだ。(?)グローバル化も精神的問題のうちのひとつと言えるだろうか?精神的と言えないものは何だろうか?
by yukie909
| 2005-11-25 13:38
| diary
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Things He Said Todayについて
ピートの考えが伝わってくる文章を翻訳しています。現在のところは過去の日記を訳した文章のアーカイブが中心となっています。
翻訳のプロでもなんでもない、そこらへんにいるただのザ・フーファンが英辞郎とGoogle等を頼りにちくちくと訳しているだけなので、「ここに載っている訳文=ピートの言いたいこと」と思い込むのは大変危険です。一つの参考としてどうぞ。以下備考など。 ★最初に必ず原文へのリンクを明記しています。(ただし、現在はそのほとんどがアクセス不能となっています) ★青い文字の部分が訳文です。文中に黒い文字で(※○○)とあるのは、原文にない説明をこちらで付け加えたものです。 ★意味がよくわからなかった部分はとにかく無理やり訳した上で「(?)」をつけています。 ★あとから読み直して変えたくなった部分はばんばん修正します。 ★ずっと人名やバンド名を英語で表記してきましたが途中からカタカナ表記に変えました。過去の分まで遡って直すのはもう諦めたので統一されていないのは大目に見て下さい。 (姉妹サイト) WHO's Generation カテゴリ
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